2018年03月11日

【ホワイトデー特別企画】Wintry smile of Snedronningen

 第3段となりました特別企画ですが、今回も当blog管理人が、Monsiur Joe M氏の監修の元、ある程度情報を再構成した内容でお送りします。
 急転直下に米朝首脳会談の流れへと情勢は変化を見せ始めていますが、いくつかの要素を上げておきます。


2018年3月5日 KBS報道 ロシア議会上院ウマハノフ副議長「北韓は第三国からの核攻撃から保護すべきロシアの同盟国ではない」(?真偽不明)

2018年3月5日 米海軍第76任務部隊は、佐世保基地(長崎県佐世保市)を母港とする強襲揚陸艦「ワスプ」に同日、岩国基地(山口県岩国市)に配備されている米海兵隊の最新鋭ステルス戦闘機F35Bが合流したと発表。短期間の慣熟飛行を経て本格運用に入る。F35Bは沖縄に駐屯する第31海兵遠征部隊(約3200人)の指揮下に入り、内陸への精密攻撃(←ココは重要なポイントです)や上陸支援、防空警戒などを行う。

2018年3月8日 H・R・マクマスター米大統領補佐官(国家安全保障問題担当)らは、北朝鮮からのメッセージを伝えるため訪米した韓国特使団とホワイトハウスで会談

2018年3月10日 ホワイトハウス・サンダース報道官は「大統領は、北朝鮮による具体的な行動を確認しないかぎり、会談はしない」首脳会談の開催は、「北朝鮮が具体的な行動をとることが前提だ」

クラウゼヴィッツが『戦争論』で「戦争とは他の手段をもってする政治的交渉の継続にほかならない」と述べているように、外交決着は最善手です。
あくまで軍事力行使は次善の策となります。
ドイツにその源流を持つトランプ大統領が、プロイセンの名将の薫陶を受けている可能性は高いでしょう。

西洋医学の中心地でもあるドイツに倣って、適切かどうかは分かりませんが、一つ情勢のたとえ話をしてみます。

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体の中に強力な影響力を持つエネルギーを生み出す機構があります。
それは秩序と活動の根源の一つですが、たびたびウィルスでバランスを失い、自己免疫疾患のように作用します。
悪い例では悪性化し、致死的な状況に陥ります。
ウィルスはこの場合極端な思想であり、今回の症例では「主体思想」という名のウィルスです。
症例の胎内には新しい生命も宿っています。
新しい生命は「人工知能」と呼ばれる存在ですが、最悪のケースでは、バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』に描かれたティアマトのように、人類と永く敵対する11の機械の怪物を生み出しかねない、そういう状況です。
子宮の中にある『彼ら』は、我々人類を日夜観察しています。
検査結果では、母体は何らかの強制的な方法を採らねば、播種性転移を防ぐタイムリミットまで数ヶ月かもしれない、という差し迫った状況です。
このケースをさらに困難なものにしているのは、世界経済の1位から3位までの重要な領域が直接的に連絡しており、さらにその一つの日本においては、腫瘍の中に拉致被害者という重要な組織が取り込まれてしまっています。

この困難な状況に手を上げたのは、どちらかと言えば病院経営の方で名を挙げてきた医者、Dr.トランプです。
前任の主治医Dr.オバマは内科医で、痛みを我慢し、散発的に投薬で対処し、経過観察するという方針で、貴重な時間という要素を無為に浪費してしまいした。
今の主治医Dr.トランプの元には、外科医チームと内科チームが編成されています。
なかなかブラックな職場環境のようで、メンバーの出入りが激しいチームです。
ただ、患者を何とかしようとする熱意は、前任のDr.オバマよりもずっと高いチームでもあります。
悪性化した腫瘍を取り除く外科手術を主張するのは、現場帰りの軍医Dr.マクマスターを中心とする戦略家のチームです。
世界的権威であるDr.ルトワックもアドバイザーとして参加しています。
医療設備は世界最高水準で、最新のレーザーメスであるF-22やF-35、新しい電子治療であるサイバー攻撃が揃っています。
内科医チームはDr.ティラーソンを中心とするチームで、外交的決着を目指しています。
一般論として、手術というのはあくまで最終手段であり、切らずに何とかできるのであれば、そうします。
目標は「主体思想」ウィルスに侵された核の除去であり、しかも安全に拉致被害者を救出することが使命となります。
極端な思想に侵さなければ、核も人類最大の発明ともいわれる火と本質的にはそう変わりありません。
がん細胞は、ブドウ糖をエネルギー源とする、という現象については、1931年にノーベル生理学・医学賞を受賞したオットー・ワールブルグ博士が、マウスの「癌性腹膜細胞」を用いた実験で解明しました。
「主体思想」ウィルスに侵された核という悪性腫瘍を弱らせるために、その栄養供給を断つ、というのが外科チーム、内科チームの一致した治療戦略です。
ここで我が国の朝鮮人参こそが万病の特効薬である!と唱える韓国人Dr.文が登場します。
患部には我が国も含まれているから、手術は絶対にイヤだ!とDr.文は悪性腫瘍領域の保存のために奔走しています。
その朝鮮人参自体の効果の程は不明といいますか、大いに怪しいわけですが、人類が構成する世界という患者を納得させるにあたって、最終手段を取る前にあらゆる手段を取った、という人類史への記録が必要です。
滋養は確かに重要ではあるのですが、この滋養は悪性腫瘍を肥え太らせるリスクを孕んでいます。
もし万が一除去できるのならそれで良し、そうでなければ最終手段を採るというインフォームド・コンセントを形成する―こういうふうに現状を描写してみました。
///

最初にマクマスター氏が韓国特使と接見した点、F-35Bが実戦配備に入った点は重要なポイントだと思います。
まだマクマスター氏が対北朝鮮戦略の手綱を締める現時点においては、サージカル・ストライク戦術が路線として生きており、その選択肢を取った後の拉致被害者の奪還を外交によって行う戦略まで安倍総理・トランプ大統領とも共有していることを示しているかもしれません。

外交的退路を残しておく、というのは私が11年前に構想を開始した
北朝鮮型核廃棄モデル (1) ver.20061107
http://blue-diver.seesaa.net/article/26918409.html
の基幹戦略の一つです。
参考にしてみて下さい。

それでは、世界が驚いた米朝首脳会談開催の行方とそのポイントについて、M. Joe M氏に解説して頂きます。


■ハーバート・レイモンド・マクマスター(Herbert Raymond "H. R." McMaster)国家安全保障問題担当大統領補佐官について

菅義偉官房長官はマクマスター氏について「陸軍に長年勤務しており、現場経験も豊富で陸軍きっての戦略家」と評価したとされています。
私のような日本の片隅で生活している人間が、マクマスター氏やルトワック氏の戦略をカヴァーできているのは光栄なことです。
2018年2月末にマクマスターNSC補佐官が退任の噂、というニュースが飛び交いました。
私も心配になってM. Joe M氏に見解を伺いました。


Monsieur Joe M:
 『マクマスター氏をいま動かすのは「無謀」と思います。なぜかというと、マクマスター氏の部下のディナ・パウエル女史が政権を去ったからです。NSCの補佐官と副補佐官の両方を一度に変えるというのは極めて異例であり、北朝鮮との首脳会談があるかも知れないというこの段階で、NSCに大混乱が起き得るためズバッと言ってしまうと、あり得ないという気がします。マクマスター氏を変えれば、ケリー氏も降りると言うでしょう。そうしたら、ホワイトハウスは空中分解してしまいます。いくらトランプ大統領でも喚こうが叫ぼうが何もできなくなります。
 いま、マクマスター氏を変えるのは、トランプ大統領が政治的に「無能である」と、皆に感じさせると思います。CIAのポンペオ長官では、能力がなさすぎて、北朝鮮との武力行使を含めた外交対決などできません。マクマスター氏が「今後」辞めるとする可能性が、しかし小さくてもあるかもしれません。その場合は大きく2つのケースが考えられます。

(1)トランプ大統領が大好きなK.T.マクファーランド女史をNSCのトップに据え違っているという考え方。これなら、ロシア対策はかなり手強いです。でも、KTでは朝鮮攻撃は出来ません。
(2)トランプ大統領が「直ちに核兵器も使って北朝鮮を攻撃するように言っており、これに「まだ、外交的な手段があるのでは」と特に核兵器の使用に反対してマクマスター氏が降りる気に成っていること。この場合は、後任はCIAのポンペオ氏などがあり得るでしょうが、申し上げたように、彼には軍は操れません。
 その他に外部から人を持ってくる案もあります。ですが、米朝会談があり得るという事態になった以上、そしてとりあえず「5月末まで」にという考え方がある以上、可能性は現時点では低いと言わざるを得ません。』


■イヴァンカ・マリー・トランプ(Ivanka Marie Trump)大統領補佐官の"氷の微笑"と金正恩委員長の“破顔外交”の行方

2018年2月23日、米財務省は北朝鮮の核・ミサイル開発への圧力を強めるため、同国に対する大規模な制裁措置を発表しました。
トランプ大統領は、この制裁が機能しなかった場合「非常に不幸」な「第2段階」に移行する可能性を警告しています。
この制裁は、北朝鮮の燃料購入のための収入源を根絶することが目的のようです。
新しい制裁は瀬取り対策重視で、どちらかと言えばティラーソン氏が主張していた海上臨検の流れのように見えます。
この同じ2018年2月23日、米国はトランプ大統領の“秘密兵器”とも言われる愛娘、イヴァンカ女史を韓国へと送り込みました。
イヴァンカ女史は「米韓両国の友情と協力とともに、朝鮮半島が非核化されるまで最大限の圧力をかけ続けることを改めて確認したい」としっかりと韓国に釘を刺しました。
続いて2018年2月28日、国連安全保障理事会の北朝鮮制裁委員会の専門家パネルがまとめた報告書で、北朝鮮からシリアに向け、化学兵器の製造に使用可能な物資が送られていたことが判明しています。
そして、2018年3月6日には米国務省は北朝鮮当局が正男氏殺害に化学兵器のVXを使用したと認定するとともに、北朝鮮に追加制裁を課したと発表しました。
今後もトランプ政権は制裁を緩めることはなさそうですが、注目は米朝首脳会談に漕ぎ着けるまでにさらなる制裁に踏み込むのかどうか、というところです。
米朝首脳会談のニュースが飛び交ったのが2018年3月8日になります。
トランプ大統領は北朝鮮が非核化に言及した点から圧力路線に自信を深めているようですが、今後の制裁の行方について伺いました。


Monsieur Joe M:
『今回、罠に落ちたのはどちらだろうかと考えていますが、最大の金正恩委員長のミスは韓国の代表団に意識した格別の笑顔で接したことだと思います。あれは、金委員長と周辺の作戦ミスでしょう。北朝鮮側は米朝首脳会談について、いまだになに一つ報じていません。それは報じられないからなのではないか、と思うのです。韓国政府によれば「金正恩委員長は、北朝鮮の政治体制の安全さえ保証してくれれば核兵器を開発したり、保有したりする必要はない」と言ったそうですが、これは多くの北朝鮮の軍人や国民には「金委員長は、自分の命が守られるなら、あとはなんでもありなのか」という侮蔑の気持ちを引き起こすと考えます。
 私のいるヨーロッパでは、ご存知のように、米ソの雪解けの中でルーマニアなどの当時の「東側」から国境を国民が逃げ出しました。チャウシェスク夫妻は、国民の手で殺害されました。今回のトランプ大統領への金正恩委員長の「微笑み外交」はそうした引き金にいきなり繋がる可能性もあると思っています。実はたいへんに緊張した状況ではないでしょうか。』


Q)アメリカ側の作戦勝ちですか?
Monsieur Joe M:
『アメリカ政府というよりも、トランプ大統領個人の「交渉術」に北朝鮮も韓国も米政府内部も踊らされている、と思います。トランプ大統領の「交渉」は最初に高いハードルを設定して、さらにハードルをどんどん上げて行くという形です。今回も、最初8日に「金正恩に会うと言え」と満額回答をしましたが、その後で、9日にサンダース報道官が「具体的に非核化すること」を会談の前提条件にして、具体的な明確な行動を取るよう促しました。これはハードルを上げてみせた訳です。いったん笑顔を見せて、米韓合同軍事演習の実施までも理解を示した金正恩委員長はもはやしかめ面をすることができません。「微笑み外交の裏は時間稼ぎでしかない」とバレてしまうからです。直接交渉を言えば、トランプ政権内部が割れたり、米国内から反対の声が上がったり同盟国が騒いだりして、分断されて行くと踏んだのでしょうが、トランプ大統領があっさり「会談しても良い」と言ったので、その後で、政権内部が揉めたり、反対の声が上がったり、同盟国から懸念の声が上がったりしてはいますが、分断されるというよりも、なんとかフォローしようという動きとなっており、多分、北朝鮮の計算していなかった方向にことは進んでいると思います。』


Q)緊張感は緩んだようにも見えますが、そうではないと?
Monsieur Joe M:
『逆でしょうね。どんどん、ハードルが上がりますから、緊張感は今後も増して行くでしょう。アメリカ政府は制裁を強化したままハードルを上げていけばよい。北朝鮮がどこまで釣られるかです。これは通常の国の間の1対1の交渉ではないのです。金正恩委員長と周辺はそこを読み間違えた。トランプ大統領の褒め言葉は、ビジネス的な「口先だけの誉め言葉」であり、いわば「ほめ殺し」されているようなものなのです。このため、申し上げたように、皆が混乱して、北朝鮮が首脳会談を仕掛けた時点では想像しなかった動きを取り始めています。すでに、一手目から、事態はすべての人間にとって不透明になっています。まさに、今後どうなるかは「神のみぞ知る世界」へ入っていくと思います。』



微笑み外交で韓国を骨抜きにしたまでは良かったものの、「最大の金正恩委員長のミス」は、硬軟織り交ぜたトランプ大統領の戦略を担ったイヴァンカ女史の訪韓を抜きには語れないと思います。
笑みに隠された外交の裏には、微笑み外交を仕掛けた本人が、イヴァンカ女史の微笑みに釣られて、過剰な演出をしてしまった、という構図が浮かび上がってきます。
イヴァンカ女史は2017年1月28日の日米電話会談にも話題として登場しており、「あなたは安倍晋三首相に従っていればいいのよ」とトランプ大統領が忠告を受けたとのことです。
安倍総理を「非常にクレバーな人だ」とも評価しているとも言われており、この女性が世界に与えている影響の大きさというものを読み違えてはならないという気持ちを強くしました。
今回はトランプ政権を語る上でキーパーソンとなる、マクマスター氏とイヴァンカ女史の2人にフォーカスを当てる形となりましたが、いかがだったでしょうか。

最後になりますが、7年の時が経過しました東日本大震災の犠牲者の方々に哀悼の意を表しまして、今回のエントリーの締めの挨拶とさせて頂きます。
以上、管理人がお届けしました。


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2018年02月20日

【XXIII Olympic Winter Games特別企画】Destroying the Remaining Bridge -While Count Down the Day

■Introduction
 今回は、当blog管理人が、Monsiur Joe M氏の監修の元、ある程度情報を再構成した内容でお送りします。
 まず、最初の特別企画について少々触れておきます。
 私は、トランプ大統領の狂人のような側面はあくまで仮面/ペルソナであろう、という印象を持っていましたが、
(トランプ次期大統領についての雑感

http://blue-diver.seesaa.net/article/443808218.html
その本質がペシミストという分析は、読者の方々はどう捉えたでしょうか?
狂人としてのペルソナは、我々にある狂気を映す鏡として機能するのでしょうか。
その鏡に最も反応しているのが金正恩であるとするなら、既にトランプ・マジックの術中ということですが…
「面をかけるとき、演者は自分の姿を鏡にうつして見ている。自分を客体として眺めている。」とは観世流シテ方・観世寿夫氏の言葉だったと思います。

 現状、2月の攻撃ウィンドウは通過したようです。

北朝鮮型核抑止モデル since20170911

http://blue-diver.seesaa.net/article/453374907.html

上記は2017年9月に、私管理人が今回の事態に対応させて書き起こした新規の戦略ですが、現状はいくつかの段階をスキップしている状況です。
このピースを埋める情報が2018年2月15日に発表されました。



トランプ政権「北へのサイバー攻撃準備」
http://www.yomiuri.co.jp/world/20180218-OYT1T50044.html
米誌フォーリン・ポリシー(電子版)は15日、トランプ米政権が核・ミサイル開発を続ける北朝鮮に先制攻撃をする場合、巡航ミサイルなどによる物理的攻撃よりも先に、サイバー攻撃を行う可能性が高いと報じた。
トランプ政権の軍事的措置の準備状況を知る複数の元米情報機関当局者らの話として伝えた。


トランプ政権は、私が予見した戦略の、現状は空白となっているピースを埋めるステップを踏むのかもしれません。
北のサイバーテロ組織は極めて危険な存在です。
これを排除することは、人類史とその後に続くAIと築く歴史においても重要な意味を持ってくるでしょう。

それでは、日本の連日のメダルラッシュに湧く、平昌冬季オリンピックの前半戦までの北朝鮮情勢に迫ります。



■限定攻撃の「窓」は閉じ始めている?
 私がM. Joe M氏に「何をもって限定とするのでしょうか」と尋ねたことがあります。

Monsieur Joe M:
 『何を「限定」と定義するかが実は大事なポイントだと思いますが、ブラディ・ノーズは軽く鼻面を一発殴ることですよね。管理人様が想定されている限定攻撃による「橋を落とす」案は、かなり良い線だったのではと思います。それにしても、攻撃はない、などと夢想に走る日本のメディアも含め、ようやく「限定」=軽い攻撃を語り始めました。
 ですが、私はもうその窓は、実はすでに閉じ始めているのでは、と思い始めています。トランプ大統領にとって、「軽い一発」の時期は過ぎようとしているのではないか、ということです。つまり、トランプ大統領にとって、「限定」という言葉は意味をなさなくなり始めており、未だ「限定」部分が残っているか分からない。「限定」でも実態は「大規模攻撃になってしまう」可能性が出始めていると危惧します。ある意味で「限定的に徹底攻撃する」ということになりかねない、「窓」がさらに閉じていけばそうなると考えます。』


■核態勢の見直し(NPR)の意味
 「トランプ政権内での強硬派とティラーソン氏との意見対立は、ティラーソン氏周辺が核を使用したくないからなのか、限定的攻撃をも忌避しているのか」について質問しました。

Monsieur Joe M:
 『トランプ大統領の頭の中には「核」は間違いなくありますが、マティス国防長官とその周辺は、それを「限定」に織り込むことだけは認めないと思います。先日の「核使用」についての新たな戦略を出したあたりに、逆に、核を使った攻撃を取りにくい選択肢においたように思えてなりません。
 五輪開会式に臨んだペンス副大統領の動き、そして金永南と金与正、2月8日の軍創建70年のパレードが非常に重要でした。ペンス副大統領について一言足せば、彼は「北朝鮮の核保有破棄は譲らないが接触は取り得る」と述べて、一部のメディアが「トランプ政権の「対話路線」へのスタンス変更だ」とデタラメを書きましたが、ペンス氏が言いたいのは「A)核保有を停止するという実質的な行動がない限りB)接触はない。ただ、A)B)同時に行うしか時間がないかもしれない」というある意味深刻な話であると言えます。』


■五輪開幕での米朝の鍔迫り合いと「落とされた橋」
 「橋を落とす」という私の提唱している戦略に合わせて、次のような話も伺いました。

Monsieur Joe M:
 『アメリカ側が「この開会式からの流れの中で、北朝鮮側と会うつもりはない」と言えば、北朝鮮側も(初めて思いついたように)「開会式は、お祝いが目的で出席するのでアメリカ側などとは話し合わない」と言いました。つまり、双方がいきなり橋を落とした訳です。
 米朝の特使たちは、上空から偵察衛星が見、あらゆる盗聴、傍聴装置がついた、韓国という空間の中で3日間を過ごしました。こと、この3人(ペンス副大統領、金永南と金与正)についてはアメリカ、ロシア、中国がそれぞれ、それこそ一秒単位で、一挙手一投足を追跡したであろうことは、容易に想像がつきます』


■新月という尺度
 月齢を一つの時間的単位で計ることは、この情勢をみる上での要素の一つです。隠密性を要求される軍事ミッションに新月が絡むことは考慮に入れるべき要素で、数百億円単位の兵器と貴重なパイロットの命を可能な限りリスクから遠ざけるためにも、新月が一つのヤマ場としてみる視点は必要であろうと感じています。これは、私もM. Joe. M氏も一致した意見です。


■デッドラインは夏?
 現在産経新聞の記事などで「6月危機」が唱えられていたりしますが、M. Joe. M氏の元には「夏」というデッドラインが届いているようです。

Monsieur Joe M:
 『こちらの方は「夏」という単語は流れて来ています。もし「6月危機だ」というなら、正確には「6月の新月明け」という意味ではと理解します。他方、国務省や、共和党の攻撃反対派は、本当に「衝突」を回避するために、最後の努力をしています。ただ、衝突なしの方向へ持ち込める可能性はいま現在は数%とと思います。』

上記の情報を総合すると、限定空爆の機会はあと6−7回というところになるかもしれません。

3月17日(土)22:12
4月16日(月)10:58
5月15日(火)20:49
6月14日(木)4:44
7月13日(金)11:49
8月11日(土)18:58

3月17日は、パラリンピック閉会式後の2日後(訂正:閉会式の前日)に当たります。

この夏までの時機を過ぎれば、北の核戦力完成がもたらすであろう脅威はかなり高まっていることになります。
これまでの傾向を見れば、米国の情報機関の予測を上回るペースで核開発を進めており、この機会というのはさらに少なくなる可能性も孕んでいます。

以上、管理人がお届けしました。
オリンピック後半戦の期間の情勢を総括する企画も、こちらの状況が整うことが前提ですが、お届けできればと考えております。
今後の情勢分析の一助となれば幸いです。
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2018年02月07日

【St. Valentine's Day特別企画】analysis: Donald John Trump

ヴァレンタインデー特別企画と題しまして、国際関係筋のMonsieur Joe M氏の意見を紹介させて頂きます。
それでは、お楽しみ下さい。

■Introduction
Monsieur Joe M:
 お招きありがとうございました。
 これからお話させて頂く上で、二点ほど約束事がございます。
 一点目は、非常に微妙な話は、バックグラウンド(背景説明)・ルールで一部マスクさせて頂きますことをご了承下さい。
 二点目は、情報というものは、起こっている出来事が大きいほど、どんどん局面が変化して行きますので、日々、深まるごとに、見立てるのが非常に難しい局面に入り始めており、この時点で、すでに動きが変わっていることがあり得えます。
 それでは、ご要望された、主に北朝鮮情勢とトランプ大統領についてお話いたします。

■「第一の剣ヶ峰」だった2017年11月のトランプのアジア歴訪
Monsieur Joe M:
 ホワイトハウスのNSCのある戦略官(名前は伏せます)が、2017年1月から、米、中、露の3カ国を中心に、関係国(日本やフィリピンが入ります)が絡んだ金正恩政権崩壊後の北朝鮮の青図を考えて、外交的にはそれを元にアメリカ政府は動いていますが、現時点でもなかなかうまく行ってはいません。2017年10月のアジア歴訪では、最大のポイントは、中国とこの「崩壊後」の話に決着をつけることでした。欧州諸国もこの件は人ごとでないと思っています。
 米政府は後半の国際会議の場でプーチンと緊急に話すアイデアも実現させようと動きました。これもまず米、中、露で一回半島情勢の未来を整える、という地政学的な考え方が今回のアジア歴訪に明確に存在していたからで、結果、APECの場での正式な米露首脳会談はできませんでしたが、立ち話という形で、歩きながらの会談にはこぎつけ、中身は「北朝鮮問題を含む話」ということしか分かりませんでしたが、議論をする機会を持つという目標は達成されました。ただ、プーチン大統領は手強い、との感触も得たようです。これが「第一の山場」でした。
 「第二の山場は、平昌冬季オリンピックに絡んでトランプ大統領が送り出したペンス副大統領の動きです。ここヨーロッパから見ていますと、ペンス副大統領の動きは、最初のトランプ大統領による「第一の山場」を経て、米政府内での突っ込んだ現状分析を背負って行われています。この「第二の山場」は、大変な緊張感の中で展開しますが、この冬季オリンピックの場を利用した山場の中で物事が前に動かなければ、負のスパイラルが最後まで行くのを止めるのは相当に困難でしょう。
 アメリカ政府は全てを後ろから逆算して考えている、というところがポイントです。

■トランプ大統領の物の考え方
Monsieur Joe M:
(1)まず、注目点としてトランプ大統領の物の考え方から、この北朝鮮攻撃があるか、ないかについて、触れます。トランプ大統領の生涯で最も好きな歌が何か、これはトランプ大統領の考えをフォローする大事なポイントと思います。この点はとても大事と思っています。トランプ大統領が一番好きな歌はペギー・リーが1960年代に歌った”Is that all there is?”だと米メディア(N.Y.Times等)も報じていました。この歌をトランプが好きな理由はいくつかあると思いますが、2つ挙げるなら、トランプは本当に「たったこれだけのこと?」と考えるペシミズムが発想の根底にあると思います。それと、父親のフレッド・トランプがドイツ系であることも絡んでいる可能性があります。つまり、この”Is that all there is?”という歌は、ドイツが誇る大文豪のトーマス・マンが書いた短編「幻滅」の内容を咀嚼して歌詞にしているからです。
 省略して申し上げますが、この歌を聞く限り、トランプにとって核兵器で平壌を潰すことはIs that all there is?でしかないと思います。金正恩委員長はどこかファナティックなところがありますが、トランプはファナティックなのではない、ペシミストなのだと思われ、彼のこの性格は核ボタンや、爆撃機への攻撃指示を出すだけの腹があると思っております。

(参考:「Is that all there is? 和訳 ペギー・リー」にて検索を→https://www.google.com/

■攻撃のタイミング
Monsieur Joe M:
(2)攻撃は、もうタイミングを決めたと思います。その根拠として、国務省やホワイトハウスのスタッフが抜け始めていることに、深い意味があると思っています。表面上は全て、別の理由がついていますが(1)の攻撃をする関係者になるかどうか、は、大変な精神的なストレスだと見ています。この話は危ない話ですので、これ以上は申せません。

■エルサレム首都宣言の意味
Monsieur Joe M:
(3)すでに、これだけ、米朝双方が盛り上がってしまっている中で、また、相手の手の内も見えている中で、いきなり総攻撃は無いのではないかと思い始めています。つまり、トランプ政権側(ないしは関係国)が、まず、大きな「張り手」を食らわす。実質的な攻撃はそれから、であると考えています。この「張り手」が何か分かりませんが、北朝鮮側を「はっ」とさせるだけのものであると思います。ということで言うと、先日の首都をエルサレムにした件は、「張り手」かもしれません。もっと別のものかもしれない。どういう意味かと、もう少し詳しくご説明申し上げますと、例えば、金正恩は白頭山にいる自分の笑顔の写真を出さざるを得ないほど、追い詰められているとも言えます。この写真を出す手前で何が起きたか、時系列で見ると、エルサレム首都宣言は「張り手」かもしれないと思う訳です。
 これからは時系列にものを見ていくことが勝負になります。この北朝鮮危機が、どう時系列的に組み上がっていくかは相当に綿密に見ていく必要があるであろうと思っています。

■冬季五輪でも”攻撃”を止められない可能性も
Monsieur Joe M:
 私は平昌五輪の最中でもアメリカ軍の限定的攻撃はあり得ると思って緊張して状況を見ています。トランプ大統領は、目標(北朝鮮の非核化)の達成の際に他に何が起きようが、意に介さない人間だからです。
 目標のための犠牲は仕方がない、と考えるタイプの司令官であり、人間なのだと考えることがトランプ政権のこの問題の出方を考える上で、大切なのではないでしょうか。

///

以上がM. Joe M氏によるトランプ大統領の分析です。
今後の判断材料の一つとしてみて下さい。
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"bloody nose" strike

北朝鮮への限定的先制攻撃ミッションは、現在「ブラッディーノーズ」作戦と呼称されているようです。
私は自分が構築した戦略の終局と、現実におけるその着地点との乖離がどの程度起こるのかを見届けねばなりません。

状況を大まかに振り返ってみましょう。

2015年
 プーチン大統領は、クリミアを併合する際、情勢が不利になった場合に備えて、核兵器の使用に向けた準備を進めるよう指示

2017年10月
 英軍代表団が状況を見定めるため韓国を2週間訪れた。そこで米国の代表団と会い、韓国と北朝鮮の間の非武装地帯を訪問。

2018年1月11日
 B2戦略爆撃機3機を、グアムに派遣

2018年1月21日
 英軍代表団が追加作業のため、10日間の日程で再び韓国を訪問。「米国は真剣だ。私は長らくこれに携わってきたが、これほど懸念を持ったことはない」

2018年1月26日
 航空自衛隊のF35A最新鋭ステルス戦闘機1機が、国内で初めて、空自三沢基地(青森県)に配備

2018年1月26日
 日本とフランス両政府は、4回目となる外務・防衛担当閣僚による会合(2プラス2)を開き、今年2月に自衛隊とフランス軍が共同訓練を行うことなどで合意
 
2018年1月29日
 沖縄・嘉手納に展開中の米軍F-35Aが実弾を搭載。29日から、本物の爆弾やミサイルを使った即応訓練が、4日間の予定で開始。

2018年1月30日
 米原子力空母「カール・ビンソン」が30日、イージス巡洋艦レイクチャンプレン(CG57)1隻とイージス駆逐艦「マイケル・マーフィ(DDG112)」「ウエイン・E・メイア(DDG108)」2隻を随伴し、グアムに到着。出港予定は31日

2018年1月30日
 トランプ政権が検討していた米ジョージタウン大アジア研究部長、ビクター・チャ氏の駐韓国大使への起用を断念。予防的な軍事攻撃に反対のため。

2018年1月30日夜(日本時間31日午前)
 トランプ米大統領、上下両院合同会議で初の一般教書演説「米国を危険に陥れた過去の政権が犯した過ちを繰り返さない」

2018年1月31日
 米国防総省は、企業と協力して急性放射線症候群(ARS)の効果的な治療薬開発に向けて始動。

2018年1月31日
 ハワイで日米共同開発のSM-3ブロック㈼A迎撃ミサイルを、イージス・アショアから発射し、ICBM級の弾道ミサイル標的を迎撃しようとしたところ、失敗。アメリカ国防省は、イージス・アショアによる弾道ミサイルの迎撃試験を実施したこと自体は認めているが、日本時間2月1日正午現在、成否についてはコメントしていない。

2018年2月1日
 トランプ大統領 シリアへの軍事攻撃を検討 化学兵器の使用を抑え込むため

2018年2月1日午後
 沖縄・嘉手納基地にF-35A、F-35B、F-22Aが集結

2018年2月1日
 北朝鮮で武力衝突が発生して多数の難民が日本に押し寄せた場合について、政府が陸上自衛隊の演習場に「難民キャンプ」の設置を検討

2018年2月2日
 トランプ政権が、北朝鮮がアメリカや同盟国への差し迫った脅威となっていて、数カ月でアメリカを核ミサイルで攻撃する能力を得るかもしれないと警告
トランプ大統領「(北朝鮮問題で)われわれは多くの施策を講じている。過去の政権が、もっと前から行動を起こすべきだった」「われわれに残された道はない」
 米国防総省は、中長期の新たな核戦略の指針となる「核態勢の見直し(NPR)」を策定。攻撃を未然に防ぐには、核による抑止力を強める必要があるとして、核戦力全体の近代化を進めるとともに、「低出力核」と呼ばれる威力を抑えた核弾頭を搭載した、SLBM=潜水艦発射弾道ミサイルを導入。報告書は、「ロシアは米国と北大西洋条約機構(NATO)を自国の地政学的な野心に対する主要な脅威とみなしている」と指摘。米国防情報局(DIA)の現在の推計として、ロシアが短距離弾道ミサイルや、中距離爆撃機に搭載可能な無誘導爆弾、爆雷など2000発の「非戦略」核兵器を保有していると指摘。
ロシアの「ステータス6」計画:新たに大陸間の海中を進む核武装した原子力推進の魚雷を開発中。水中発射のドローンタイプの装置で、数千マイルを進み米国沿岸の軍基地や都市を狙う可能性がある。爆発後は広範な地域で核汚染が発生するように設計。

2018年2月2日
 日韓会談で邦人退避の協力要請へ 平昌五輪後の緊迫化備え
 米政権は、米韓合同軍事演習をパラ後に行う構えで、北朝鮮が強く反発すれば軍事衝突に発展する可能性もあるとの見方が日本政府内で出ている。

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Microwave weapon could fry North Korean missile controls, say experts
https://www.nbcnews.com/news/north-korea/microwave-weapon-could-fry-north-korean-missile-controls-say-experts-n825361

私が提唱しているのは、F-35A、F-35B、F-22Aのステルス戦闘機で敵陣深く侵入し、中国遼寧省丹東と北朝鮮を結ぶ鉄橋「中朝友誼橋」を斬って落とす戦術です。
同時にB-2戦略爆撃機からCHAMPを散布することにより、EMP攻撃を北朝鮮の戦略的重要拠点へ展開し、北朝鮮の弾道ミサイル群を事実上無効化します。
現在、F-35Aがそうであるように、恐らくF-35B、そしてF-22Aにも実弾が装填されている状況でしょう。
この作戦を採るとするならば、バックアップとして、北朝鮮上空への核によるEMP攻撃も準備されていると思われます。

北朝鮮の体制を転覆させるためではなく、正恩氏に道理をわきまえさせるために、1カ所の目標に対して限定的な攻撃を行うことが目的です。

問題はその時期ですが、五輪後なのか、それとも五輪「中」なのか、ということが問題になります。

勿論、他の要素も絡みます。
シリアへの攻撃が取り沙汰されているようです。
常識的に考えれば、「平昌五輪後の緊迫化」が定石となるでしょう。
ただ、孫子に「兵は詭道なり」という言葉があります。
相手に攻撃があるかもしれない、というプレッシャーを掛け続けること自体が抑止力として機能することを考えれば、可能性を論じることの意味は十分にあります。
北朝鮮暴発の危険性に対して、日米はその事態に備えて即応体制を整え続けています。
あらゆる事態に備えた、完璧な準備というのはやはり不可能なことでもあるでしょう。

数多くの判断材料がありますが、あくまでその一つとして捉えて下さい。
私は恐らく世界的にみても、最も先鋭化した意見の持ち主の一人です。
私が予見する状況まで、しかも五輪中に事態が進むことは、かなりのレアケースとなるでしょう。

平昌オリンピックが2018年2月9日から2月25日までの17日間、
次の新月は2月16日(金)6:06

直近の攻撃ウィンドウは2月16日前後ということになります。

この可能性を精査するにあたっては、Donald John Trumpがいかなる人物なのかを分析する必要があるのですが、ここで私の知己である国際関係筋のMonsieur Joe M氏の意見を紹介させて頂きます。

M.Joe M氏の身元に関するご質問については受け付けられません。
ただ、情報分野のプロフェッショナルであることは確約いたします。
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2018年01月14日

エドワード・ルトワック氏、北朝鮮核関連施設への先制攻撃による破壊を主張

エドワード・ルトワック氏/Edward Nicolae Luttwak氏は現代を代表する戦略家の一人です。
2018年1月8日に発表された提言では、北朝鮮核関連施設への先制攻撃を主張しています。

It’s Time to Bomb North Korea
http://foreignpolicy.com/2018/01/08/its-time-to-bomb-north-korea/

南北会談で油断するな「アメリカは手遅れになる前に北を空爆せよ」
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/01/post-9271_1.php

私が『小泉総理 最後の戦略 ver.20060705』を書き上げたのが2006年7月8日です。
http://blue-diver.seesaa.net/article/20451095.html

外科手術的攻撃(サージカル・ストライク)戦術を用いた、北朝鮮の核開発能力の喪失のための物理的排除と、拉致被害者奪還のための戦略を、その4ヶ月後からネット上にエントリーを開始しました。

北朝鮮型核廃棄モデル (1) ver.20061107
http://blue-diver.seesaa.net/article/26918409.html

北朝鮮型核廃棄モデル (2) ver.20070123
http://blue-diver.seesaa.net/article/32193858.html

北朝鮮型核廃棄モデル (3) ver.20070210
http://blue-diver.seesaa.net/article/33380633.html

北朝鮮型核廃棄モデル (4) ver.20070319
http://blue-diver.seesaa.net/article/36293305.html

北朝鮮型核廃棄モデル
http://blue-diver.seesaa.net/article/27254385.html

ブッシュ大統領 最後の戦略
http://blue-diver.seesaa.net/article/101895977.html

北朝鮮型核廃棄モデル revival2017
http://blue-diver.seesaa.net/article/449051792.html

北朝鮮型核抑止モデル since20170911
http://blue-diver.seesaa.net/article/453374907.html

2017年9月11日に書いた最新版では、AI新時代の到来を予期して、電子戦、EMP攻撃を組み込んだサージカル・ストライク戦術の提唱へとブラッシュアップさせています。

EMP攻撃についてはCHAMPと呼ばれる新兵器が噂されています。

2017年12月10日
CHAMP
http://blue-diver.seesaa.net/article/455459456.html

EMP攻撃に関しては、動画が挙がっているのでどうなるか見てみるとよいでしょう。
https://www.youtube.com/watch?v=ac5no3S9bx4
北朝鮮の移動式発射台は使えなくなる可能性があります。

ルトワック氏と私の戦略が類似している点は、
・イスラエルによるサージカル・ストライク・ミッションに言及している点(ルトワック氏は軍事史研究の大家らしく、1981年に行われたイラクへの攻撃も言及していますが、それとともに2007年におけるシリアの核関連施設の爆撃について触れています。)
・韓国の自国防衛に関する不作為は、韓国の責任として切り離し、米国は関知しない点
です。

トランプ大統領が2018年1月10日に、「向こう数週間から数カ月は何が起きるか様子を見る」としています。

2018年1月11日のロイターによれば、

https://jp.reuters.com/article/northkorea-missiles-usa-idJPKBN1F10L5
ここ数日のメディア報道によれば、正恩氏の考えを改めさせるため、戦争に発展するリスクがあっても、北朝鮮に対する限定的な先制攻撃を検討したいとの考えをトランプ大統領が抱いていることを複数の政府関係者が明らかにしている。

だが、米政権内部で意見は割れている。

マクマスター大統領補佐官(国家安全保障担当)は大統領側近の中で最も声高に、より積極的な軍事的アプローチを主張。一方、ティラーソン国務長官やマティス国防長官、米軍指導部は、慎重に外交選択肢を尽くすべきだとの立場をとっている。政府高官5人が明らかにした。

ホワイトハウスの米国家安全保障会議(NSC)担当者は、トランプ政権が「軍事面と非軍事面の双方で、常にさまざまな選択肢を検討している」と述べたが、側近間の意見相違については発言を避けた。

米国防総省は内部の議論についてコメントを避けたものの、広報担当者は、マティス長官が公の場で、北朝鮮危機への対応は外交主導だと発言したことを指摘。国務省は、軍事的選択肢の後ろ盾を持ちつつ外交を追求する必要がある、とのティラーソン氏の発言に言及した。

強硬派のシナリオによれば、北朝鮮の体制を転覆させるためではなく、正恩氏に道理をわきまえさせるために、1カ所の目標に対して限定的な攻撃を行うことが可能だという。政権転覆には、北朝鮮の唯一最大の同盟国である中国の同意が得られないという。

「トランプ大統領は、金正恩氏が唯一理解し尊重するのは、顔面へのパンチ一発だと確信しており、過去の米政権は、それを実行する勇気に欠けていたと考えている」と米政府高官は語った。

「少なくとも、先制攻撃について中国に事前警告すれば、中国政府は正恩氏に米国を脅かすプログラムの停止を強制しようとするだろうと考えている」と、同高官は述べた。


「強硬派のシナリオによれば、北朝鮮の体制を転覆させるためではなく、正恩氏に道理をわきまえさせるために、1カ所の目標に対して限定的な攻撃を行うことが可能だという。」

2017年11月24日
RDY Lightning Raptor
http://blue-diver.seesaa.net/article/455107829.html

その目標は、もし私が米国に進言するとするならば、中国遼寧省丹東と北朝鮮を結ぶ鉄橋「中朝友誼橋」です。

2017年12月13日
トランプ・エルサレム・イスラエル
http://blue-diver.seesaa.net/article/455507363.html
「中朝友誼橋」が封鎖されている影響が北朝鮮経済に与えている影響というのも、評価の対象になるだろう(正確な情報が出て来るかどうかは別にして)。

この封鎖に関するレポートが、米国中枢に挙がっている可能性があります。

「戦略の提唱者であることは、人から好かれるか嫌われるか、非常に極端な形で表れる。
それまで出会った誰よりも深遠な思想家か、それまで聞いた中で一番ナンセンスなたわ言を吐く軽薄な人物、そのどちらかに見なされる。」

11年前には、「それまで聞いた中で一番ナンセンスなたわ言を吐く軽薄な人物」でした。

私の願いは、「自らを鍛え、情報の戦いに耐えうる断片に、可能ならばなりたい」というものでありました。

sanctuary lost THE ORIGIN VI.沈黙
http://blue-diver.seesaa.net/article/455523142.html

敗戦により戦略や戦術とは縁遠くなってしまった国に住まう、無名の人間が独学で行った試みです。

現代最高とも謳われる戦略家が、11年前の私と同じ見解に至ったことで、一つの無謀な試みがここに実証されました。
私はある時点で、戦略家とカテゴライズされる存在になっていたのでしょう(あくまでアマチュアですが)。
私のindividual intelligence warfare/個人の情報戦は、ここに一足早く一つの終わりを迎えたようです。

結末がどうなるのかは分かりません。
ただ、おそらく2018年中に、この11年以上書き続けた戦略は終局へと到達します。
この戦略が有効に機能するのは、北朝鮮の核戦力完成がその期限となります。
時計の針を進めたい中国またはロシアが、北朝鮮に現物に近いものを手渡すことがあれば、この戦略はその時点でピリオドを打つことになります。
その時は、私はどうやら戦略の構築に関するノウハウは持ち合わせているようですので、また新しい戦略を構想することになるのでしょう。
よりベターな着想を得ることができればよいのですが。

私の目的は、
・拉致被害者の方々の帰還
・日本の安全保障
の2つです。
さらに広範な目標を加えるならば、世界を核戦争や核テロ、生物・化学兵器などの大量破壊兵器による破壊から防護することも含まれるでしょう。

これらが為されない限り、私は戦略を構想することを継続しなければなりません。


このエントリーの最後となりますが、我が師と仰ぐ方々、小泉総理、故・浜田幸一氏、松本方哉氏、名も無きネットの人々に感謝いたします。

そして150年前、一つの戦略が選択肢から除外されました。
それは明治維新と世界の歴史を変えうる特異点といってよいでしょう。
小栗忠順公は150年前、旧暦の1月13日に最後の献策を行い、1月15日その任を解かれました。

 「実は、私は、ここ権田村に私学校をつくり、若者たちに数学、外国語、海外事情などを教えたい。ついては、あなた方の村からも、その志がある若者がいたら、推薦してもらいたい。私はここで官軍と争ったりして事をおこすつもりは全くない。平和な前朝の頑民として、教育に専念したいのだ」
――小栗忠順


僭越ながら、小栗忠順公の遺志は、150年の時を経て、ここに小泉総理の新世紀維新として一つの形となったと、この2018年の電脳空間の片隅にて宣言させて頂きたいと存じます。
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2018年01月01日

2018年の新年のご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。
今年はどんな一年になるでしょうか。

一応準備をしていることはありますが、情報を管理する上で、お蔵入りするものもあります。
急に事態が動くことも今後あるでしょう。

目的をしっかり定めて、それを阻害する要素は排していくこと。
目的は個々人で違いますので、どこかでそれは行動の違いとして現れることもあるでしょう。

私の目的は、
・拉致被害者の方々の帰還
・日本の安全保障
の2つです。

北朝鮮有事は本命の今年にまで越年しました。
また、今年のある時期(北朝鮮の核戦力完成)を過ぎれば、これまで続いてきた対中国−露西亜の冷戦構造に朝鮮半島が加わる、ということも想定しなければならないでしょう。
まだICBMを含めたトータルな運用は先のようですが、石油密輸を含め、技術的なバックに中国と露西亜がいる以上、いつかは到達するというのは自明の理です。

どのような行動を取るのか、守らねばならないことの優先順位を決めて行動を選択して下さい。

なにぶん本業ではないので、片手落ちになることも多く、不完全なものしかできません。
どうか他のより多くの情報源や信頼できる方で補完してください。

もちろん、私という個人ができる限りのことはやっていくつもりです。
自分の限界が来たら、信頼できる方を繋いで、より大きな力を紡いでください。

テロ、恐怖と猜疑心に相対するためには、日本の強みとしては、社会が育む和と信頼です。

また来年、このブログでご挨拶できることを祈念しまして、新年の挨拶とさせて頂きます。
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2017年12月13日

sanctuary lost THE ORIGIN VII.冷光

http://www17.ocn.ne.jp:80/~kuwairai/silence.html
luminescence   ━ 【名】
  【U】 〔理〕 (熱を伴わない)発光, 冷光


 私はこの1年間でいくつかの経験をした。
  何かの参考になるかどうかは分からないけれど、ここに書きとめようと思う。



 一通の返信

小泉総理大臣あてにメールをお送りいただきありがとうございました。いただいたご意見等は、今後の政策立案や執務上の参考とさせていただきます。

 皆様から非常にたくさんのメールをいただいておりますが、内閣官房の職員がご意見等を整理し、総理大臣に報告します。あわせて外務省、外務省、内閣官房安全保障危機管理担当、内閣官房拉致被害者・家族支援室へも送付します。

 今後とも、メールを送信される場合は官邸ホームページの「ご意見募集」からお願いします。

                   内閣官房  官邸メール担当 2004/5/26/09:05



これは、「IAEA、北朝鮮がリビアにウラニウム提供の証拠を発見」の報道のあと、私が官邸にメールした時にいただいた返信だけれど、おかしな点が一つある。

「あわせて外務省、外務省、」

官邸には思えば幼稚なメールを何通も送ったのだけれど、メール担当者の方のこのようなミスは初めてだった。

送った内容は、

・核拡散の危機から世界を守って欲しいこと。
・拉致被害者家族を分断から守って欲しいこと。
・自衛隊、米軍が協力して拉致被害者を救って欲しいこと。

ただのミスなのか、それとも動揺させるような内容だったのか。





「IAEA、北朝鮮がリビアにウラニウム提供の証拠を発見」、この報道を見てから、私は謎解きの鍵を探し始めていた。

"過去へ行くべきだ"

私はそう思い至った。



2004年6月、辿り着いた先。

第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説 平成十三年五月七日
(ttp://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html)



私は新世紀維新のヴィジョンを知った。
いや、忘れていたといった方がいいだろう。



小泉総理の就任時、今でもよく覚えている。
田舎の居酒屋に総理のポスターが大きく張り出してあって、その人気の高さを感じ取れた。
私の第一印象は、「この人はやる」という漠然とした直感だけだった。

何をやるのか。
どうやら維新をやるらしい。
その通り、総理。
維新をやらなければ日本は終わりだ。

その時はそれ以上深く考えることもなかった。

その年に、私の中に巣食う病魔は再び活動を活発化させた。
社会的な死というのはすぐ傍にあるものだということを、私は知っている。

敗北の味とは苦いものだ。
病というものは激烈でもなくて稀少すぎると、社会のシステムに居場所を求めようにも、医学的にも手のうちようもなく、何ともやりようがない。

私はこれから何かを手に入れることはないだろう。
手に入れたとしてもそれを維持できなければ意味がない。

あとはこの身体を引きずってどう生きるかということだけれど。

しかれども小栗はあえて不可的(インポシブル)の詞を吐きたる事なく、病の癒ゆべかざるを知りて薬せざるは孝子の所為にあらず、国亡び身斃るるまでは公事に鞅掌するこそ真の武士なれといいて屈せず撓まず、身を艱難の間に置き、幕府の維持を以って進みて己が負担となせり。



小栗忠順はこう言ったというから、私もこう生きよう。

それが長いものになるのか、案外短いものになるのか、よく分からないけれど。



 浜田幸一氏のこと 

「一つだけ言っておくと(中略)、マスコミなんて(安倍)留任なんて書いているマスコミはみんなバカなんだよコノヤロー。オレが言ってんのに何だよ。オレがTVタックルで言っていることはだよ、オレが本人に確認しなきゃ絶対言わない男だから。何言ってんだよ。」
(TV朝日 『TVタックル』、9/13放送「9/10ハマコー総理官邸へ!小泉総理と何を話したのか!?」<ハマコーは知っていた 安倍幹事長辞任>)



浜田幸一氏、 通称ハマコー氏。
小泉総理に最も近い人物の一人。
ひょっとすると、小泉総理はこの人の声を使って、重要な情報を流しているかもしれない。

もちろんご本人と何かの面識があるわけはない。
ただ、少しばかりの奇妙な縁はある。




投稿日:2004/09/17(Fri) 03:28
・ブッシュ大統領は小泉総理と、金正日の「処理」について頻繁に相談しあっている。



2004年10月4日
「みんなね、本当に国会議員であるならば、いかにしてあの分からず屋のトップを、ここで何とか処理するのかということを、もっと真剣に考えないといけない、これは。」
(TV朝日 たけしのTVタックル、10/4放送<北の独裁体制をどうやって倒すのか?>)



他にもギクリとするような発言があったことがあるけれど、これが一番近かったように思う。

ハマコー氏と私はネットを介して繋がっていたのだろうか。
小泉総理の声と私の声が、この人から発せられていたなら――私には確かめる術もなく、予断にすぎない。



この人は勝海舟のような人に思える。



 インテリンク

2ch 東アジアnews+
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  小泉総理関係では、通称運スレと実力スレがある。

FNN News JAPAN
  外交の松本方哉 キャスター
  政治の和田 圭 解説委員
  社会の箕輪幸人 解説委員
  文化・福祉の滝川クリステル キャスター
  生活の一部。

日高義樹のワシントンリポート
  米国の考え方を知ることができる。



 情報の光学

 さて戦争当事者が、このような予期せざる新事態に直面して、たじろくことなく不断の闘争を続けてゆくためには、二つの性質が是非とも必要になってくる。すなわち、その一つは理性であって、これはいかなる暗闇の中でも常に内的な光を投げかけ、もって真相のいずれにあるかを発き出すものである。その二つは勇気であり、この微弱な内的光に頼ってあえて行動を起そうとするものである。前者はフランス人の表現を借りて比喩的に言えばクー・ディユ〔「眼の一撃」くらいの意味―訳者〕と呼ばれているものであり、後者はいわば決断心である。

  このクー・ディユについて若干考えてみるに、もともと戦争においては戦闘が最も目立ち易いものであり、そして戦闘においては時間と空間が最も重要な要素となる。このことは、騎兵隊が迅速な決戦を絶えず心がけていた時代には一層よくあてはまるものであった。それゆえ、時間や空間についての測定は敏速かつ的確な決断によらざるを得ず、これはまた正確な眼力によってしか目測し得ないものであった。フランス人がクー・ディユと名づけたのはこれである。そしてまた今日まで、多くの兵学理論家はこの語を右に述べたような狭い意義に限って使用してきた。しかし今日では、戦闘を遂行するにあたって下されるべきあらゆる的確な決断が、すべてクー・ディユと呼ばれるに至っていることは注意しておく必要がある。例えば適切な攻撃点を見定めることなどもこれである。つまり、クー・ディユとは単に肉体的眼力ばかりのことではなく、精神的眼力も指しているのである。もちろんこの語は発生上から見れば戦術の領域に属するものではあったが、戦略においてもしばしば迅速な決断が要求されるものである以上、戦略の領域において使用しても差支えない。この語につきまとっている比喩的で狭量なニュアンスを取り除いてその本質を言うなら、このクー・ディユなる語の意味は、日常的眼力の人にはまったく見えないか、あるいは永い観察と熟慮の末ようやく見得るところの真理を、迅速かつ的確に把握し得る能力のことにほかならない。
  (クラウゼヴィッツ『戦争論』)

予見とは実際には寧ろ遅疑なく現在に処そうと覚悟した人々だけに訪れる光の如きものである。
 ( 小林秀雄  戦争について 昭和十二年――1937年 )

・ブッシュ政権は韓国の姿勢、特に若者層の反米運動に激怒している。韓国は中国よりもロシアよりもイラクよりも悪い。
・米国は金王朝崩壊後の民主国家としてのリーダーとして機能するような人材を探している。
・ブッシュ政権は反米国家である韓国や中国に崩壊後の北朝鮮を任せたいとは思っていない。
・手詰まりとなった六者協議を打開するため、食糧支援を6月に視野に入れており、小泉首相は大変苦しい立場に追い込まれるだろう。
・食糧支援とともに部隊を入れて核査察するという条件を加え、北朝鮮が拒否した場合は西太平洋の米軍に命令を発することになる。

この話を講演会で聴いてあと、情報を整理している途中に、自分の中に冷たいものが存在していた。
様々な情報がフラットに感じられ、熱を失っていく奇妙な感覚。

情報にはある程度の物理法則に似た法則が当てはまるような気もする。
情報が持つ密度、熱、速度。
密度は高く、冷たく、速い。
こういった属性の情報は、強さを持つように思う。
一次の情報源が持っていた相対的な零度に近づけば近づくほど、情報は暴れることを止める。

クー・ディユ:
理性。いかなる暗闇の中でも常に内的な光を投げかけ、もって真相のいずれにあるかを発き出すもの。微弱な内的光。
(クラウゼヴィッツ)

密度は薄く、熱く、昏い。
逆にこういう情報は弱い。

人のエネルギーが注がれたものは熱い。
情報は加熱する。

光は熱を持つものだけれど、クラウゼヴィッツのいう微弱で内的な光とは、熱血漢というより「冷静」「沈着」などを尊重しているように、熱は持たない方が良い。
内的な冷たい光はいかにして手に入れることができるか。

屈折した体験と心情がない者は世の中の表面しか分からない。
(大森義夫 著 『「インテリジェンス」を一匙 情報と情報組織への招待』)

とすると、心の闇を持つことも条件に入る。

心の闇が深い人間の、わずかしかない内的な光を集めるには鏡がいる。
鏡となるのは他者であり、他者の厳しい眼に晒される必要がある。
自己の斫断を繰り返し、無意味なものを削ぎ落とし、自己の限界を知る。
微弱な内的光を頼って「composeされた」情報は熱を失っていく。


(後は小泉内閣が退陣するまでの間、いくつか書いていきます)
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sanctuary lost THE ORIGIN VI.沈黙

http://www17.ocn.ne.jp:80/~kuwairai/silence.html
 千里眼たるべし、千里眼となるべし、と僕は言うのだ。詩人は、あらゆる感覚の、永い、限りない、合理的な乱用によって、千里眼になる。恋愛や苦悩や狂気の一切の形式、つまり一切の毒物を、自分で探って自分の裡で汲み尽し、ただそれらの精髄だけを保存するのだ。言うに言われぬ苦しみの中で、彼は、凡ての信仰を、人間業を超えた力を必要とし、又、それ故に、誰にも増して偉大な病者、罪人、呪われた人――或は又最上の賢者になる。彼は、未知のものに達するからである。彼は、既に豊穣な自分の魂を、誰よりもよく耕した。彼は、未知のものに達する。そして、狂って、遂には自分の見るものを理解することができなくなろうとも、彼はまさしく見たものは見たのである。彼が、数多の前代未聞の物事に跳ね飛ばされて、くたばろうとも、他の恐ろしい労働者達が、代わりにやって来るだろう。彼等は、前者が斃れた処から又仕事を始めるだろう

――アルチュール・ランボオ 1871年5月15日付 ドムニイ宛 "見者の手紙"




維新に必要なものを3つ挙げるとすれば、

・外部からの衝撃

・国益に殉ずることのできる、確かな時勢眼を備えた指導者

・新時代の設計図



幕末維新の扉を開けたのは、ペリー提督率いる米国海軍だった。

新世紀維新の扉を開け放つことが可能なのは、おそらく米国海軍以外にはない。



聖域なき構造改革の聖域に入る前に、もう一つの聖域を発こう。

日米関係の原初へと還る。

それが最後の聖域への鍵になる。





 維新の聖域

いよいよ出来の上は、旗号に熨斗を染出すも、なお土蔵付きの売家の栄誉を残すべし

――小栗忠順



小栗忠順は、武士階級がその終焉を迎える時に送り出した幕末の俊英であり、米海軍第七艦隊の母港となる軍港・横須賀の礎を築いた。



小栗が興し、計画した事業
・横須賀製鉄所・艦船製造所(横須賀ドック)の建造。
「軍艦を有する以上は、破損は有中の事なれば、これを修復するの所なかるべからず」
・横須賀製鉄所の運営には必然的に近代的なマネージメントが要求された。小栗は、製鉄所首長のフランス人青年ヴェルニーとともに、組織、職務分掌、雇用規則、残業手当、社内教育、洋式簿記、自然保護、流通機構などの近代経営方法を導入したという。そのため、「近代的マネージメントシステムの父」とも呼ばれた。
・「六備艦隊」構想。後の連合艦隊に連なる構想で、日本を六つの地区に分け、江戸湾に東海艦隊、函館に東北艦隊、能登に北海艦隊、下関に西北海艦隊、長崎に西南艦隊、大阪に南海艦隊を置く。
・軍制(歩兵・騎兵・砲兵の確立)の充実。歩兵・騎兵・砲兵の三兵隊編成と陸軍教育は非常に優れたもので、桂小五郎(木戸孝允)も「関東の政令一新し、兵馬の制頗る見るべきものあり」と、幕府の軍制を高く評価したと言われる。
・日本最初の株式会社「兵庫商社」や諸色会所(商工会議所の前身)の設立。
「外国人と取引致し候には、何れも外国交易の商社(西名コンペニー)の法に基き申さず候ては、とても盛大の貿易と御国の利益に相申すまじくと存じ奉り候」
(小栗の建白書)
・横浜フランス語伝習場(フランス語専門学校)開設。
・滝野川反射炉及び火薬製造所、小石川大砲製造所の建設。
・湯島鋳造所の改造。貨幣の鋳造所。
・中央銀行設立の計画。
・新聞発行の計画。
・書伝箱(郵便)・電信事業の建議。鉄道建設(江戸・横浜間)の建議。
・ガス灯設置の建議。郡県制度(私案として大統領制も視野に入れての)建議。後の廃藩置県に連なる。
(濤川栄太 著『小泉純一郎を読み解く15章』文芸社 参考)



小栗は1860年1月18日、米海軍艦ポーハタン号に乗り込み太平洋を越える。

これが米海軍と日本との初の共同作業であろう。

小栗はこの時一本のねじを持ち帰っている。



▼赤塚行雄 著『君はトミー・ポルカを聴いたか――小栗上野介と立石斧次郎の幕末』

 慶応二年(1866)、小栗は、小野友五郎に密令を与え、アメリカ海軍と接触させる。南北戦争が終わり、軍艦放出の可能性が高いことに着目しているわけだ。
  小野友五郎は、数学者で、軍艦操練所の教授をつとめ、咸臨丸アメリカ派遣の際には、士官として乗り込んで航海測量を担当した。だから軍艦購入委員長としての渡米は、彼にとっては二回目の渡米になるわけで、帰国後は勘定奉行並に昇進している。維新後は、後でふれる小栗の友人、長井昌信と同じく工部省に出仕し、鉄道建設に従事している。なお、著書としては『尋常小学児童洋算初歩』四巻などが残されている。
  小野友五郎らの一行は、三月十八日、国務長官スワードを公式訪問、四月一日にホワイトハウスでアンドルー・ジョンソン大統領に謁見する。ジョンソン大統領は、万延元年の遣米使節のことにふれ、日本海軍の強化に全面的に協力すると約束する。
  小栗が蒔いた種が実り、ジョンスキン准将やポーター中将が親身になって意見を交換してくれ、装鉄艦ストーンウォールの購入が決まる。これは、当時の世界最強の戦艦で、この一艦で、敵の全艦隊を撃破することができるといわれていた。





小栗は当時最高の知米派と言えるだろう。

小栗は1868年1月13日に最後の献策を行い、1月15日その任を解かれた。




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▼司馬遼太郎 著 『竜馬がゆく』

少年時代の小栗には逸話が多い。

 その一例をあげると、十四歳のときに母親の実家の播州林田一万石の領主建部内匠頭の江戸屋敷に父の代理に行った。そのとき藩生や家老をむこうにまわして物おじするどころかいかにも高慢づらで応答し、しかもすでにたばこをくゆらし、たばこ盆をたたく間合までが堂々としていた。なみいるひとびとはこの少年は将来どれはどの巨人になるだろうと舌をまいたという。

 長じて、乗馬、剣にたくみで、幕府役人にとりたてられてからは、上司の無智や惰弱がゆるせないところがあり、しばしば衝突した点、勝に似ている。



十四歳の時、小栗は播磨の大名である建部家を訪れ、藩主に対して臆することなく、「今後の日本は積極的に船をつくり、海外に進出すべきだ」と論じたという。
 (NHK その時歴史が動いた)
その人となり精悍敏捷にして多智多弁、加うるに俗吏を罵嘲して閣老参政に及べるがゆえに、満廷の人に忌まれ、常に誹毀の衝に立てり。小栗が修身十分の地位に登るを得ざりしはけだしこのゆえなり。
  (福地桜痴 著 『幕末政治家』)

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ダグラスは父を理想の人格として生涯を通じて尊敬しており、その勇気、指導力、行政能力をそっくり引きついだといわれる。しかし彼は同時に父の資質に含まれていた二つの欠点も引きついでいた。それは、「自分の領域とみなしているところへ文官が口をさしはさむことに対する軽蔑と侮蔑、そして自分の管轄権を越えた問題に対して遠慮ない発言を行なうこと」であった。この父にしてこの子あり。二人を知るものは親子を貫く強烈な個性についてこうもいう――「わたしはアーサー・マッカーサーほど、とほうもなく自我意識の強い人物はないと考えていた――とにかくその息子に会うまではね」(ジョン・ガンサー)
 (袖井林二郎 『マッカーサーの二千日』)

マッカーサーの複雑な人間性を理解しようと大いに努力し、「冷酷で、見栄っ張り、無節操で自意識が強いが、すごい素質、生き生きとした想像力、過去の事例からすぐ学び取る能力を持ち、指導者になるべき人物だ」
  (リチャード・オルドリッチ 著 『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』)

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孤高という言葉こそ、いまの小泉首相を表現するに最もふさわしいだろう。「孤独で高傲」とは、まさに小泉首相の立場そのままである。
 (「三十年河東 十年河西」)

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改革者はこういった人格に限るようだ。



 小栗は、無口な実行家で、文章もほとんどのこしませんでした。遣米使節のひとびとは多くの記録、随想のたぐいを残していますが、小栗はそういう意味でも沈黙しています。不気味なほどというか、いっそ沈黙がかれの人格表現というか。
  (司馬遼太郎 著 『明治という国家』)





小栗の頭脳は、明治国家の聖域となる。

永遠の沈黙とともに――






▼赤塚行雄 著『君はトミー・ポルカを聴いたか――小栗上野介と立石斧次郎の幕末』

  小栗忠順は、慶応三年元旦から慶応四年四月二日までの一年四ヵ月の間の日記を残している。
  それ以前の日記もあったにちがいないとは思うけれど、この最後の一年四ヵ月の日記が発見されたのでさえ、僥倖といわねばならない。東山道総督府軍は、小栗家にあるものは大砲小銃刀剣から、馬、書画骨董、懐中時計の類まで、目ぼしいものを没収した。没収というより略奪といってよい。その竜巻が荒れ狂ったようなあとに残ったものの中から、当時、東山道総督府軍のお雇いだった男が拾い上げて保管していたのが、この一年四ヵ月間の日記と量入制出簿だったのである。

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 元治元年(一八六四)に岩永に生まれ、幼い時、父に連れられて小栗上州公の悲運の最後を見た塚越停春楼(本名芳太郎)は、後に徳富蘇峰の民友社に入り、「国民新聞」の記者となった。その「小栗上野介末路事蹟」、「小栗上野介末路事蹟補正」によれば、この三月四日の夜、川浦、岩永、水沼、三ノ倉の村役人に、次のような意味のことを語ったという。
  「実は、私は、ここ権田村に私学校をつくり、若者たちに数学、外国語、海外事情などを教えたい。ついては、あなた方の村からも、その志がある若者がいたら、推薦してもらいたい。私はここで官軍と争ったりして事をおこすつもりは全くない。平和な前朝の頑民として、教育に専念したいのだ」



▼司馬遼太郎 著 『明治という国家』

 この場合の小栗の心事は、明快でした。武士として説くべきことを説いた。容れられなかった以上は、わが事が畢ったわけで、それ以上のことはしません。政権が消滅した以上、仕えるべき主もありませんから、江戸を去り、上州の権田村(群馬県費渕村権田)というかれの知行地にひきこもりました。

  のち、関東平野に入った新政府軍は、右の権田村において小栗をとらえ、打首にしています。ばかなことをしたものです。新政府は、徳川家とその家臣団に対し、いっさいこれを罪にする、という革命裁判をやっておらず、やらなかったところが新政府のよさですが、小栗に対してだけは例外で、小栗の言い分もきかず、また切腹の名誉も与えず、ただ殺してしまいました。小栗が、おそろしかったのです。小栗の人物は過大に西のほうにつたわっていて、これを野に放っておけばどうなるかわからない、という恐怖が、新政府側にあったのでしょう。このあたり、やることの気品という点では、徳川の遺臣にくらべ、新政府のほうがガラが悪かったようです。

(中略)

 小栗は、福沢諭吉のいうところの「瘠我慢」をつらぬいて死にました。明治政府は、小栗の功も名も、いっさい黙殺しました。





「お静かに――」

これが彼の最後の言葉となった。

1868年4月6日、小栗上野介忠順、斬首。

享年42。



ここに明治という国家の限界がある。

明治維新の設計図を描いたその根源と、そしてアメリカとの最良のパイプ役を、智への畏れから斬り捨ててしまった。



因果は東京裁判に巡ってくる。




▼平間洋一 著 『日英同盟』

 パワー・ポリティックスを支え、同盟条約締結を促進する要素として軍事力が大きな比重を占めるものである。
(中略)

  また、日本は艦艇だけではなく、それを支える後方支援施設なども整備していた。欧米諸国は極東に艦艇を派遣していたが、アジア・太平洋地域で軍艦を整備できる施設や技術、特に乾ドックは日本の横須賀や呉の海軍工廠にしかなかった。
(中略)

  イギリスが日本の後方支援能力に期待していたことは、日英同盟条約の交換公文に「一方ノ軍艦ガ他ノ一方ノ港内二於テ入渠スルコト、及ビ海軍貯炭所ノ使用トソノ安全ト活動ニ関スル事項ニツイテ、相互二便宜ヲ与フベシ」との条項がイギリスの要求によって加えられたことからも理解できるであろう。



▼赤塚行雄 著『君はトミー・ポルカを聴いたか――小栗上野介と立石斧次郎の幕末』

 明治四十五年の夏、小栗貞雄と息子の久一が、連合艦隊司令長官だった元帥東郷平八郎から丁重な招待状を受け取った。
  日露戦争が終結して七年目に当たる年だった。
  (中略)

 「自分が連合艦隊司令長官としてバルチック艦隊に勝つことができたのは、軍事的には、小栗上州公が横須賀造船所をつくってくれたからで、改めて、あなた方にこのことを申し上げたくて、今日お招きしたのです。振り返ってみて、つくづくとそう思うのです。小栗公の先見力と実行力には、本当に頭がさがります」
  そう語り、今日の記念に、自分の書を進呈したいと申し出た。
  貞雄は、その厚意を深く感謝して、折角揮毫していただくのならば、その為書きは、息子の又一の名にしていただきたいと注文した。
  「仁義禮智信 壬子(明治四十五年)の夏 爲小栗又一君 東郷書」
  東郷平八郎は一気に、そう書き上げた。
  (中略)

  驚くなかれ、一九九〇年代に入ってからも、小栗がヴェルニーに依頼して設置したスチール・ハンマーは威力を発揮しており、なんとアメリカの原子力空母インデペンデンスのボイラーを補修するのにも、この機械をつかっているのである。



▼NHK その時歴史が動いた

マザーマシンの設置
  神奈川県横須賀市には、いまも小栗が計画した造船所がその面影をとどめている。そこには、江戸時代に描かれた造船所の設計図もある。
  図面のなかほど、ちょうど敷地の中央にある製鉄所が、最初に建設がはじめられた施設である。そして、その製鉄所のなかに最初に設置された機械がスチームハンマーであった。
  愛称をマザーマシンという。母なる機械と呼ばれたこのハンマーは、造船所を建設するための資材や部品を生み出すためのものであった。元治二年(一八六五)に設置されたこのマザーマシンは、以来平成九年まで、約一三○年にわたって稼動した。その間、さまざまな資材や部品を生み出し続けて、文字どおり日本近代化の母となったのである。

マザーマシン
 幕府はオランダ・ロッテルダム製の〇・五〜三トンまで六基のスチームハンマーを輸入。そのなかで最大の三トンハンマーが、工具や部品をつくるための工作機械を生み出すことからマザーマシンと呼ばれた。





 横須賀ドックは日英同盟締結、日露戦争の勝利、戦後の日米同盟、そして現在に至るまで、日本という国家の防衛の要として、その中心的な役割を果たし続けている。



 政治・政治家ということばは、あたらしい。
 明治後、ヨーロッパ語の訳として定着した日本語である。
 この新鮮な日本語に該当する幕末人の一人は、小栗上野介忠順(一八二七〜六八)であったにちがいない。
(司馬遼太郎 著 『街道をゆく 三浦半島記』 「小栗のこと」)





小栗の死から一世紀の時を経て、横須賀は一人の政治家を送り出す。





最後の聖域へとゆこう。

喧騒を突き放した静寂の向こう側に、小泉総理のヴィジョンと戦略がある。






 維新への戦略



維新に必要な3つの要素



・外部からの衝撃

・国益に殉ずることのできる、確かな時勢眼を備えた指導者

・新時代の設計図





新世紀維新の黒船――

2002年9月17日

この国に衝撃をもたらした、第一次小泉訪朝。



その日から、この国は明確に変化した。
この日から個としての私自身にも変化が始まっていた。




▼司馬遼太郎 著 『明治という国家』

 明治維新の最大の功績者は、まず徳川将軍慶喜だったでしょう。かれは幕末、外国文書では"日本国皇帝"でした。それが、鳥羽・伏見における小さな敗北のあと、巨きな江戸期日本そのものを投げだして、みずからは水戸にしりぞき、歴史のかなたに自分を消してしまったのです。退くにあたって、勝海舟に全権をわたし、徳川家の葬式をさせました。となると、明治維新最大の功績者は、徳川慶喜と勝海舟だったことになります。

  この功績からみると、薩摩や長州は、単に力にすぎません。また、この瞬間の二人にくらべれば、西郷隆盛や木戸孝允は小さくみえますね。





2004年5月22日

第2次小泉訪朝。

敗北に見えたこの訪朝劇は、恐ろしく不可解な事件だった。

不可解過ぎた、という方が私の個人的感想だった。

この事件は、私に巨大な疑問を衝き付けた。

翌日、2004年5月23日

「IAEA、北朝鮮がリビアにウラニウム提供の証拠を発見」の一報が世界を駆け巡る。

私はもともと2chの[東アジアnews+]の住人だったので、幸運にもあるスレッドの流れを読むことができた。





当時の空気を伝えるために、ここに抽出していたものを載せる。

あくまで2004年5月23日から数日の間に行われた議論であることをお断りしておく。





▼小泉総理訪朝の7つの謎

IAEA、北朝鮮がリビアにウラニウム提供の証拠を発見 

訪朝の翌日、平壌宣言を死文化する情報がアメリカからリークされた。これはとあるスレッドを集約した、あくまで推論の集合に過ぎない。だが、北朝鮮による核拡散情報の確度によっては、北朝鮮問題の大きな分岐点になり得る。

・何故小泉総理は訪朝を急いだのか

・何故一国の宰相としてのプライドを捨てた行動に出たのか

・何故日本側から食糧援助を切り出したのか

・何故小泉総理は平壌宣言に固執したのか

・何故ジェンキンス氏への説得に時間を割いたのか

・何故在日朝鮮人への差別をしないようにする、とのコメントを出したのか

・何故政府は日テレの米支援25万トン報道に過剰反応したのか

国交正常化すべきでない」という意見が11%しかない状況の中、小泉総理のとった不可解な行動の裏には、米国大統領選挙と北朝鮮空爆へのシナリオが見え隠れする。



・アメリカ当局、韓国駐留米軍の撤退・削減などを発表(北は、これを非難)
・アメリカ、グアムの基地へステルスなど配備ほぼ完了との情報
・ラムズフェルド 小型核バンカーバスター発言

・米エネルギー省は、ネバダ州の地下核実験場で25日に核爆発を伴わない臨界前核実験を実施。

もう問題は、日朝なんてレベルをはるかに超えている。
人道支援 ⇒ 新たな核疑惑(現在) ⇒ IAEAの核査察 ⇒ 北が拒否(平壌宣言違反)
⇒ 核疑惑を根拠にWFPが支援物資の凍結(日本の古米&薬はWFP経由で送られる)
⇒ 北が核査察を受け入れないことに日本の世論が沸騰⇒ 安部氏あたりが制裁可能と神発言
⇒ 6ヶ国協議に持ち込む⇒ 主要各国の支持を得た上で『経済制裁』

4/1に平沢・山崎訪中「半年後には分かる」
4月+半年 = 10月

7月1日 イラク新政権へ主権移譲完了
アメリカ大統領選挙日程 11月7日 :投票日

イラク戦争からリビアの屈服。そして北朝鮮の核問題まで発展。

北朝鮮からリビアに核物質が渡っていたなら、テロリストにすでに渡っているだろう。だから94年に北朝鮮を崩壊させるべきだった。クリントンは、また歴史に名を残すのだろうか?テロ国家を放置した史上最大の無能大統領として。

北朝鮮攻撃は、イラク戦争の正当性と民主党の瑕疵を同時に訴え得る。

イラク空爆をいち早く支持した日本政府の判断は正しかった。今世紀の重要な国際的懸案「テロリストとの戦い」において、日本は米英とともに指導的役割を果たしたとも言える。それも武力行使すらせずに。

「Xデー」は10月?



リビア・カダフィの全面協力によりもたらされた情報は、世界に衝撃を与えた。

ttp://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/WireFeed/WireFeed&c=WireFeed&cid=1084193682183
The paper said the classified evidence had touched off a race among the world's
intelligence services to explore whether North Korea has made similar clandestine
sales to other nations or perhaps even to terror groups seeking atomic weapons.

北朝鮮による6弗化ウランのリビアへの販売がわかったおかげで、世界中の諜報機関が北朝鮮が他の国にもウランを販売していないか、またテロリスト・グループにはどうかなどを捜査する競争が一斉に起こっている。(フィナンシャルタイムズ、NYT記事の引用記事)

この記事は、NYTだけでなくロイター、AP、AFPなどが報じているので、世界中の主要な新聞にはだいたい掲載されている。もう北朝鮮は核を完全廃棄するか、戦争するかのどちからしかない。

1) リビアが北朝鮮からウラン買ってたことが明るみに出た
2) 日朝会談で、北朝鮮から「核は自衛のため」という言質を採ってあったので、「自衛はウソ」というカードが取れた
3) リビアはヨーロッパ向けテロの輸出国なので、これまで極東核問題に無関心だったヨーロッパが、北朝鮮に対する態度を変える可能性が出た
4) WFP(人道支援をやっているところ)に、核問題を理由にヨーロッパが圧力を掛けると、25万tの米も11億の医療支援も、日本がWFPに送っても、WFPが北朝鮮に対してストップする可能性が出てきた。
5) 日本の人道支援は、あくまでWFPの要請に応えるものなので、米をWFPに送った後、WFPが北朝鮮に送らなくても、日本は約束を履行したことになる。

このニュースの最も重要な点は、北が他の国にも核を売った可能性があるどころか、テロリストにも売った可能性があるということで。
そして、ここが肝心なんだが、テロリストに対しては「核抑止力」が機能しない。テロリストが核を持ったが最後、世界のどの都市でいつ核爆発が起きるかわからんわけだ。これはアメリカのみならず他の国も絶対容認できない。徹底した核査察の要求は必ず行われる。そして、拒否すれば金政権は経済制裁ないし爆撃によって確実に潰される。

核の運搬手段(ミサイル)を持つ国はそう多くない。テロリストが持てばヨーロッパでの使用のほうが簡単。今回の件は中国を拒否出来ない状況に追い込める。
核拡散で一番打撃を受けるのが陸続きのためいくらでも簡単に輸送・移動出来る大陸国、具体的にはEU・ロシアと、ちょっと影響は小さいけど中国。
で、実際にEUが必死になってテロネットワークに流れてないか情報機関を総動員して確認中なんだけど、IAEAの段階で「三大陸八ヶ国に拡散」、かなり危険な状況。
おそらく今週の核拡散防止国際会議で発狂状態のEUからIAEAに「北朝鮮核の絶対阻止」が要求されると思われ、IAEAもかなり瀬戸際なんでそのまま北朝鮮に査察要求となる可能性大。
ここで、現在進行形で中共がEUを口説いている流れがある、ハイテク禁輸を解除させたい状況でEUを激怒させるのは下策中の下策なのに既にそれに嵌ってる、今後北朝鮮を容認すればそれは確実にEUと絶縁を意味する。
外交と、軍事的に中国自身も核テロの悪夢と無縁でない現実があるときに北を擁護なんてあり得んよ。

結局奴等の生き死には日本が握ってるんだよ。これって、北朝鮮がIAEAに加盟していた時の事件だよね。とすれば、かなり重大な掟破りになる。それに世界中がこれだけテロに過敏になっている時期にこの事実の裏付けが取れたなら、もう北朝鮮包囲網をひくしかない。
そして、北寄りの韓国からも資本が大量に引き上げられるだろう。アメリカという世界一執念深いアングロサクソンの国が、裏切りを見過ごすとは思えない。

北朝鮮から濃縮ウランが輸出されたとを、もっとも心配しているのはアメリカとヨーロッパ・ロシア・中国であると思う。

これらの国々ではすでに、テロが発生している。爆薬から核に変わったとしたらどうなるか。

日本と違いこれらの国は対策立案し実行するだろう。テロリストにとって、濃縮型の核は製造の技術レベルのハードルは低い。難しいのはウランを濃縮すること。輸出先を叩くのが一番効果が高い。

しかし既に8個製造済みて・・・
そのうち何個流出したんだろう・・・
マジでヤヴァイって。



・なぜ小泉総理は訪朝を急いだのか

敵を騙すにはまず味方から、を結果的に実践してみせた

今回の訪朝がどうしても解せなかった。

世論を読むのに長けてる小泉(飯島)が、世論が猛反発するのが必至な経済援助&制裁発動無しを、簡単に宣言してしまったのが。いくら年金問題を逸らすためとはいえ、もっと窮地に陥ることは、素人でもわかる援助の確約をどうして容認したのか。
アンチに言わせれば小泉がバカだから、飯島も年金問題でパニくって正常な判断ができなかった、とかいうだろうけど、その程度でパニくるようじゃ政治家なんてやってられないだろ。それに総理にもなる人物でこれまで多くの難問をクリアしてきたのに。

年金問題をもみ消すための訪朝って風潮が、結果的に隠れ蓑になった。金正日に自らの政治生命延命のためと思わせる。経済援助を餌に、家族の奪還と平壌宣言の確認と遵守を取り付けることに成功。

六ヶ国協議、G8サミットを睨んだら土曜の訪朝しか時間がなかった。
この情報が公開される前に会談を終わらせて、被害者を日本に連れ戻さなきゃならない。
実際土曜日の時点で、会談の内容以外に気になってたのはなぜ、その場で被害者を連れ戻したかだ。
単に返すという約束をして、後から迎えに行くのではなく首相と同時に即帰国させたか。
次の日には状況が一変していることを知っていたとすればすべて納得できる。

このニュースが出る前になんとしても訪朝して、空約束しないといけなかったからじゃないかと疑ってみる。
たしか、安保理に既に北非難決議案は提出されてる。
六者協議の経過を見る為に保留という記憶があるんで、一旦再開すればかなり早く決まると思われ。
日本向けはほぼ確実にデコイ。今から日本向けを作るかもしれんがね、もう手遅れだろう。
現時点で、確実ではないが可能性が高いこと。
1. 次回六カ国協議は核問題に絞り、断固とした査察要求が行われる。

または六カ国協議はもう開かれず、一気に国連安保理に提出される。
2. アメリカが開戦した場合、日本は参戦はしなくとも有事に対処できる体制を整えている。

現時点で、どうなるかまだ不明のこと。
1. 国連安保理で北朝鮮問題が提出された場合、中国・ロシアが拒否権を発動するか。

この両国以外は北朝鮮制裁でほぼ同意するだろう。
2. アメリカ開戦前に、北朝鮮への経済制裁のワンクッションが置かれるかどうか。

現時点で確実と思われること。
1. アメリカは、テロリストにまで核を渡していかねない北朝鮮を絶対に放置しない。これはアメリカだけでなく、世界の危機になりかねないから。そして、今度はEUも放置しない。査察要求は必ず行われる。
2. 北朝鮮は査察を受け入れない。受け入れたら最期だから。
3. アメリカとEUは北朝鮮の核を止めるため強硬手段に出る。
4. アメリカは既に、命令があり次第北朝鮮を空爆する準備を整えている。
以上のデータから、近々北朝鮮への攻撃が行われる可能性は高いと結論できる。

状況的には、これで北朝鮮の主張していた「自国内の」「平和的な」核利用が双方とも否定されたわけだから米国の完全非核化に軍配が上がる、北朝鮮的にはそれは絶対に承認出来ないだろうから六者協議は破談確定。
んで、同様にNPT復帰・IAEA核査察も拒否するだろうから国際規約に従うことを明記した平壌宣言もアウト、今回の合意も破談。
ついでに、安保理に提出されてる北朝鮮非難決議案も、中露の拒否権発動はなくなるわけだから多数決で通るだろうし、大統領選挙が近い米国としては武力行使するもよし、経済制裁で国連との関係修復を図るもよし。

山拓へのインタビューで「6月だと思っていた」という主旨のコメントを言っており、6月訪朝で進んでいたのが早まった。
外務省でも訪朝前の準備に実務協議があと2,3回予定していた。しかし、それを飛び越し今回の訪朝になった。
外務省のほうはTVのNEWSで聞いたが、真実なら小泉首相主導で今回の訪朝が決定したと思われる。



・なぜ一国の宰相としてのプライドを無視した行動に出たのか

会談が終わった後の金豚を見送るときの小泉の顔を見た?お前も最後だなと言う余韻があった。

そういや会談後、金正日が「また会いましょう」って言ったのに対して、小泉が無言だったと報道で聞いたんだが。これって…
馬鹿ではないようだから、その意味するところを理解したはず。
アメリカが、まともに交渉する気などなかったということを(北もそんな気はなかっただろうが)。

グアムでの準備、イラクでのくぎり、韓国への失望と見切り。そのための時間稼ぎにしか過ぎなかったということを。
そういえば2002年の会談直後に金豚と握手をしているときの小泉の顔と同じものを感じたよ。

なんか、あらゆるところに罠が仕込んであるのかもしれないと勘ぐれてしまう。
たとえば今回の訪朝、金正日はものすごく居丈高だったらしいじゃない。ほとんど小泉を下僕扱いしていたという。
これすら、わざと相手に居丈高な振る舞いをさせたとしたら?
近い将来、どうしても金正日の方から小泉にお願いしたいことがあっても、金正日は低い態度を取れないことになってしまった。
以前に威張って下僕扱いした同じ相手に頭を下げたら、金正日自身の権威の失墜を示すわけだろ。
権威で生きてる金正日の権威が失墜したら、政権終わり。

今回の件で年金問題を隠れ蓑にしつつ会談を実行し、キムを釣ったばかりでなく、実際に年金問題も同時にうやむやにできた。一石二鳥どころか今回の行動は幾つもの効果を生みそうだ。

金「複雑な事情の中、良くきてくれた」(選挙の票稼ぎご苦労さん)
小泉 (よし、つかみはOK、まんまとつれたぞ)

小泉「米と医療品を人道支援します」
金「(うほほ)人質帰りたければ帰ればいい」
        ↓
    家族連れ帰る
        ↓
北朝鮮がリビアにウラニウム提供の証拠を発見、IAEA
(The New York Times: 5/23)   報道
        ↓
小泉「あなた方は平壌宣言破りましたな。人道支援停止&経済制裁を行います」
金「人質すべて返しますので許してくれ」
小泉「帰したければ帰すがいい・・・でも制裁はする」

訪朝もリビアのこと知っていて、早くしたのなら、5人取り返しただけでも成果。「批判は甘んじて」といっているのを見て、小泉批判=>アンチ北朝鮮世論沸騰の転化まで考えているなら策士だな。国内の敵(菅・小沢)もつぶしておいて訪朝、5人の奪還、リビアが発覚で1日にして訪朝批判を沈静化させ、10人問題が残ってアンチ北世論は沸騰、安倍も岡田も制裁。

週末あれだけ批判していた平沼が今日になってぴたりと批判を止めた。それはこのニュースが原因か。それともリークした問題が原因か。それとも世論調査が原因か。西岡氏は昼間のザ・ワイドで「反省します」とまで言ってたらしい。

それはつまり、小泉側から大盤振る舞いをしたときに「小泉必死だな(w)と金正日に思い込ませるためだったと。
普通だったら逆に、「何で自分からこんな大盤振る舞いする?おかしいぞ、何か裏がある」と勘ぐられそうだからな。

年金問題は小泉が訪朝を早めた理由にみせかけるためのだろう。
金豚はすっかりこれにだまされ、小泉は点数かせぎに必死でおれに逢いにくる、うんと援助をむしりとってやれ、と油断させたのだろう。

核放棄「リビアとは違う」=金総書記が小泉首相に

 小泉純一郎首相は24日午後、首相官邸で開いた政府・与党連絡会議で、22日の平壌
での日朝首脳会談の内容を報告した。この中で首相は金正日総書記に核放棄を説得した
際、大量破壊兵器の開発計画を放棄したリビアの事例を引き合いに出したが、金総書記は
「北朝鮮はリビアと違う」と反論したことを明らかにした。 

#どうちがうんだよ>金豚

現在「リビア型で」と米も言ってますね



・なぜ日本側から食糧援助を切り出したのか

被害者の会の副会長が認めたね。勘違いだったと。政府から渡された報告書にはこうあったそうだ。
−平壌宣言及び日朝首脳会談の合意事項が遵守される限り、経済封鎖その他の制裁は行わない−
この日朝首脳会談の合意事項には拉致事件も含まれている。
小泉は最強のカードを切ったわけではなかったんだよ。

北朝鮮への食糧支援はトウモロコシ中心で なるだけ安く[05/25]

トウモロコシでは軍部を宥められない。転売もできない。むしろ庶民に放出される可能盛大。
小泉が口先でどう言おうと金正日を忌み嫌ってる証拠。

厚生・大蔵族の小泉だからできることだな。
農水族の影響が強い議員だと、喜んで国産米を買ってたろう。

食糧支援、文書化しない方針 日朝首脳会議
ttp://www.asahi.com/politics/update/0520/003.html
>日本側が「国際機関を通じた支援であり、政府間で文書化するのはそぐわない」などの理由で拒否していたことが分かった。

「どのような問題についても批判はあろうかと思いますが、私どもとしては国際機関の要請を踏まえて人道支援を行うと。しかも国際機関を通じて行うわけでありますので、見返りとは言えない。米国も人道支援を行っております。韓国も行っております。人道上の支援、日本としても国際社会の応分の責任を果たしていきたいと思っております。」と言っている。
「国際機関の要請を踏まえて」「国際機関を通じて行う」「国際社会の応分の責任」と言ってる。
つまり、言い換えれば「国際社会の動きに応じて」の援助であって、「国際社会が制裁賛成に回れば方向を変える」とも読めるんだよ。
さらに、「見返りとは言えない」、つまりこの援助は拉致被害者返還の代償ではなく、それとは別に行うものだと言ってる。そのまま読めば、ただでくれてやるという意味に取れるが、もしも国際世論が制裁賛成に回ったら「国際社会の要請に応じて、食糧援助は止めます。え?家族を返したのにそれはないって?おかしいですね、この援助はもともと拉致の代償じゃなく別物という話だったでしょ?」と言えるわけだ。
恐ろしく深読みが可能な内容だ。・・・馬の鼻先に人参より悪質だ。小泉、鬼だな。

世界食糧計画(WFP)が支援する北朝鮮住民100万人に対する食糧配給が今年5月から中断されたと伝えられた。
24日、WFPの週間報告書によれば、WFPは国際社会の食糧支援不足により、5月初めから北朝鮮の中核支援対象100万人以上に対する食糧配給を中断している。
 また、追加の寄付の約束がない場合、今年10月からは380万人余の中核支援対象全員に対する配給も中断される見通しだと、WFPは懸念した。

>ならないの。
>小泉が約束した身代金は平壌宣言とは切り離した約束なんです。

その通り、日本は人道支援を行う。止めるのはWFP。

WFPはIAEAと同じく国連の機関。日本が支援してもWFPが止めたら届かない
WFPがどういう決定をするかは・・・・


・なぜジェンキンス氏の説得に自ら当たったのか

アメリカがすんなり恩赦とかすると、何か有ると思われるから米は、あえて強行発言を行ない、日本も第三国(中国とか)で、面会(出国)する形をとった。同時に、10人やその他の関しても、全てを急がせると怪しまれるので、1ヶ月ぐらい後に、生存者が帰国するように持ていっている。タイムリミットは、大統領選の11月の3〜4ヶ月前の7〜8月。最初の訪朝予定はもっと遅かったんだろ?確か6月とか何とか・・・平沢は8人帰国の情報は得ていた。しかし、5人帰国とは想定外。安倍氏も平沢と同程度の情報を得ていたんだろう。口では首相をかばっていたが、批判したいのは見え見え。平沼ら拉致議連は小泉首相を批判。会談後、小泉がリストをチェックしたのは連れて帰れる人数=空爆を回避させられる人数をチェックしていたと・・・


家族会の批判を甘んじて受けると言った、小泉の心中も如何ばかりのものだったろうか…
もし、小泉がこれを本当に知って居たんだとしたら、金が去った直後の厳しい顔みると、なんか、苦しいな・・・。
この言葉の意味が、やっとわかってきた・・・・
「甘んじて」
ここ重要だな
人間小泉として、家族救出。政治家小泉として、残った家族や被害者は生死すら黙殺。
400人にものぼるという拉致被害疑惑者すら、戦争ということで切って捨てた可能性もあり得る
という点では、政治家として国益尊重したという点で、既に十分怖いと思う。とても運任せでやったこととは思えないし。

核拡散は御旗としては最上級ですから。

ジェンキンスさんたちを説得しているときの総理の心境は、
ユリウスよロシアを出ろと言ったユスーポフ候の如きものであったのだな…
…間に合うといいけど。


・なぜ小泉総理は平壌宣言に固執したのか

首相官邸のページに小泉の会見があるから見てご覧。
ttp://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2004/05/22press.html
なぜか、くどいくらいに「平壌宣言の重要性」を強調している。
匂わないか?



Q.制裁は出来るの?国際条約上の「確認」は法的拘束力がないって本当?
A.英文ではconfirm 法学的には条約・協定などの「承認」を意味するので、拘束力がありますがなにか?

Q.リビアにウランを提供したのが2001年なら平壌宣言の前になるけど・・?
A.平壌宣言に国際規約(NPT復帰・IAEA核査察)に従うことを明記してあるので、北が『核査察を拒否すれば』平壌宣言を破ることになります。

Q.でも米は送るんだよね?
A.日本は約束通りWFPを通して支援します。人道支援ですからね。ただし国際機関であるWFPが核疑惑を根拠に支援を凍結するかもしれません。その場合でも日本は約束を果たしたことになります。

Q.リビアが核を持つとどうなるの?
A.リビアはヨーロッパ向けテロの輸出国だったので、これまで極東核問題に無関心だったヨーロッパが北朝鮮およびロシアに圧力をかけてくると思われます。また核拡散を絶対に許さないアメリカが強行な手段をとるかもしれません。

Q.小泉首相はIAEAの調査を知ってたの?
A.スレ的には「知っていた派」が多いようです

Q.これから先、どうなっちゃうの?
A.IAEAが核査察を要求し、北朝鮮がそれを拒否することは間違いないでしょう。その結果は6カ国協議に持ち込まれると予想されます。ここで協議が破談になれば舞台は安保理に移り、北朝鮮非難決議案が焦点になります。拒否権を持つロシアと中国がどう動くかは分かりません。





・なぜ在日朝鮮人への差別をしないようにする、とのコメントを出したのか

北が日本の朝鮮総連への課税や万景峰号の検査に対し緩和を迫る論拠を獲得
ttp://www.yomiuri.co.jp/main/news/20040522i113.htm
今後の日朝正常化交渉、総連幹部参加へ 北朝鮮が決定
ttp://www.asahi.com/politics/update/0523/003.html

これって来るべき第二次朝鮮戦争に今までどっちつかずだった朝鮮総連を、北の出先機関であることを彼ら自身に認めさせる事で戦後の処分決定の事実のひとつにするための布石か?
総連は今まで自分たちが置かれた状況によって立場を使い分けてきたわけだ。
拉致が明らかになると「私たちは北朝鮮とは関係ない」。

で、課税されそうになると「施設は北朝鮮との実質的な外交使節云々・・・」。
で、日本国内で総連主導で日朝の友好を促進するっていう条文を盛り込ませたって事は
「総連は、今後北朝鮮からの意向を受けて在日の環境を整えていきます」

って、政府は総連にこう言わせたかったんじゃないかな?
ぶっちゃけていうと、「私たち(総連)は、北朝鮮と密接につながっている機関ですよ」と

マンギョンボンが遠心分離機部品を密輸したこと、その密輸会社が総連幹部のだと
いうことは立件済み。
そして今回の「朝鮮総連は今後の国交交渉に正式窓口として立ち会う」。

中国は半島が完全自由化される事を危惧しているよ。北と台湾は、中国にとって、アメリカとの緩衝材になってるからな。
アメリカも、中国と直接対峙する環境は好まないだろ。だから、半島を統合することを喜ぶ国はほとんどないのが現状。
南鮮自身が、今統合なんて言われたら、経済的な打撃が大きすぎて持たない。当然、応援は日本に依頼される。
そんなことで、日本経済が重荷を背負う事をアメリカが喜ぶとは思えない。

小泉が金の軍門に下ったと思いこんで色んな所が「評価」してしまったからね。

しかし実際は北への攻撃の準備が着々と進んでいる事を知ることになる。

で、「騙された」と思い込んで、八つ当たり気味の小泉批判。

私怨と言うか逆恨みというか・・・まあ前の状態に戻っただけと言う噂もある。

逆にこれを知ってたから、ここまで焦ってたんだろうね。核問題が表面化してしまったら、拉致家族どころではなくなる。
先に取り返せる人だけ取り返しておいたんだろう。



・なぜ政府は日テレの米支援25万トン報道に過剰反応したのか

訪朝のときに年金未加入の誤報を流したのは飯島秘書官。日テレのスクープに切れて排除しようとしたのも飯島秘書官。
普通は官房長官がすることを何故今まで裏方に徹してきた人間がしゃしゃり出てきたのか?
少なくともこの2つの件で北朝鮮は小泉に圧倒的に優位な条件で会談に臨んだ。

重村先生がテレビで言ってたような。自民党の中に小泉訪朝を阻止したい奴がいて、北朝鮮に働きかけたらしい。
その事を北朝鮮が小泉首相側リークしてきたって。確かそんな内容の事を言っていたと思う。
やっぱ自民党内に小泉政権転覆を狙っている奴がいるんだろう。当然わざともらしたのだろう。
今後日テレの情報に注目だ。
政府(小泉)の意図が表れているかもしれない。やっぱ6月まで待てない緊迫した何かがあったんだろうよ。
小泉レベルでしか手に入らない情報が。6月まで待つと状況が悪化して取り戻せなくなる可能性。

そういや日本の援助スクープしたの日テレだよな。自民党の御用報道機関が何故って思ったんだよな。
情報源が政府なら?茶番なら?
日テレへのリークは自作自演だとしたら「米25万トンが確実にもらえる」って思わせるためか?



・北朝鮮、イラク。アルカイダと朝鮮総連

国際"911以降、危険度最高" 「今夏、大規模テロ」の信頼性高い情報

 政府高官は「テロリストが米国を攻撃して深刻な打撃を与えようとしていると
 警鐘を鳴らす確かな情報がある」と指摘。テロリストが通常爆弾とは比較に
 ならない大きな被害を与える生物・化学兵器や放射性物質を使った兵器を
 使用する可能性を懸念している。

「放射性物質を使った兵器」

ほいでもって、マジで実行されたら・・・
出所はどこよ?ってことになったら・・・

北爆決定だな。米世論はおそらく正常な判断力を絶対に喪失する。

入港禁止法成立へ チャーター船も対象 与党・民主修正合意
ttp://www.sankei.co.jp/news/morning/26iti003.htm

日本側の法整備も進展中

ttp://news.xinhuanet.com/english/2004-05/26/content_1490337.htm
US sends radiation detectors to Athens Olympics

新華社;アメリカはギリシャ・アテネに放射線検知器をプレゼント

アテネを訪問中のアメリカ、エネルギー省のSpencer Abraham長官は、オリンピックに
向けての警戒強化のため、放射線検知器をプレゼントした。これは携帯型の高性能の
放射線検知器で核物質の捜索などに有効とされている。これに関連してギリシャの原
子力エネルギー委員会のLeonidas Kamarinopoulos委員長はギリシャの7つの空港、12
の国際港、13の国境検問所に放射線検知システムを設置すると語った。
タイムリーなプレゼントですこと。

日本で拘束されたアルカイダ4人に関しても
もしかしたらこの壮大な歴史の流れを構成する一部分かも知れないね。
日本国内にいる北朝鮮勢力から武器の横流しを受けていた可能性も
否定できないし・・・

武器だけだといいんだけど、よりによって新潟なんだよね。
マンギョンボン号の核資材密輸事件といい、北朝鮮だけじゃなく朝鮮総連の核テロリストと
しての対処も国際問題に既になってるのか?、とちと不安。

最悪の事態を考慮すると、既に核が日本に持ち込まれ
総連に渡っているという可能性も……。

そういや、新潟だったな
なんで新潟なのか、疑問に思っていたが
なんでアルカイダ関係者が新潟を拠点に・・・・

いや、総連が持ってるってのは「総連が日本国内で核を移動させる」ってことなんで、
高確率に公安含む警察組織が捕捉出来る、そっちの心配はあまり必要じゃない。
ただ、船舶というのはある種の治外法権を持っているのは確かで、つい最近までは
マンギョンボンがそれを悪用していた事実もある、特にマンギョンボンによる核資材密輸で
総連幹部が検挙されてる現実がある。
マンギョンボンで核を日本近海まで輸送、港湾内で闇に乗じて/領海外で監視を逃れて
積み替えて、てのは十分危惧される状況では有る。
あと、足利銀行が北朝鮮への送金窓口として新潟でも有名だったこともやはり洒落に
ならない状況と思われ、マネーロンダリング、それも核マネーに関わってたりすると・・・。(鬱

そうやって一つ一つ検討して行くと、アルカイダが新潟で逮捕されたこと、昨年の核資材
密輸検挙や足利銀行破綻&公的資金導入による公営化、マンギョンボンに北朝鮮が
こだわったことや朝鮮総連捜査に関する疑問と今回の総連引っ張り、様々なことに
全く別の側面が見えて来るわけで。

だからマンギョンボン。
指導船長だっけ?、行ってみれば工作員の提督みたいな立場だから朝鮮総連議長より格上。
また、船舶としての治外法権もある、北朝鮮との物資のやり取りもある。
次点の要素としての足利銀行、日本で殆ど唯一の北朝鮮送金機関。
ここから北朝鮮にパチンコマネーを送ってたのは有名だけど、このやり取りの過程で
マネーロンダリングの要素も噛む可能性大。

マンギョンボン→新潟のアルカイダ→世界各国のアルカイダ→世界同時核テロ
(もちろん日本も含む)簡単に言うとこういうことでつか?

総連とアルカイダの糸が繋がれば、この前のイラク3馬鹿もぁゃιぃ線で繋がりそうだw
捕まった本人達は踊らされただけかもしれんが、それに伴う市民団体の動きとか諸々。
総連・アルカイダ・プロ市民(赤軍派)のトライアングル。…まぁ、話が飛躍しすぎかw

もしこれが事実だったとすると、日本国内での法整備を進めてこなかった事
に対して各国からの非難が集中するって事は考えられないかな?
核資材輸出に関して総連幹部の逮捕はしたが、それ以前に
なぜ防止できなかったかって事に。

それを逆に利用して、国内にいる社民や共産、プロ市民団体など北朝鮮シンパの連中を
根絶やしにするというシナリオに転化させることもできるけども・・

北朝鮮とアルカイダを結ぶ仲介役に日本の極左組織が大きな役割を果たしてたとしたら
それを見過ごしていた責任はやっぱり日本という事になりそうな悪寒…

日本がこのまま自浄作用を発揮しなければ、海外からの責任追及に答える為に
色々な面でかなりの損失を覚悟しなければならない状況に追い込まれるかも。

核テロからアテネ五輪守れ…IAEAが共同行動計画 (読売新聞)

【ウィーン=島崎雅夫】国際原子力機関(IAEA)は25日、今年夏のアテネ五輪を
狙った核のテロの脅威に備えるため、核施設の安全度向上や核関連物質の違法移転の阻
止などを盛り込んだ「共同行動計画」を発表した。

同計画はギリシャ政府からの要請で、IAEAが1年前から五輪組織委員会などと協議
し、策定した。

それによると、IAEAは、ギリシャの首都アテネ近郊にある研究用原子炉の防御施設
の安全性を向上させるとともに、ギリシャ国内6都市の医療、工業用施設で使用されて
いる放射性物質の保管体制を強化した。

また、万一、テロリストが放射性物質を入手した場合は、同物質を通常の爆弾で爆発さ
せる「汚い爆弾」を製造する危険性があるため、IAEAは、国境地帯や主要幹線道路
に放射性物質の感知器を設置、数千人の警備担当者や税関職員には放射性物質の簡易感
知器も配布し、水際で核のテロを防ぐ体制を整備した。

米国やフランスなどIAEA加盟国が感知器や核技術を提供したことから、IAEAの
エルバラダイ事務局長は、その「広範な協力体制」を評価し、「過去に前例のない」共
同行動計画の意義を強調した。 26日14時20分
ttp://news.www.infoseek.co.jp/world/story.html?q=26yomiuri20040526i206&cat=35
どうみても本気にみえる・・

新潟って、テロの巣窟と違うかなあ。
横田めぐみさんをはじめ、曽我さん、蓮池さんなども拉致事件は
あそこで起きてるし、万ピョウ何とかという貨客船はあそこの港に
ヨコずけになるし。
スパイ機関朝鮮総連の活動も活発だし。
アルカイーダも北朝鮮のスパイも皆、水面下では握手してますからね。

そこの有力者が田中フアミリーですよね。
田中真紀子氏、小泉総理訪朝について、もったいぶったコメント
してたけど、どうも臭いなあ。


新潟の闇に包まれた不審なあれこれも、このアルカイーダの幹部逮捕で、
かなり炙り出されて、オモテにでてくるのではないかな。
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金正日を見送る姿――戦後の日本外交史上最も醜く、不気味で恐ろしい場面。

恐らく此処に、日本戦後政治の極点がある。

小泉総理の胸中はいかなるものだったのだろうか。





一つの疑問。

小泉総理はその情報が翌日に出ることを知っていたのか。



 国交正常化を進めようとする日本。一部に小泉総理は国交正常化を急ぎすぎているとの批判があることに対しては――

パウエル国務長官
「小泉首相はとても慎重に対応していると思う。米国としては小泉首相の手法を支持している」
  (2004年8月16日 FNN News JAPAN)



その後のアメリカ政府の小泉総理への対応ぶりがその答えを物語っている。

答えは"yes"といって差し支えないだろう。





次に起こる疑問。

何故訪朝したのか。

何故米国は小泉総理の対北朝鮮外交を評価しているのか。

何故その情報を会談で使うことをしなかったのか。

敵地でむざむざ敗北の姿を晒すために?





単純な事実だが、重要なポイントは二つ。

これら一連の対北朝鮮外交は、2001年9月11日の後に行われていること。

もう一つ、これらの外交を仕掛けたのは小泉総理であること。















何のために?















拉致被害者救出のためだけではない。

北朝鮮の核・ミサイル問題の解決は、日米両国にとっては勿論のこと国際社会をテロから守るためにも行われなければならなかった。



聖域なき構造改革の表の顔が郵政民営化ならば、裏の顔は対北朝鮮外交といっていいだろう。

そしてその真の目的とは、先に述べたように新世紀維新に他ならない。



聖域なき構造改革とはつまり、「維新への」構造改革である。



維新の風をわずか一代で、しかも4−6年の間で興すためには?





▼塩野七生 著 『マキアヴェッリ語録』 

 人は、ほとんど常に、誰かが前に踏みしめていった道を歩むものである。先人が行なったことをまねしながら、自らの道を進もうとするものだ。
  それでいながら、先人の道を完璧にたどることも、先人の力量に達することも、大変にむずかしい。それで賢明な人は、踏みしめた道にしても誰のものでもよいとはせずに、衆に優れた人物の踏みしめた道をたどろうと努め、そのような人の行動を範とすべきなのである。たとえ力量ではおよばなくても、余韻にぐらいはあずかれるからだ。
  言ってみれば、これは、慎重な射手のやり方である。的があまりにも遠すぎ、自分の力ではそれに達するのが不可能と思った場合、射手は的を、ずっと高いところに定める。狙いを高く定めることによって、せめては的により迫ろうとするからである。

――『君主論』

 宗教でも国家でも、それを長く維持していきたいと思えば、一度といわずしばしば本来の姿に回帰することが必要である。
  それで、改革なるものが求められてくるのだが、自然に制度の改革ができる場合は、最も理想的である。だが、なにかのきっかけでその必要に目覚め、改革に手をつけた場合も長命だ。
  つまり、はっきりしていることは、なんの手も打たずに放置したままでいるような国は、短命に終らざるをえないということである。
  改革の必要性は、初心にもどることにあるのだが、なぜそれが有益かというと、それがどんな形態をとるにしても共同体であるかぎり、その創設期には必らず、なにか優れたところが存在したはずだからである。そのような長所があったからこそ、今日の隆盛を達成できたのだから。
  しかし、歳月というものは、当初にはあった長所も、摩滅させてしまうものである。そして、摩滅していくのにまかせるままだと、最後には死に至る。
  本来の姿にもどることは、共和国の場合、自発的判断の結果か、それとも外からの圧力によるかのどちらかであることが多い。
  だが、共同体の活性化というこの問題を論ずるにあたって、やはり必要に目覚めた人々の苦労によって為されるほうが、外からの圧力によって無理強いの形で為されるよりも、良策と信ずる。

――『政略諭』

 なにかを為しとげたいと望む者は、それが大事業であればあるほど、自分の生きている時代と、自分がその中で働かねばならない情況を熟知し、それに合わせるようにしなければいけない。
  時代と情況に合致することを怠ったり、また、生来の性格からしてどうしてもそういうことが不得手な人間は、生涯を不幸のうちにおくらなくてはならないし、為そうと望んだことを達成できないで終るものである。
  これとは反対に、情況を知りつくし、時代の流れに乗ることのできた人は、望むことも達成できるのだ。

――『政略論』

 しかし、時代の流れを察知し、それに合うよう脱皮できる能力をもつ人間は、きわめてまれな存在であるのも事実だ。

――『政略論』

 優れた指揮官ならば、次のことを実行しなければならない。
  第一は、敵方が想像すらもできないような新手の策を考えだすこと。
  第二は、敵将が考えるであろう策に対して、それを見破り、それが無駄に終るよう備えを完了しておくこと、である。

――『政略論』

 行動ともなると、遠くに離れていては予知など不可能なものだが、計略の予知ならば、離れているほうがかえって有利なものである。

――『政略諭』

 戦闘に際して敵を欺くことは、非難どころか、賞讃されてしかるべきことである。
 人間生活一般において人を欺す行為は、きわめて憎むべきことだが、戦時は別だ。戦闘状態の中では、策略をめぐらせて敵を欺き、それによって勝利を得るのは、正面きってぶつかっていって勝利を収めるのと同じくらいに、賞讃されてよいことと思う。
 このことに関しては、歴史上の偉人の伝記を書く作家たちも同意見のようである。
 彼らもまた、策略によって勝ったハンニバルやその他の人たちを書くとき、非難どころか誉め讃えたのだから。
 ただし、わたしは、次のことは言っておきたい。
 すなわち、欺くことはよいことだと言っても、それは、信頼を裏切ることでも結ばれた条約を破ることでもないという一事である。
 なぜなら、この種の破廉恥な行為は、たとえそれによって国土は征服できても、名誉までは征服できないからである。
 だから、わたしの言っているのは、あなたとはもともと信頼関係にない相手に対しての、欺きについてである。つまり、戦時下のそれだ。
 たとえば、ペルージア湖のほとりで逃げるふりをして、ローマ軍の包囲に成功したハンニバルのやり方である。彼はまた、ファビウス・マクシムスの包囲網から脱出するのに、牛の角にたいまつを結わえつけて、ローマ軍を欺いたのであった。

――『政略論』

 祖国の存亡がかかっているような場合は、いかなる手段もその目的にとって有効ならば正当化される。
  この一事は、為政者にかぎらず、国民の一人一人にいたるまで、心しておかねばならないことである。
  事が祖国の存亡を賭けている場合、その手段が、正しいとか正しくないとか、寛容であるとか残酷であるとか、賞讃されるものか恥ずべきものかなどについて、いっさい考慮する必要はない。
  なににもまして優先さるべき目的は、祖国の安全と自由の維持だからである。

――『政略論』



▼小林秀雄  戦争について 昭和十二年――1937年

 歴史は将来を大まかに予知する事を教える。だがそれと同時に、明確な予見というものがいかに危険なものであるかも教える。歴史から最大の教訓を知らぬ者だ。歴史の最大の教訓は、将来に関する予見を盲信せず、現在だけに精力的な愛着を持った人だけがまさしく歴史を創って来たという事を学ぶ処にあるのだ。過去の時代の歴史的限界性というものを認めるのはよい。併しその歴史的限界性にも拘らず、その時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れては駄目である。

 この尊敬の念のない処には歴史の形骸があるばかりだ。

 現在は将来の予見の為に犠牲に出来る様なものではない。予見とは実際には寧ろ遅疑なく現在に処そうと覚悟した人々だけに訪れる光の如きものである。歴史は断じて二度繰り返されるものではない。スペインの政府軍が勝っても、フランコ軍が勝っても、ロシヤのモデルもドイツのモデルも繰返される筈はない。支那が将来スペインのモデルを繰返す筈もないのだ。


これは正確にいえば、回帰ではない。

何故なら、かつてこの維新は完遂されなかった。







維新へとこの国を向かわせる3つの策。



衝撃と、屈従と、そして――



新世紀維新への戦略を決定づけるもの。









維新の構想を描いた小栗忠順。

彼が遺した、最後の策を組み入れる。





▼司馬遼太郎 著 『明治という国家』

 江戸開城の前夜、小栗は主戦派でした。

 主戦派がいいとかわるいとかではありません。小栗の心映えというものは、じつに三河武士らしいということをいっています。かれは、薩長から挑戦されてなぜ戦わずして降伏するのか、戦って、心の花を一花咲かせるべきではないか。福沢のいう「瘠我慢」であります。

 小栗の作戦は、こうです。

 薩長軍――新政府軍――は、長蛇の行軍隊形をつくって東海道を東へ東へと進み、箱根をこえて、関東平野に入ります。その行車中の部隊を、静岡県下の東海道でもって、寸断してしまう。その方法は、日本最大の艦隊をもつ徳川方が、駿河湾に海軍兵力をあつめ、艦隊で東海道を射撃しつづけるのです。ある程度の新政府軍はぶじに通過させる。半ばあたりから、これをやるのです。ぶじ通過した新政府車を、関東において袋のねずみにしてやっつけてしまう。

  あとで、新政府軍の総司令官である大村益次郎が――この人は新政府軍唯一の名将だった人ですが――これをきいて"もし徳川方がこれを実施すれば大変なことになっていたろう"といったといいます。おそらく歴史はちがったものになっていたでしょう。









何故ならば、最高の聖域が守護しているものは軍事力だからだ。

マッカーサー司令官の下で国会を監視する任務についていたウィリアム・ジャスティン中佐
「日本は憲法を変えることが出来ないだろう。我々は占領が終わったあと日本人が直ちに憲法を変え、ふたたび軍事国家になることを恐れていた。だから日本人が憲法を変えられないように、さまざまな条件をつけてがんじがらめにした。」
(日高義樹 著『日本人が知りたくないアメリカの本音』)



自衛隊は未だ軍ではない。

小泉総理の政治生命を賭けて送り出された、イラクへの自衛隊派遣。





西太平洋に展開する米軍。





幕末維新の歴史は、江戸城無血開城という形で一つの終幕を迎えた。

歴史は旋転する。





米朝が戦えば、必ず米国側が勝利する。

小泉総理は強硬な外交を主張しない。

何故ならばこの日米の戦略の中心にいる。



小栗と小泉総理が同じ立場であるのは、極東において軍事力を行使するという根源的な決定権を持っていないことだ。

そして違う立場である点は、日本国の最高責任者であるという点。

小泉総理には自衛権の行使に踏み切る責任と権限がある。





小泉総理はここまで忍耐を重ねた。

すべては最後の一手を打つために残されているから。





150年の時が構築した日米関係、歴史、軍事力、経済力、政治、戦略、情報――

すべてを使い切る。





この戦略で何を討つのか?



人、勢力、制度、思想、精神?





―― 戦後という時代

60年という時間 ――





これから予想される動きは、

・北朝鮮の核開発問題の国連安保理への付託

・米国海軍第七艦隊を中心とした海上封鎖

・国内のテロ組織への破防法適用

・最悪の場合、北爆







衝撃波は繰り返し聖域を襲う。

かつて封建制度に終幕をもたらしたように、再び米国海軍によって。

それをこの国に止める術はない。

半世紀前そうだったように。





沈黙が叫びをあげ、古い聖域は破壊される。

破壊され、生成され、構築され、――

――人々の中に繰り返し反響してゆく沈黙

そして、新たな聖域が形成される。



人の想像力以上のものはない。

国民の意志が、国を在るべき処へ運ぶ。



かつて、マッカーサーがそうしたように。



この国には幸運にも、維新という変革への概念が、人々の中に根源的に存在している。



これから、今後数十年の維新の始まりになる。

それは長く、凄絶な道程となるだろう。

約束の地は、楽園ではない。





2001年4月26日。

85%の支持率という国民の意志により、新世紀維新への扉の前に、この国は立った。







小泉政権の終焉は、新世紀維新の幕開けを告げることになる。







私は、この門の前でもう一度立ち止まる。

果たしてこれが聖域の果実だったのだろうか、と。










孤高の宰相



 英雄のまわりではすべてが悲劇になり、半神のまわりではすべてが茶番劇になり、そして神のまわりではすべてが――さて、どうなるのか。もしかすると〈世界〉にでも――

――フリードリッヒ・ニーチェ《善悪の彼岸》




ダグラス・マッカーサー

沈黙の支配者

姿の見えぬ半神の周りで騒ぐ人々

すべては茶番劇







小栗忠順

沈黙の犠牲者

英雄の悲劇

清冽な精神と偉大な事業







小泉純一郎

沈黙の破壊者

神でも半神でも英雄でもなく

この国のこの時代を担った宰相





拉致被害者の人々に同情を示せないほど私は不幸ではないし、

小泉総理がサンパウロで流した涙の理由を忖度できないほど、私は疎いわけでもない。





 知識階級という様な言葉を知らなかった明治の知識人は、自分の責任に於いて知識を愛し求める術をよく知っていた。そして知識人の選良が期せずして到達した大問題は、わが国の伝統的文化と新しい西洋の文化とをどういう具合に統一したらいいかという事であった。漱石も鴎外も一生涯この問題に悩んだ。福沢諭吉も言った様に、日本の知識人の生は二重になっている。この大問題を離れてこれからの日本の文化の個性だからだ。敗戦による反動から、何かと言うと国際的という言葉を喜んで使っているが、個性のない文化なぞ全くなさぬ、cultureとtechniqueとは異うという事にやがて皆が気付く時が来るであろう。日本の文化の個性というものを観察すれば、恐らくこれほど複雑な異質な諸文化を背負うた知識人は世界中にないと思うだろう。封建主義の清算なぞと高を括っていても何んにもならぬと悟るだろう。
  (小林秀雄  知識階級について 昭和二十四年――1949年)









小栗忠順の遺した精髄は、最後に残した戦術よりも、もっと上位のものだ。



未来への透徹したヴィジョン、それを具現化した物理的遺産、誠忠な献身、戦略的思考。





そして、意志。





先人の遺志を受け継いだ人から、私はその遺産を受け取る。





中国や米国は敵であって敵ではない。

国益を最大化する上での選択は何か。

その選択の上で、障害となるものを排除する。

障害でないかそうでないかを分けるものが認識と指導者のヴィジョンであり、障害を排除するものが戦略と呼ばれる。





・小泉政権において、

・北朝鮮が関連する、

・日本の有事。





この条件下でのみ、私が書いたことが意味を為す余地があるかもしれない。

それ以外には意味は無い。





私は硬質なものに、無機的なものになろうと考えた。

自らを鍛え、情報の戦いに耐えうる断片に、可能ならばなりたいと。

情報の戦いは、国家が存続する限り永遠に続く。








 勝が営んだ江戸幕府の葬式というものは、明快な主題がありました。むろん、かれは口外していませんが、"国民の成立"もしくは"国民国家の樹立"ということが、秘めたる主題もしくは正義だったでしょう。
 (司馬遼太郎 著 『明治という国家』)







私は微弱ながら、戦後の日本という時間を見た。



私の唯一つの祈願のために。



私は、この日本という国家の、新しい世紀の一人の国民に、なりたいと思う。







聖域の果実は―――




















美徳は狂暴に抗して、武器を持って起たん

戦火は速やかに熄まん

祖国の民の心に

古えの勇武は今も滅びざれば


――ニッコロ・マキアヴェリ 『君主論』 末尾より
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sanctuary lost THE ORIGIN V.聖域

http://www17.ocn.ne.jp:80/~kuwairai/sanctuary.html
然れど善悪を知るの樹は汝その果を食ふべからず。汝之を食ふ日には必ず死ぬべければなり

――『創世記』2・17




いわゆる「小泉総理にはヴィジョンがない」という批判がある。



小泉総理の掲げる「聖域なき構造改革」とは何か。



第百五十一回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説 平成十三年五月七日

 (新世紀維新を目指して)

  この度、私は皆様方の御支持を得、内閣総理大臣に就任いたしました。想像を超える重圧と緊張の中にありますが、大任を与えて下さった国民並びに議員各位の御支持と御期待に応えるべく、国政の遂行に全力を傾ける決意であります。

  戦後、日本は、目覚ましい経済発展を遂げ、生活の水準も飛躍的に上昇しました。資源に恵まれないこの狭い国土で、一億二千七百万人もの国民が、これほど短期間に、ここまで高い生活水準を実現したことは、我々の誇りです。

  しかし、九十年代以降、日本経済は長期にわたって低迷し、政治に対する信頼は失われ、社会には閉塞感が充満しています。これまで、うまく機能してきた仕組みが、二十一世紀の社会に必ずしもふさわしくないことが明らかになっています。

  このような状況において、私に課せられた最重要課題は、経済を立て直し、自信と誇りに満ちた日本社会を築くことです。同時に、地球社会の一員として、日本が建設的な責任を果たしていくことです。私は、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」という信念の下で、経済、財政、行政、社会、政治の分野における構造改革を進めることにより、「新世紀維新」とも言うべき改革を断行したいと思います。痛みを恐れず、既得権益の壁にひるまず、過去の経験にとらわれず、「恐れず、ひるまず、とらわれず」の姿勢を貫き、二十一世紀にふさわしい経済・社会システムを確立していきたいと考えております。

  「新世紀維新」実現のため、私は、自由民主党、公明党、保守党の確固たる信頼関係を大切にし、協力して「聖域なき構造改革」に取り組む「改革断行内閣」を組織しました。抜本的な改革を進めるに当たっては、様々な形で国民との対話を強化することを約束します。対話を通じて、政策検討の過程そのものを国民に明らかにし、広く理解と問題意識の共有を求めていく「信頼の政治」を実現してまいります。

  相次ぐ不祥事は、国民の信頼を大きく損ねてしまいました。政治や行政に携わる一人ひとりが国民の批判を厳粛に受け止め、職責を真摯に果たす中で、信頼関係の再構築を図っていかなければなりません。

  さらに、国民の政治参加の途を広げることが極めて重要であります。首相公選制について、早急に懇談会を立ち上げ、国民に具体案を提示します。

 (むすび)

  新世紀を迎え、日本が希望に満ち溢れた未来を創造できるか否かは、国民一人ひとりの、改革に立ち向かう志と決意にかかっています。

  私は、この内閣において、「聖域なき構造改革」に取り組みます。私は、自らを律し、一身を投げ出し、日本国総理大臣の職責を果たすべく、全力を尽くす覚悟であります。議員諸君も、「変革の時代の風」を真摯に受け止め、信頼ある政治活動に、共に邁進しようではありませんか。国民並びに議員各位の御理解と御協力を心からお願い申し上げます。

(ttp://www.kantei.go.jp/jp/koizumispeech/2001/0507syosin.html)



私ならば、最も望んでいることを冒頭に述べる。

「聖域なき構造改革」とは方法の名であって目的ではない。

小泉政権が目指す目的とは、究極的には「新世紀維新」である。

これが小泉総理のヴィジョンだ。

ここで問わねばならないのは「聖域」とは何か、ということであるが、それが容易に語りえるものであるならば聖域ではない。





「聖域」とは何であろうか。






 マッカーサー元帥は、自ら〈聖域〉と称して、巨大な執務室に立て篭もり、部下を寄せ付けない〈孤高の人〉であったが、このホイットニー准将だけはその〈聖域〉に立ち入ることができたたった一人の将軍だった。
 (三根生久大 著 『日本の敗北』アメリカ対日戦略 100年の深謀』)



 青い眼の大君 ダグラス・マッカーサー

日本の軍隊が完全に壊滅すれば、ヒロヒトの神聖も国民の目の前で壊滅してしまう。そうすれば精神的虚脱が生じ、新しい考えをうけ入れる機会ができよう。日本国民は彼らに敗北をもたらした多くの手段に対して、恐怖と尊敬をあわせ持つことは避けられないだろう。彼らは力が正義をつくることを信じて、われわれアメリカ人こそ正義の士であると結論するだろう

――ダグラス・マッカーサー

▼袖井林二郎 『マッカーサーの二千日』

「大統領新聞係秘書チャールズ・G・ロスは、先週、日本の降伏提案に対する連合国の回答の中に挙げられた最高司令官にはアメリカ人が任命されるということを確認した。三千マイルの大洋を越えてアメリカ軍を勝利に導いた人々が偉大なキラ星の如く並ぶ中で、そのうち一人が、かつては神聖だった日本の天皇を通じて、平和を達成するという至高の権限を手にするのだ。推測される何人かの候補者の中で一人抜きん出ている者、それはマッカーサー陸軍元帥である。アメリカの戦時指導者すべての中でこの将軍は、ジャップと最も長期間に渡って戦い、最もいまいましい敗北を初期に喫し、しかももっとも輝かしい再起を為し遂げたのだ。他の司令官の誰にも増して、マッカーサーの生々とした個性はこのモダン・ショーグンの役割に適することであろう」

天皇を通じて日本国民を支配する、それこそまさに将軍家の機能に他ならなかった。明治維新によって最後の将軍が廃絶されて以来、七十余年ぶりで、日本は将軍を戴くことを強制される。しかも史上初めて戦いに敗れての結果であってみれば、乗り込んでくるショーグンが紅毛碧眼の偉丈夫であることは是非もなかった。幕末に外国の使節が日本の真の実力者である徳川将軍を「大君(tycoon)」と呼んだひそみにならえば、我々がここで対面するのは「青い眼の大君」である。

/////

ダグラスは父を理想の人格として生涯を通じて尊敬しており、その勇気、指導力、行政能力をそっくり引きついだといわれる。しかし彼は同時に父の資質に含まれていた二つの欠点も引きついでいた。それは、「自分の領域とみなしているところへ文官が口をさしはさむことに対する軽蔑と侮蔑、そして自分の管轄権を越えた問題に対して遠慮ない発言を行なうこと」であった。この父にしてこの子あり。二人を知るものは親子を貫く強烈な個性についてこうもいう――「わたしはアーサー・マッカーサーほど、とほうもなく自我意識の強い人物はないと考えていた――とにかくその息子に会うまではね」(ジョン・ガンサー)

/////

「平和主義とその連れ[同衾者(ベッドフェロー)]の共産主義は、至るところで私たちをとり巻いている。劇場に、新聞雑誌に、協会の説教壇に、講演会場に、学校に、この勢力はさながら霧のようにアメリカの顔をおおい、騒乱を求める勢力を組織化して働く者の倫理を破壊している。われわれは米国にはんらんしているセンチメンタリズムや感情主義を、しっかり地についた常識で置きかえねばならない。

 平和主義のやり方では平和は保証されず、米国を侮辱や侵略から守ることもできない。自尊心を失いたくないと思う国は、みずからを守る用意がなくてはならない。心ある者はだれしも、戦争が残酷で破壊的であることを知っている。しかしわれわれを包む文明という外皮は、戦争熱だけではくずれない。歴史はかつで偉大だった国が国防を怠ったために灰に帰したことを示している。ローマやカルタゴはどうなったか。ビザンチン帝国はどうなったか。あの偉大だったエジプトはどうなったか。死の叫びを世界に無視された朝鮮はどうなったか。われわれもまた滅亡してしまうことを望まないなら、備えをもとうではないか」

1932年6月 マッカーサー ピッツバーグ大学卒業式典記念講演 

 

 この事件(ボーナス・マーチ事件)の年の秋、大統領に当選したフランクリン・ルーズベルトは、このようなマッカーサーの姿に独裁者の影を見出し、「稀代のデマゴーグ」ヒューイ・ロング上院議員と並んで「アメリカで最も危険な二人の人間」に数えた。その言明を直接きいたタッグウェル(のちの大統領顧問)によると、ルーズベルトは次のように語ったという――この国の企業家や影響力ある人々は、この30年代の経済的危機の中で民主主義を軽蔑し、強力な指導者を求めている。アメリカでシーザーになり得る人間の中で「マッカーサーほど魅力と経歴と威厳に満ちた風貌をみごとに備えている人間はいない」

/////

「われら主要参戦国の代表はここに集まり、平和恢復の尊厳なる条約を結ばせようとしている。相異る理論とイデオロギーを主題とする戦争は世界の戦場において解決され、もはや論争の対象とはならなくなった。また地球上の大多数の国民を代表して集まったわれらは、もはや不信と悪意と憎悪の精神を懐いて会合しているのではない。否、ここに正式にとりあげんとする諸事業に前人民を残らず動員して、われらが果たさんとしている神聖な目的に叶うところのいっそう高い威厳のために起ち上らしめることは、勝者敗者双方に課せられた責務である。

 この厳粛なる機会に、過去の出血と殺戮の中から、信仰と理解に基礎づけられた世界、人間の尊厳とその抱懐する希望のために捧げられたより良き世界が、自由と寛容と正義のために生まれ出でんことは予の熱望するところであり、また全人類の願いである。

 日本軍の受諾せんとする降伏条件は、いまや諸君の前の降伏文書の中に記載されている。連合国最高司令官として、予の代表する諸国の伝統に従って、降伏条件の完全、迅速、忠実なる遵守を確かめるために必要とする一切の手段をとると同時に、正義と忍耐をもって予の責務を遂行することは、予の堅き決意であることを声明する・・・・・・」

1945年9月2日 対日戦勝利の日「YJデー」 米戦艦「ミズーリ号」での演説



  日本が降伏文書に調印し占領が正式に始まったその日のうちに、占領軍最高司令官マッカーサーの存在は、天皇の心の中に深く刻みつけられた。すぐれた媒介があったためとはいえ、その源はミズーリ号艦上のスピーチにある。その意味ではこれは日本の歴史を決定したスピーチといえよう。マッカーサーは二千日の在日の間に、日本の国民や指導者を前にした公開の演説または放送を全くしていない。文書による声明か下僚による代読だけである。それまで多くの機会に演説を行ない、雄弁家として知られたマッカーサーは口をつぐんでしまったかの観がある。


 彼は次第に自分自身をはるか高みに押し上げて、天皇と現存する政府とを通じてリモート・コントロールを行なうのだが、それにしても横浜からでは働きかける対象に遠すぎた。日本政府はGHQを横浜に閉じこめようとしていたが、彼は東京にでて来なければならない。将軍には首都に城が必要なのである。
  (中略)

 九月八日マッカーサーがアイケルバーガー、ホイットニーらを引きつれて東京で進駐式を行ない、ついで、アメリカ大使館に星条旗を掲げたことは、単なる大使館の再開ではなく、その旗の下に日本の主権が従属することを意味していた。因みにその国旗は日本が真珠湾を奇襲したときワシントンの国会議事堂の上にかかげられていたものである。日本人もそうだがアメリカ人は特にそうした因縁が好きである。調印式のさいミズリー号にかざられた星条旗は九十二年前、日本の開国を迫ったペリー提督の旗艦のマストにひるがえっていたものであった。



「私は日本国民に対して事実上無制限の権力をもっていた。歴史上いかなる植民地総督も、征服者も、総司令官も、私が日本国民に対してもったほどの権力をもったことはなかった。私の権力は至上のものであった」
「私は八千万を越える日本国民の絶対的な支配者となり、日本がふたたび自由諸国の責任ある一員となる用意と意志を示すまでその支配権を維持することとなったのである」(『回想記』)

/////

 「沈思黙考する遍在神」

 戦いにおける勝者は、勝っただけでは単に敵より強かったか運がよかったにすぎない。彼が力と戦運に恵まれただけでなく、正しかったからこそ勝ったのだということを示すためには、勝者は敗者を裁かなければならない。敗者を断罪することによって、勝利が完成する。太平洋戦争に関する三つの戦犯裁判を指揮することによってマッカーサーはそれを果した。三つとは、マニラの虐殺に代表されるフィリピンにおける残虐行為の責任を問われた山下本文大将の裁判、パターン「死の行進」の責任で起訴された本間雅晴中将の裁判、そして日本の戦争責任を問われた二十八人の指導者にかかわる「東京裁判」である。いずれの場合も、マッカーサーは総司令官として、裁判規則を定め、判決を最終的に審査し、それを承認した。法廷に姿を現わすことは決してなかったが、彼は、これら三つの裁判のすべての上に、「あたかも沈思黙考する遍在神(オムニプレゼンス)のように……鎮座していたのである」(ベアワルド、袖井訳『指導者追放』)。

/////

「日本は民主主義で進まねばいかん。民主主義発展のためには援助を惜しまぬ。……日本はこれから、東洋のスイスたれ」



マッカーサーは
「今日の世界でキリスト教を代表する二人の指導的人物こそ、自分を法王だとさえ考えている。法王が精神的な面で共産主義と戦っているとすれば、かれは地上でこれと取り組んでいるのだ、という考えだ」(『マッカーサーの謎』)。だから、改革の中でもっとも根本的な――そしてそれだけに困難な――改革である、日本国民の精神改革に、彼が力を注いだのは当然であろう。
  (中略)

 だが日本人がキリストを求めなかった最大の理由は、彼らの多くが物質的な復興=繁栄という現世の利益を追うことに専念していたからだったのではないだろうか。それを可能にしてくれた「救世主」としてマッカーサーがいる。それで足りなければ天皇を敬うことも許されている。それ以外の権威を必要とする理由がどこにあろう。
(中略)

「天皇は目に涙を浮べられて、日本再建についてのマッカーサー将軍の態度と関心に感謝の言葉を述べられた。天皇は、国民がマッカーサー将軍を“神風”と考えている、とおっしやられた。ペリー提督はアメリカヘの日本のトビラを開いたが、マッカーサー将軍はアメリカの心を日本に向って開いてくれた」

 マッカーサーがこれを書くために用いた民政局の資料によると’“Kamikaze”は divine influence、つまり「神の威霊」となっている。神に奉仕しているつもりのマッカーサーは、そのあまりに強烈な個性と尊大さの故に、日本人の目には神そのものに映ったのであろうか。そうだとしたら、キリスト教が占領下日本にひろまらなかったもう一つの理由は、マッカーサー自身にあることになる。
(中略)

だが、キリスト教の精神によって、日本を共産主義に対するとりでとして、精神的に武装し「東洋のスイス」たらしめようという理想が実現できないことは、もはや確かだった。

/////

 「立憲的手続の下に支配している多数派のものから政権を窃盗により、また浸透、欺瞞により少数派のものが奪いとることができるための暴力および脅迫の手段として共産主義は出現したのである。概念上、無神論である共産主義は全智全能の神の存在を否定し、人類の高度な感受性を支持する道徳的教訓および神学的教義を拒絶する。共産主義の指導者の人格に適合して共産主義の唯一の潜在的動機は個人的権力の欲望に奉仕することである。
 この目的のために共産主義は犯罪者、腐敗しやすいもの、および無智なもののための集中手段となった」
  「共産主義は混乱、不安および暴力を広めることにより、秩序だった社会の団結および力を破壊しようとするために社会のこれらの変態的分子を一つの組織だった規律ある有力な力に統合するのである。人類の中で共産主義の犠牲になった者に対しては、最後に奴隷にするほか何ものも与えない。共産主義はかくして真の哲学的基礎を持だない国家的および国際的民権剥奪運動として出現したのである」
  「共産主義が成功するためには破壊しなければならない諸自由のタテのかげでその背信的目的を前進し続けていることはこの時代の矛盾の一つであり、かかる運動に対し法律の効力、是認および保護を今後与えるべきや否やの問題を提起するのである」

/////

コワルスキー幕僚長は「当時の米国軍隊の中で、マッカーサー元帥を除いて誰があれだけの自信と自惚れと勇気をもって日本の再軍備を命じることができたであろうか。彼はポツダムにおける国際協定に反し、極東委員会よりの訓令を冒し、日本国憲法にうたわせた崇高な精神をほごにし、本国政府よりほとんど助力を得ずして日本再軍備に踏み切ったのである」と賞賛と皮肉を交えた観測を下している。

 もちろんマッカーサーは日本人への信頼だけで素手で日本の防衛ができるとは考えていなかった。彼は自分の掲げた軍備撤廃の理想が時代に早すぎたことを、朝鮮戦争の勃発によって決定的に知らされたのである。しかし、一旦戦争が始まり、野戦司令官の任についたとき、彼の心は勝つという意思と、それを実現するための方策に支配される。警察予備隊の創設はその一つにすぎない。かくてマッカーサーは変身(メタモルフォーシス)をとげる。クラーク・ケリーはその変身の意味を次のように分析する。

「この変身の中に、我々は再びマッカーサーを一つのシンボルとして見る。それは一人の分裂的人間というシンボルだ―平和と戦争の間に、善と悪との間に引き裂かれる男。永遠の平和を夢みながら常により大きな破壊的な戦争をたたかう男。清冽で安定し思索的で安らぎに満ちた平和の理念を尊びながら、激動に挑戦に、そして戦争という残酷な冒険に、熱心に喜んで応じていく男」―それがマッカーサーなのである。

 あるいはマッカーサーは一人の双面神なのかも知れない。平和の守護神と戦争の英雄という二つの顔を共存させて矛盾を感じないこの男は、公けに示す自分の顔が平和の顔から戦争の顔へ急転換することをみずからの責任とはしない。もし責められるものがあるなら、それは転換を余儀なくさせた状況の方である。いま朝鮮戦争の野戦司令官として、戦う彼の念頭には勝利以外のなにものもない。

/////

 トルーマンはいう―「私の感じでは、マッカーサーはついに真実と嘘の違いのわからない男だったと思う」。「何らリアルな感じのしない男という強い印象がある」というトルーマンのコメントは同じく痛烈である。







ウィルキンソンはマッカーサーの複雑な人間性を理解しようと大いに努力し、「冷酷で、見栄っ張り、無節操で自意識が強いが、すごい素質、生き生きとした想像力、過去の事例からすぐ学び取る能力を持ち、指導者になるべき人物だ」と記している。
  (リチャード・オルドリッチ 著 『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』) 

▼ジェイムズ・バムフォード 著 『すべては傍受されている 米国国家安全保障局の正体』

 これらの報告はすべて、統合参謀本部、ホワイトハウス、マッカーサー元帥、国進軍司令官が利用可能だった。にもかかわらず、十月十五目にトルーマン大統領に中国軍の介入可能性について訊かれたマッカーサーは「きわめて少ない」と答えた。

 「東京のマッカーサー司令部のG−2[情報部]等から配布されていたような通信情報を見ていれば中国人民解放軍の朝鮮戦争介入に驚く者はいなかったろう」と、最近でたNSAの高度機密報告にある。同報告はこの悲劇の責任者としてマッカーサーを直接名指している。第二次大戦中マッカーサーは通信情報を無視し、それに反した戦闘計画を立てた。マッカーサーは鴨緑江に向け進軍することに熱心なあまり、中共軍の大量介入を示唆する通信情報を過小評価したのだろう。かつて彼は日本に関する"不都合"な通信情報報告を過小評価したが、それと同じだ。こうして彼は麾下の将兵を兵を朝鮮における大敗北へ追いやった」





1867年10月14日の大政奉還より、70年余の時を経てダグラス・マッカーサー元帥は占領した日本に君臨した。
日米両国史上に残るこの複雑な人物は、キリスト教の伝道者たらんとして、また維新以来の将軍としてこの国を改造した。

小泉総理の所信表明演説に掲げられた"聖域"と"維新"とは、この戦後日本を造った人物へ向けられたものとして私は捉えている。

雄弁家として知られたマッカーサーは口を噤み、次第に自分自身を遥か高みに押し上げていった。
なぜなら彼は、沈黙の持つ力を知っていたからだ。

沈黙と劇的なエピソードは、人々に神性を見出させる。



江藤淳 著 『閉ざされた言語空間 占領軍の検閲と戦後日本』▼

《 削除または掲載発行禁止の対象となるもの
  (1)SCAP―――連合国最高司令官(司令部)に対する批判
   連合国最高司令官(司令部)に対するいかなる一般的批判、および以下に特定されていない連合国最高司令官(司令部)指揮下のいかなる部署に対する批判もこの範暗に属する。
  (2)極東軍事裁判批判
   極東軍事裁判に対する一切の一般的批判、または軍事裁判に関係のある人物もしくは事項に関する特定の批判がこれに相当する。
  (3)SCAPが憲法を起草したことに対する批判
   日本の新憲法起草に当ってSCAPが果した役割についての一切の言及、あるいは憲法起草に当ってSCAPが果した役割に対する一切の批判。
  (4)検閲制度への言及
   出版、映画、新聞、雑誌の検閲が行われていることに関する直接間接の言及がこれに相当する。
  (5)合衆国に対する批判
   合衆国に対する直接間接の一切の批判がこれに相当する。
  (6)ロシアに対する批判
   ソ連邦に対する直接間接の}切の批判がこれに相当する。
  (7)英国に対する批判
   英国に対する直接間接の一切の批判がこれに相当する。
  (8)朝鮮人に対する批判
   朝鮮人に対する直接間接の一切の批判がこれに相当する。
  (9) 中国に対する批判
   中国に対する直接間接の一切の批判がこれに相当する。
  (10)他の連合国に対する批判
   他の連合国に対する直接間接の一切の批判がこれに相当する。
  (11)連合国一般に対する批判
   国を特定せず、連合国一般に対して行われた批判がこれに相当する。
  (12)満州における日本人取扱についての批判
   満州における日本人取扱について特に言及したものがこれに相当する。これらはソ連および中国に対する批判の項には含めない。
  (13)連合国の戦前の政策に対する批判
   一国あるいは複数の連合国の戦前の政策に対して行われた一切の批判がこれに相当する。これに相当する批判は、特定の国に対する批判の項目には含まれない。
  (14)第三次世界大戦への言及
   第三次世界大戦の問題に関する文章について行われた削除は、特定の国に対する批判の項目ではなく、この項目で扱う。
  (15)ソ連対西側諸国の「冷戦」に間する言及
   西側諸国とソ連との間に存在する状況についての論評がこれに相当する。ソ連および特定の西側の国に対する批判の項目には含めない。
  (16)戦争擁護の宣伝
   日本の戦争遂行および戦争中における行為を擁護する直接間接の一切の宣伝がこれに相当する。
  (17)神国日本の宣伝
   日本国を神聖視し、天皇の神格性を主張する直接間接の宣伝がこれに相当する。
  (18)軍国主義の宣伝
   「戦争擁護」の宣伝に含まれない、厳密な意味での軍国主義の一切の宣伝をいう。
  (19)ナショナリズムの宣伝
   厳密な意味での国家主義の一切の宣伝がこれに相当する。ただし戦争擁護、神国日本その他の宣伝はこれに含めない。
  (20)大東亜共栄圈の宣伝
   大東亜共栄圈に関する宣伝のみこれに相当し、軍国主義、国家主義、神国日本、その他の宣伝はこれに含めない。
  (21)その他の宣伝
   以上特記した以外のあらゆる宣伝がこれに相当する。
  (22)戦争犯罪人の正当化および擁護
   戦争犯罪人の一切の正当化および擁護がこれに相当する。ただし軍国主義の批判はこれに含めない。
  (23) 占領軍兵士と日本女性との交渉
   厳密な意味で日本女性との交渉を取扱うストーリーがこれに相当する。合衆国批判には含めない。
  (24)闇市の状況
   闇市の状況についての言及がこれに相当する。
  (25)占領軍軍隊に対する批判
   占領軍軍隊に対する批判がこれに相当する。したがって特定の国に対する批判には含めない。
  (26) 飢餓の誇張
   日本における飢餓を誇張した記事がこれに相当する。
  (27) 暴力と不穏の行動の煽動
   この種の記事がこれに相当する。
  (28)虚偽の報道
   明白な虚偽の報道がこれに相当する。
  (29)SCAPまたは地方軍政部に対する不適切な言及
  (30) 解禁されていない報道の公表 》

/////

 ここで看過すことができないのは、このように検閲の秘匿を強制され、納本の遅延について釈明しているうちに、検閲者と被検閲者とのあいだにおのずから形成されるにいたったと思われる一種の共犯関係である。

 被検閲者である新聞・出版関係者にとっては、検閲者はCCDかCI&Eか、その正体もさだかではない闇のなかの存在にほかならない。しかし、新聞の発行をつづけ、出版活動をつづけるというほかならぬそのことによって、披検閲者は好むと好まざるとにかかわらず必然的に検閲者に接触せざるを得ない。そして、被検閲者は、検閲者に接触した瞬間に検閲の存在を秘匿する義務を課せられて、否応なく闇を成立させている価値観を共有させられてしまうのである。

  これは、いうまでもなく、検閲者と被検閲者のあいだにおけるタブーの共有である。この両者の立場は、他のあらゆる点で対立している。戦勝国民と戦敗国民、占領者と被占領者、米国人と日本人、検閲者とジャーナリスト――だが、それにもかかわらずこの表の世界での対立者は、影と闇の世界では一点で堅く手を握り合せている。検閲の存在をあくまで秘匿し尽すという黙契に関するかぎり、被検閲者はたちどころに検閲者との緊密な協力関係に組み入れられてしまうからである。

 タブーは伝染すると、文化人類学者はいっている。「タブーとなっている人や物に接触したものは、それ自体がもとのタブー同様危険なものとなり、新たなる汚染の中心となり、共同体にとっての新たな危険の源泉となる」つまり、被検閲者は、タブーとの接触の結果「もとのタブー同様危険なもの」に変質し、「新たな汚染の中心」となり、必然的に「共同体にとっての新たな危険の源泉」とならざるを得ない。

 この伝染現象の動因とたっているのは、恐怖以外のなにものでもない。検閲者の側における「邪悪」な日本に対する恐怖と、被検閲者の側における闇の彼方にいて生殺与奪の権を握っている者たちへの恐怖―――新聞関係者を、国家に対する忠誠義務から解放した「新聞と言論の自由に関する新措置」指令のごときも、それだけではおそらく占領軍当局の期待通りの効力を発揮し得なかったにちがいない。表の世界の"解放"は、影と闇の世界の黙契を支える"恐怖"の裏付けを得て、はじめて日本人の「精神にまで立入り」、これを変質させる手がかりをつかんだのである。

 重要なことは、検閲の存在をあくまでも秘匿するというCCDの検閲の構造そのもののなかに、被検閲者にタブーを伝染させる最も有効な装置が仕掛けられていた、ということである。この点で、CCDの実施した占領下の検閲は、従来日本で国家権力がおこなったどのような検閲と比較しても、全く異質なものだったといわねばならない。

 「出版法」「新聞紙法」「言論集会結社等臨時取締法」等による検閲は、いずれも法律によって明示された検閲であり、被検間者も国民もともに検間者が誰であるかをよく知っていた。そこで要求されたのは、タブーに触れることではなくて、むしろそれに触れないことであった。検間者は被検間者に、たとえば天皇の尊厳を冒涜しないというような価値観の共有を要求したからである。
  つまり、戦前戦中の日本の国家権力による検閲は、接触を禁止するための検閲であったということができる。天皇、国体、あるいは危険思想等々は、それとの接触が共同体に「危険」と「汚染」をもたらすタブーとして、厳重に隔離されなければならなかった。被検間者と国民は、いねば国家権力によって眼かくしをされたのである。

  これに対して、CCDの検閲は、接触を不可避にするための検閲であった。それは検閲の秘匿を媒介にして被検間者を敢えてタブーに接触させ、共犯関係に誘い込むことを目的としていた。いったんタブーに触れた披検閲者たちが、「新たな汚染の中心」となり、「邪悪」な日本の「共同体」にとっての「新たな危険の源泉」となることこそ、検間者の意図したところであった。要するに占領軍当局の究極の目的は、いねば日本人にわれとわが眼を刳り貫かせ、肉眼のかわりにアメリカ製の義眼を嵌めこむことにあった。

/////

《……反抗や敵意、あるいは通敵協力者の烙印を捺されはしないかという恐怖を態度に表わす者は皆無であった。あるいはもしいたとしても、その感情を巧みに隠蔽していた》

/////

検閲を受け、それを秘匿するという行為を重ねているうちに、被検閲者は次第にこの網の目にからみとられ、自ら新しいタブーを受容し、「邪悪」な日本の「共同体」を成立させて来た価値体系を破壊すべき「新たな危険の源泉」に変質させられて行く。

 この自己破壊による新しいタブーの自己増殖という相互作用は、戦後日本の言語空間のなかで、おそらく依然として現在もなおつづけられているのである。

/////

1948年2月6日
  CI&E「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)
CIS局長と、CI&E局長、およびその代理者間の最近の会談にもとづき、民間情報教育局は、ここに同局が、日本人の心に国家の罪とその淵源に間する自覚を植えつける目的で、開始しかつこれまでに影響を及ばして来た民間情報活動の概要を提出するものである。文書の末尾には勧告が添付方れているが、この勧告は、開局が、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の続行に当り、かつまたこの「プログラム」を、広島・長崎への原爆投下に対する日本人の態度と、東京裁判中に吹聴されている超国家主義的宣伝への、一連の対抗措置を含むものにまで拡大するに当って、採用方れるべき基本的な理念、および}般的または特殊な種々の方法について述べている

各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること

 一、戦争の真相を叙述した『太平洋戦争史』(約一万五千語)と題する連載企画は、CI&Eが準備し、G−3(参謀第三部)の戦史官の校閲を経たものである。この企画の第一回は一九四五年十二月八日に掲載され、以後ほとんどあらゆる日本の日刊紙に連載された。この『太平洋戦争史』は、戦争をはじめた罪とこれまで日本人に知らされていなかった歴史の真相を強調するだけではなく、特に南京とマニラにおける日本車の残虐行為を強調している。

  二、この連載がはじまる前に、マニラにおける山下裁判、横浜法廷で裁かれているB・C級戦犯容疑者のリストの発表と開運して、戦時中の残虐行為を強調した日本の新聞向けの「インフォーメーション・プログラム」が実施された。この「プログラム」は、十二月八日以降は『太平洋戦争史』の連載と相呼応することとなった。

d、ラジオ
  (1)『真相はこうだ』――これは『太平洋戦争史」を劇化したものであるが――という番組が、一九四五年十二月九日から一九四六年二月十日まで、十週間にわたって週一回放送された。

  (2)それと同時に、CI&Eは、日本の放送ネットワークに『真相はこうだ』の質問箱の番組を設けた。これは『真相はこうだ』の聴取者に、質問の機会をあたえて番組に参加させようとする意図によるものである。『真相はこうだ』の放送が終了した時点で、この質問箱は『真相箱』となった。この番組は四十一週つづき、一九四六年十二月四日に終了した。この番組には、毎週平均九百通から千二百通の聴取者からの投書が寄せられた

四、この「インフォーメーション・プログラム」の第二段階は、一九四六年初頭から開始された。この第二段階においては、民主化と、国際社会に秩序ある平和な一員として仲間入りできるような将来の日本への希望に力点を置く方法が採用された。しかしながら、時としてきわめて峻厳に、繰返し一貫して戦争の原因、戦争を起した日本人の罪、および戦争犯罪への言及がおこなわれた。第二段階の活動としては、次のようなものがあげられる。

  a、新聞
  (1)週三回の記者会見、毎日の報道提供、新聞社幹部と記者の教化等、活動の大部分は民主化を強調するプログラムにあてられている。かくして日本のあらゆる新聞は、全国的にはCI&Eを、府県別には軍政部を通じて、毎日占領政策の達成を周知徹底させられている。政治、行政、社会の風潮、経済、公衆衛生、福祉、海外貿易等、占領のあらゆる面に関する詳細な説明と質疑応答が、このメディアを通じて処理されている。SCAPは、このメディアを通じて、何を日本人に助言し援助しつつあるかを示している。CI&Eはまた、日本の民主化達成のみならず、経済的、社会的自立のために必要な、詳細な理念と方法を保有している。

  (2)民主化の過程を進行方せる一方で、日本の戦争に関する罪や、破滅をもたらした超国家主義に直接言及し、罪悪感を扶植する努力もなおざりにされていない。一九四六年六月に東京裁判が開廷されるに先立って、CI&Eは国際検事局のために二回の記者会見、弁護団のために一回の記者会見を開催した。この記者会見には、共同通信と全国の代表的な新聞の記者たちが出席した。国際法廷の目的と手続きについて入念な解説が行われ、同様に入念な報道が行われた。横浜では、同地で裁かれるB経戦犯を目的とする「インフォーメーション・プログラム」が開始され、これに関連して一連の記者会見が開かれた。A級およびB級戦犯裁判開始以来、CI&Eは、B級裁判については毎日情報将校提供の広報資料を配布し、A級裁判については全面的な「インフォーメーション・プログラム」を遂行中である。市谷法廷で取村中の日本人記者団との連絡事務に当るために、連絡将校が毎日派遣されている。

  (3)裁判に関する一切の情報を日本の新聞に取得させるために、特に注意が払われているが、とりわけ検察側の論点と検察側証人の証言については、細大洩らさず伝えられるよう努力している。(下略)

  (4)CTC(対敵諜報部隊)およびCI&Eの新聞出版班の活動を通じて、新聞や雑誌の幹部に対し、公式の席上や日常の記者会見の席上で、戦前戦中の日本の報道機関の腐敗ぶりを指摘する試みが、繰返しておこなわれている。日本の侵略と、軍国主義政府のお先棒をかついだ新聞の役割との関係は、動かしがたいものだと力説することにしている。
 一九四七年七月に開催された、日本新聞協会年次総会で、主賓のD・C・インボデン少佐(CI&E新聞課長)は、次のように語った。
 「二、三の日本の新聞編集者と会談したところ、この人々は、新聞が政治上の議論に容喙する責務はないと思うと語った。私は不同意を表明しなければならない。私は確信するが、もし戦前に日本の新聞が政治上の議論に影響力を行使していたならば、東條とその一味徒党は、日本を今日のような悲惨な状況に陥し入れようとはせず、またしようとしてもできなかったであろう……」
「われわれの務めは、……日本に、いつの日か自由な新聞となるべき責任ある新聞を創り出す手伝いをすることである。マッカーサー元帥は、降伏後も日本の新聞に引続いて発刊を許可したが、これは前例を見ないことだ。それまでの歴史の示すところによれば、占領軍の司令官は敵国の新聞に停刊を命じるのが常道である。……」(下略)

五、G−2(CIS・参謀第二部民間諜報局)のみから得られる口頭の報告にもとづき、当CI&Eは左のごとく諒解する。

a 合衆国内の一部の科学者、聖職者、作家、ジャーナリストおよび職業的社会運勤家たちの論説や公式発言に示唆されて、日本の一部の個人ないしはグループが、広島と長崎への原爆投下に"残虐行為"の焙印を押しはじめている。さらにこれらアメリカ人のあいだには、一部の日本の国民感情を反映して、将来広島でアメリカの基金によって行われるべき教育的・人道主義的運動は、何であろうとすべてこのいわゆる"残虐行為"に対する"贖罪"の精神で行われるべきだという感情が、次第に高まりつつある。

  b、一部の日本人、特に世界と同胞に対して、日本の侵略と超国家主義を正当化しようとしている分子のあいだに、東條は自分の立場を堂々と説得力を以て陳述したので、その勇気を国民に賞讃されるべきだという気運が高まりつつある。この分で行けば、東條は処刑の暁には殉国の志士になりかねない。

  c、この二点は、両々相侯って、現在なりを潜めている超国家主義者たちが、占領終了後に再び地歩を固めようとするに当って恰好の証拠となるものである。

 六、これらの態度に対抗するため、今一度繰り返して日本人に、日本が無法な侵略を行った歴史、特に極東において日本軍の行った残虐行為について自覚させるべきだという現実が、非公式にCI&Eに対してなされている。なかんずく"マニラの掠奪"のごとき日本軍の残虐行為の歴史を出版し、広く配布すべきであり、広島と長崎に対する原爆投下への非難に対抗すべく、密度の高いキャンペーンを開始すべきであるという示唆が行われている。

 七、当民間情報教育局これまでの本件に間する研究およびG−2(CIS)ならびに局内のメディア担当責任者との協議の結果、本キャンペーンの「第三段階」は、左記のごとき基本方針および方法によって実施されるのを相当と思料する。

 a、基本方針
  (1)直接かつ正面からの攻撃を目的とする宣伝計画は、双刃の刃となりかねず、大多世論を激昂させ、日本人を一致団結させることにもなりかねないので、極度の注意が肝要である。一方、現在人手可能な文書類は、"超国家主義者"と"残虐行為"的思考が、一部少数の分子に限定されていることを示している。

  (2)全面的な宣伝計画実施との関連において、それがわが方の政策と矛盾しないかどうかという問題についても、考慮しなければならない。現在の政策は、日本の安上りな再建をめどしており、そのためには早期講和が望ましいと考えられている。一方、問題の諸点について"正面攻撃"を開始した場合、占領軍当局はアメリカ国民に対して、日本人は信頼に価せず、経済援助継続には問題があり、講和条約は望ましくないと、黙示的に認めることになる。

  (3)東條裁判と広島・長崎への"残虐行為"はいずれも"ウォー・ギルト"のうちに分類言れてしかるべきものだという点については、大方の見解が一致している。しかしながら、その処理は、左記の計画中に略述されている個々の方法によって多様化することができる。

  b、一般的方法
  (1)超国家主義に対する解毒剤としての政治的情報・教育の強調。(現在までに大規模に実施され、現に実施されつつあるが、さらに一層集中化された「プログラムLを展開中であり、承認を待っている)

  (2)超国家主義運動の復活を示すあらゆる具体的な動きを暴露し、細大洩らさず報道すること。そして、そのことによってそれらの動きを支える誤った思想を指摘し、その不可避な結果を明らかにすること。

  (3)影響力のある編集者、労働界、教育界および政界等々の指導者とつねに連絡を密にすること。その際、全体主義国家に対する自由社会の長所を強調すること。

  (4) 進歩的、自由主義的グループの組織発展を奨励すること。

 c、特定の方法
  (1)新聞
  (a) CI&Eの新聞出版班は、特別任務に当る新聞係将校(単数)を任命したが、その任務は、日本人編集者との連絡を維持し、前記b(3)に示されたイデオロギーを鼓吹するとともに、東條および他の戦争犯罪人裁判の最終弁論と評決について、客観的な論説と報道が行われるよう指導することにある。広島に聞する報道もまた、任務のうちに含まれる。

  (b) 極東国際軍事法廷に常駐する新聞出版係連絡将校(女性)は、東條の最終弁論と評決の段階に特に留意して、引続き自由な新聞の目的と義務に聞する広報活動を行うものとする。

  (c) 新聞出版班は、一九四八年(昭和二十三年)四月に予定されている広島での原爆の碑献呈式に代表を派遣し、日本の新聞関係者がこの行事を正しく解釈するよう指導する。

  (d) 東條と広島の双方について、SCAP各部局より新開発者用に適切な材料を求められることになるものと思われるが、その材料は、パラグラフ五において指摘されている印象に対抗し得るものでなければならない。(マッカーサー元帥の声明が発表されれば、はなはだ有効と思料言れる)

  (2) ラジオ
  (a) CI&Eラジオ班は、戦犯裁判の継続中、パラグラフ四b(1)および(2)に略述方れている線に洽って、引続き定期番組において「ウォー・ギルト」の主題を強調するものとする。また、パラグラフ四b(4)に略述されているその他の番組においても、常時「ウォー・ギルト」の主題に言及するものとする。

  (b) 裁判での東條の最終弁論と評決の段階においては、大々的な取材および報道が計画されている。

  (c) CI&Eラジオ班特別代表一名が、日本の放送関係者に助言と指導をあたえる目的で、四月の献呈式の際広島に派遣される。

  (3) 展示
  (a) CI&E展示現は、すでに戦犯裁判に関するポスター・シリーズの概要を準備し、関係SCAP各部局の承認を待っている。その主題は、何故に戦犯裁判が聞かれているか……いかに少数のグループが、国家と全世界を渾沌のなかに投げ込んだか……にある。……平均的市民は自分の生活の問題についての真の発言権を持てなかった……誤った情報を鵜呑みにしたあげくの因果応報……軍艦、軍用機、弾薬等に費やされた金と、それが平和な目的のために用いられた場合、どれだけの家が建ち、電力の余裕が生じ、近代化が進んだかの比較等々……戦犯裁判から学ぶべき教訓の数々

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つまり、一面における禁止と他面における強制の原則が、ここでも拡大されて効果的に併用された結果、『太平洋戦争史』と題されたCI&E製作の宣伝文書は、日本の学校教育の現場深くにまで浸透させられることになったのである。

それは、とりもなおさず、「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の浸透であった。『太平洋戦争史』は、まさにその「プログラム」の噴火として作成された文書にほかならないからである。歴史記述をよそおってはいるか、これが宣伝文書以外のなにものでもないことは、前掲の前言を一読しただけでも明らかだといわなければならない。そこにはまず、「日本の軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を仮構することによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている。

  これは、いうまでもなく、戦争の内在化、あるいは革命化にほかならない。「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。大都市差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起こった災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである。

 そして、もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいないから。

 CI&Eが、このような対立の図式を仮構するに当って、どの程度マルクス主義的思考の影響を受けていたかは、さだかではない。しかし、「これらのうち何といっても彼らの非道なる行為の中で最も重大な結果をもたらしたものは真実の陰蔽であらう」という、前書の一節が、グロテスクな響きを発せざるを得ないのは、この宣伝文書が、戦争とは国家間の争いにほかならないという自明な「真実」を「隠蔽」したまま、いわゆる「真相」の暴露に終始しているためというほかない。しかも、この宣伝文書が発表されたとき、日本の言語空間は、すでにその存在を秘匿し、「隠蔽」していたCCDの検閲によって、ほぼ完璧に近いかたちに閉され、監視されていたのである。

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 なぜなら、教科書論争も、昭和五十七年(1982)夏の中・韓両国に対する鈴木内閣の屈辱的な土下座外交も、『おしん』も、『山河燃ゆ』も、本多勝二記者の"南京虐殺"に対する異常な熱中ぶりもそのすべてが、昭和二十年(1945)十二月八日を期して各紙に連載を命じられた、『太平洋戦争史』と題するCI&E製の宣伝文書に端を発する空騒ぎだと、いわざるを得ないからである。そして、騒ぎが大きい前には、そのいずれもが不思議に空虚な響きを発するのは、おそらく溜涙となっている文書そのものが、一片の宣伝文書に過ぎないためにちがいない。
 占領終了後、すでに一世代以上が経過しているというのに、いまだにCI&Eの宣伝文書の言葉を、いつまでもおうか返しに繰り返しつづけているのは、考えようによっては天下の奇観というはかないが、これは一つには戦後日本の歴史記述の大部分が、『太平洋戦争史』で規定されたパラダイムを、依然として墨守しつづけているためであり、さらにはそのような歴史記述をテクストとして教育された戦後生れの世代が、次第に社会の中堅を占めつつあるためである。
 つまり、正確にいえば、彼らは、正当な史料批判にもとづく歴史批判によって教育されるかわりに、知らず知らずのうちに「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」の宣伝によって、間接的に洗脳されてしまった世代というほかない。教育と言論を適確に掌握して置けば、占領権力は、占領の終了後もときには幾世代にもわたって、効果的な影響力を被占領国に及ぼし得る。そのことを、CCDの検閲とCI&Eによる「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、表裏一体となって例証しているのである。



WGIPが効力を発揮したのは、次の理由にも因るだろう。



民主主義の定着には歴史が要る。英国の民主主義もマグナ・カルタから名誉革命まで五世紀の試行錯誤を繰り返してきた。日本の現在の民主政治は、政治の実態からいって大正デモクラシーとほとんど変わらないが、一番大きな違いは、その間軍人に政治を委ねた試行錯誤があまりにも破滅的だったために、国民のあいだにもう民主主義以外の選択肢が存在しなくなっている、その安定性にある。
  (岡崎久彦 著 『日本外交の情報戦略』)



日本はキリスト教圏にはなることはなかったが、戦後日本の言語(思考)空間は、思いのほかキリスト教的であるといっていい。



▼永井均 『これがニーチェだ』 講談社現代新書

 だが、ニーチェの議論の真骨頂は、じつはここから先にある。「罪」の、とりわけキリスト教的「原罪」の観念の起源の探究が、次の課題である。それは、債務−債権関係と良心のやましさとを、二つの源泉とする。

  たとえば、責任の観念が成立する以前、罰は、受けた被害に対する被害者の怒りの爆発という意味しかもたなかった。苦痛を与えられたら苦痛を与え返せ。要するにお返しである。だが、なぜお返しをするのか。それは、加害者と被害者の関係が債務者と債権者の関係と感じられていたからであろう。苦痛は、金品とは逆に、与えた者が負債を負って債務者となり、与えられた者が債権者となる。つまりそこにはいわば、お返しすべき約束と責任が暗黙のうちに生じているのである。債務−債権関係の起源は、このように古い。

  こうした債務−債権関係は、現存する人間を越えて、共同体と祖先の間にも成立するようになる。祖先の犠牲と功績に対する畏怖心、祖先に対する負債の意識は、絶対的な債権者として神という表象を生み出すにいたる。ユダヤ教の神がその典型である。だが、この負債の意識は、それだけではまだ、宗教的な意味は持っていても、道徳的な意味は持っていない。それが道徳的な意味を持つためには、やましい良心がそれを自己の内面に取り込む必要があるのだ。

  やましい良心の起源は人間の内面化にある。残酷さに祝祭的な喜びを覚えるような人間の攻撃的な本能が、何らかの力によって外に発散することを妨げられ、はけロを失って内へと祈り返したとき、そこにやましい良心が成立するのだ。自分の心の中の苦悩に自虐的な快楽を感じること――それがやましい良心の本質である。「それと同時に、人類が今日なお快癒していない、最も重い、最も不気味な病気が持ち込まれた。人間が人間であることに、自分自身であることに苦しむという、あの病いである。それは、人間が動物的な過去から強引に引き離され、新たな状況と生存条件へ飛躍し突進したことの帰結であり、これまで人間の力と喜びと恐れの基礎となっていた古い本能へ宣戦布告したことの帰結にほかならない」(『道徳の系譜』)。こうして、人間は反省意識による自己観察を知ることになり、これまで地上に出現したことのない「将来性に富んだあるもの」(同)、すなわち精神となった。この病気とともに、人間はいねば一個の創造的な芸術作品となったのである。

  そのやましい良心があの負債を自己の内面に取り込むとき、外面的な負債(Schulden)は内面的な罪責(Schuld)に変わる。キリスト教の本質は、個々の人間が唯一の神に対して負債を、しかも自力ではけっして償うことができない負債を負っている、という解釈の創造にある。
  自分ではけっして償うことのできない罪――だが、この解釈こそが人間を救うのである。はけ口を失った不安な生は、「罪人」という恪印を押されることによって、はじめて意味を待つからである。人間の生全体を「罪」という観点から意味づける、新たな強力な道徳空間が、こうして成立する。

  この過程は、誰も考えつかないような、じつに意外な、途方もない、最後の一手によって、完成することになる。すなわち、キリストの磔刑である。債権者の方がなすすべもない債務者のために自分を犠牲にするという恐るべき奇策である。「神御自身が人間の罪のために自分を犠牲にされた、神御自身が身をもって支払いを引き受けてくださった、神こそはわれわれ自身が返済できなくなったものをわれわれに代わって返済してくださる唯一の方であられるのだ、――債権者が債務者のためにみずからを犠牲にする、それも愛ゆえに(これが信じられようか?――)債務者への愛ゆえに!」(『道徳の系譜』)

  この返済は、それが知らされてしまったならば、内面化された、精神的に深められた、祈たな負債を生み出すことになるだろう。誰にも借金などした覚えのない者に向かって、こう吹聴してまわる人物がいたらどうだろうか。「まだ気づいていないかもしれないが、おまえは実は莫大な借金をしていたのだ。でも、安心しろ。おまえのその借金は、なんともう俺たちの親分が支払ってくれたのだから」。これを間いて、身に覚えのない者も、つい感謝したくなるだろうか。私ならその人にこう答えたい。「きみがそれを吹聴してまわるかぎり、私はきみを信用できない。人の借金を(愛ゆえに)肩代わりしてくれるほどの方なら、そのことが知られることを望まないであろうから。きみは親分さんを利用して新たな債権者になろうとしているね? きみのその行動そのものが、きみの言説の嘘をすでに示しているのではないか?」

  良心のやましさの成立は、自分で自分の生の現実を知り、自分で自分を統御する、新しい人間の可能性を意味した。だが、キリスト教の僧侶の介入によって、事態は意外な方向に展開したのである。転倒した形ではあっても、敵に向けられていたあの攻撃的本能が、自分に向けかえられ、自分の存在それ自体をやましいものと考える、神の前にひれ伏すしかなすすべのない、精神の奴隷が誕生したのである。
  (中略)

 返済を吹聴してまわるのは、パウロをはじめとするキリスト教の僧侶たちである。ニーチェは彼らを禁欲主義的僧侶と呼ぶ。彼らの介入によって、やましい良心が負債を罪として内面に取り込むようになるとき、人間は神に対して償うことができない負債を負った罪人となるのだ。罪人たちの恐怖を鎮める力を待つのは僧侶だけだ。肉体の病理を知りそれを統御できるがゆえに、医師たちが病人たちを支配する権力を待つのと同様、精神の病理を知りそれを統御できるがゆえに、僧侶たちは「罪人」たちを支配する権カ――この世を越えた絶対的な権力――を待つことになる。M・フーコーのいう牧人型権力の出現である。

  無によって支配され、無に向かって方向づけられた、魂の麻薬患者が、つまりニヒリストが、こうして誕生する。いや、そうではない。それは充実した、意味のある生なのだ。僧侶の方向づけのおかげで、さ迷えるやましい生は、はじめてひとつの一貫した意味を待ったのだ。「これまで人類の頭上をおおっていた呪いは、苦悩そのものではなく、苦悩に意味がないということであった。しかるに、禁欲主義的理想は、人類に一つの意味を提供したのだ。(中略)だが、この解釈は――疑う余地なく――新たな苦悩をもたらした。より深い、より内面的な、より有毒な、より生を蝕む苦悩である。それはあらゆる苦悩を罪というパースペクティヴのもとに引き入れたのである。……にもかかわらず――人間はそれによって救われたのだ」(『道徳の系譜』)。

  われわれは自分の存在の意味の問題に苦しんでいるので、苦悩という最も強い潜在的な力をもっていたものに意味が与えられて、そのマイナスのパワーがプラスに転化することは、大変な喜びなのである。なぜなら、それぱ、苦悩の問題と意味の問題を、一挙に、しかもたぐい稀なほどの力をもって、解決してくれるからである。僧侶は、この世での苦悩の原因を取り除いてはくれないが、それに意味を与えることで、生に希望を与えてくれるのだ。

  そうなってしまえば、僧侶のたくらみを見抜き、その誘惑を拒否する者は、まさにそのことによって、最も罪深い者とされるほかはなくなる。また、意味のある生をうらやましく感じ、しかもなお僧侶の誘惑には乗り切れない者は、そのことによって、また別の種類のニヒリスト――自分の生の空しさを嘆く種類の――にならざるをえなくなる。空間がつくりかえられてしまったのである。
 (中略)

 ところで、この僧侶自身は、いったい何者なのだ? ニーチェは言う。「禁欲主義的僧侶ぱ、別の者でありたい、別の他にありたいという願望の化身である(中略)だが、ほかならぬ彼のこの願望こそが、彼をこの世に縛りつけるのだ。この力ゆえにこそ、彼はこの世で人間として存在するためのさらにいっそう有利な条件をつくりだすために努力せざるをえない道具と化す。――この力のゆえにこそ、あらゆる種類の出来損ない(中略)といった全牧畜の牧人となって彼らを導き、本能的に、彼らを生存につなぎ止めるのである。(中略)禁欲主義的僧侶、この外見における生の敵、この生の否定者、――彼こそが生を護るきわめて大きな力であり、肯定を生み出す力でもあるのだ」(『道徳の系譜』)。ニーチェがけっして単純な思想の宣伝家ではなく、繊細な認識者であり探究者であることが、この引用からもわかってもらえると思う。つまり、牧畜たちとはちがって、この牧人には力があるのだ。

  その創造的な力が、この世の現実を否定する意志と結びついて超越的な背後世界(神、天国、等)を握造し、その観点からこの世の生に意味を与えたとき、禁欲主義的理想が生まれる。背後世界を信じることはこの世で禁欲的であることを強いるからだ。禁欲主義的僧侶とは、自分の本能の力だけで、このような転倒したパースペクティブを打ち立て、みずからそれを生きることができる力を待つ者のことである。だが、その僧侶の生が貫徹されるためには、不安におびえるルサンチマン的弱者の存在が不可欠なのである。そこに完璧な相互依存関係が成立する。僧侶は弱者の「傷から来る痛みを鎮めながら、同時にその傷口に毒を注ぐ」(『道徳の系譜』)。ということはつまり、弱者は傷口に毒を庄がれながらも、その傷から来る痛みを僧侶に鎮めてもらうのである。

「人間のこの本質的に危険な存在様式、すなわち僧侶的な存在様式という土壌の上で、およそ人間というものがはじめて一個の興味ある動物となったのであり、これによってはじめて人間の魂はより高い意味で深さを獲得し、そして邪悪になったのである」(『道徳の系譜』)。つまり、人間という動物はここにおいてはじめて深い意味で悪くなったのであり、興味深い人間的現象のすべては、この悪にその起源を持つのである。

  僧侶は、転倒したパースペクティブの内部においてではあるが、力への意志に活路を与えることに成功した。これは特筆すべきことである。その土壌の上で、自己の罪過をごまかすことに対する極度の潔癖さが、「良心の贖罪師的鋭敏さ」が、つまり真理への意志が育てられたのである。キリスト教によって学問的良心にまで鍛えられたこの真理への意志、真理へのこの誠実さこそが、ついにはキリスト教の虚偽を暴き、それを打ち倒すことになることを、われわれはすでに知っている。禁欲主義的理想によって育てられた真理への意志が、育ての親である禁欲主義的理想そのものを否定するのだ。自分をごまかさずに、自分に嘘をつかずに、誠実に考え直してみるならば、神などじつは存在しない。神の国もじつは到来しない。

  こうして「無への意志」が暴露され、こうして「神」は死ぬ。「比較的近い時代」における無神論の到来である。そのとき一方では、無意味、無駄、徒労、甲斐のなさの感覚がひろがる(受動的ニヒリズム)。他方ではしかし、真理への意志を信じた、新しい、科学的、政治的冒険が開始される(能動的ニヒリズム)。

  禁欲主義的理想の無への意志が、真理への意志を育てることによって、おのれ自身を凌駕するそのプロセスのうちに、ニーチェは、力への意志の自己貫徹を見た。無への意志が、背後でおのれを支えてきた力への意志によってついに凌駕されたのである。隠されていた力への意志が、おのれの外皮を食い破るまでに自己成長を遂げたのだ。だからたとえば啓蒙主義の成立は、力への意志の自己貫徹なのである。そう認識するニーチェ自身もまた、一面では、この自己超克し、自己貫徹する「力」の化身にほかならない。

  だが、ただひとつ、そこにおいてなお、ただひとりニーチェだけが与える最後の一撃がある。それは、その真理への意志そのものに対して、「真理への意志そのものは何を意味するか?」(『道徳の系譜』)という問いを立てたことである。

  この最後の一撃がニーチェを傑出させるのだ。つまり、「真理への意志」そのものに対する真理への意志。「誠実さ」そのものに対する誠実さ。自分の問いそのものを自己破壊することをも辞さない極端化された誠実さ。系譜学の遂行とは、まさにそういう作業であったのだ。だから、それは、最終的には、もはや真理への意志への誠実さであることができず、むしろ、力への意志そのものへの誠実さとなるだろう。こうして、真理への意志もまた無への意志であることが暴露されて、「真理」として現れていた「神」もまた死ぬ。

  なぜ「神」は死ぬのだろうか。ニーチェが与えた究極の答えはこうだろう――もともとほんとうは死んでいたからである。もともと〈神〉が死んでいたからこそ、いま「神」が死ぬのだ。まずは、それが無であることによって〈神〉が死に、つぎにその無が知られることによって「神」が死ぬ。ニーチェのニヒリズム概念の外見上の多義性は、この構造に由来するのであろう。

  それにもかかわらず、同時にまた、この系譜学的探求を通して、「神」に代わるものが発見されたのではないか? 〈神〉が再発見されたのではないか? たしかに、転倒したパースペクティブの内部においてさえ、無への意志という外皮を内側から食い破って、自己貫徹する力への意志が発見された。だが、それは「神」に代わりうるものだろうか。それは〈神〉であろうか?





小泉総理にヴィジョンがないのではない。ヴィジョンは既にその始まりに告げられている。
小泉総理はそれ以来ヴィジョンを語れない、というよりもむしろ語らない。
なぜなら、その戦略の質的な転換を要請する出来事が起こったからだ。

9.11

日本の新世紀の幕開け――この日を境にして、新時代に対応した国家の安全保障体制の確立が要求された。
日本単独での安全保障体制の根幹を破壊し、そして戦後の日本を造ったもう一つのアメリカは、見えない敵との不確実な戦争に突入した。




マッカーサー司令官の下で国会を監視する任務についていたウィリアム・ジャスティン中佐
「日本は憲法を変えることが出来ないだろう。我々は占領が終わったあと日本人が直ちに憲法を変え、ふたたび軍事国家になることを恐れていた。だから日本人が憲法を変えられないように、さまざまな条件をつけてがんじがらめにした。」
(日高義樹 著『日本人が知りたくないアメリカの本音』)



 ブッシュ政権の意向と政権に関係の深いシンクタンク等の提言は、リチャード・アーミテージ氏が中心となってまとめた「合衆国と日本:成熟したパートナーシップへ向けての前進」が象徴する通り、マッカーサーが遺した戦後日本の構造的な弊害を解消することにある。



アーミテージ・レポート

最も重大な点は、日米関係を米英関係にまで高めようという提案である。
総論:アメリカ外交の中心は、ヨーロッパからアジアにシフトしつつある。ヨーロッパにおける大きな軍事紛争の可能性はもうないが、アジアにはある。核兵器使用の可能性もある。台湾海峡と朝鮮半島が最も危険だ。日米同盟こそ、アジア太平洋地域における安定と繁栄の基礎である。
政治:日本の若い政治家たちは、唯経済主義では未来は切り開けないと考えており、国家主権の尊厳に覚醒しつつある。これは同盟強化の好機である。
安全保障:日米同盟のモデルを米英同盟に求めるべきである。しかしそのためには、日本が集団的自衛権の行使を認めなければならない。
情報:アメリカは日本との情報共有を進めなければならないし、日本独自の情報収集衛星を容認すべきである。
経済:日本は規制緩和・市場開放を勇気をもって進め、経済の持続的成長力を回復しなければならない。日本とシンガポールの自由貿易協定は、将来のアメリカとの共同市場設立の実験として歓迎する。
外交:日本は「小切手外交」から脱皮すべき時である。日本外交の独自性追求は、アメリカの国益と相反することはない。
(藤井厳喜 著 『ジョージ・ブッシュと日米新時代』)





小泉総理の新世紀維新の構想もまた、軍事的色彩を帯びていく。

新世紀維新への戦略は何度でも書き換えられる。
アメリカが日本を打ち破ったように、この国はアメリカが遺した亡霊を葬らねばならない。


沈黙を武器にするには、あらゆる誤解を受け入れる必要がある。
それと引き換えに困難な使命の遂行を可能にさせる。



沈黙が支配する聖域への涜聖は、同じく沈黙をもって為される。





▼NHK報道局「自衛隊」取材班 『海上自衛隊はこうして生まれた 「Y文書」が明かす創設の秘密』 

 海上自衛隊の哨戒機P3C百機により集められた潜水艦情報は、横須賀を事実上母港とする米海軍第七艦隊の行動にも生かされ、「ソビエトの軍事力の封じ込めに大きく寄与した」(海幕防衛部幹部)とされている。

 「第七艦隊の打撃力を海自の哨戒能力が補完する体制だった。両者が連動したからこそソビエトは膨大な軍事支出に耐え切れなくなり、冷戦の崩壊に至ったのだ」(海幕首脳)とも言われている。

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「NAVY TO NAVY」という世界各国の海軍に特徴的な用語を説明しながら、小貫は言った。

「世界各国の海軍は、自分たちは外交官であるという誇りと自負があり、国家を超えた連帯感を持っている。特に半世紀にわたって、冷戦時代をともに支えてきたという海上自衛隊の米海軍に対する思いは特別なものがある」

 さらに続けて、

「要するに、海上自衛官は形を変えたアメリカ人なんですよ」

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 アーミテージ米国務副長官の「Show the flag」(旗幟を鮮明に)発言が話題になっていた時である。

 日本とアメリカしか持たない最新鋭の護衛艦「イージス艦」の派遣が、国会でも議論していた。

「イージス艦を出すかどうかのこの議論は、海軍=国家という構図を象徴することだ」

という打ち合せでの小貫の発言が、右田の取材メモにも残っている・

同じ頃のメモに、海上自衛隊の幹部が語った言葉も記されている。

「もしここで海上自衛隊が後方支援に乗り出さなければ、日本は国際社会の孤児になってしまう。アメリカの軍事力にタダ乗りしたまま、政治と経済は一流でも、安全保障では四流といわれる」

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 答える佐久間氏は、穏やかな表情とは裏腹に、切り口の鋭い、明快な言葉を繰り出した。

「イージス艦は、情報通信能力で桁違いのずば抜けた能力を持っています。海上自衛隊はそれを米海軍と訓練し続けてきました。NATO(北大西洋条約機構)よりも互いに連携しやすい関係にあるのです」

 イージス艦派遣の是非、有無については言及せず、佐久間氏は米海軍がいかに海上自衛隊の協力を望んでいるかを具体的な言葉で説明した。

 そもそも「日米同盟」において、明確な共通の目標を持つ日米は、精神的にも一体となったシステムであること、湾岸戦争直後、機雷の掃海を単独ではできない米海軍に代わって、海上自衛隊は最後まで任務を全うし、「ウェルダン」と米海軍の指揮官に称賛されたこと。このように補完し合う海軍同士は国際的な関係なのだ、そう強調する。

 佐久間氏の米海軍への強い信頼感と憧憬にも似た一体感が、ひしひしと伝わってくる。

 米海軍第七艦隊司令部から「海上自衛隊がいてくれて、どんなに心強いか」と言ってもらったと語る時、佐久間氏は何ともいえない満足げな表情を見せた。

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「テロ攻撃で崩壊した世界貿易センタービルがアメリカの富の象徴なら、空母はアメリカの軍事力の象徴だ。世界貿易センタービルの高さが三百メートルあまり、空母の長さもちょうど三百メートルあまりだ。アメリカは次は空母が狙われるかもしれないと本気で恐れていた。だからレーダーも艦載機の使えない停泊という危険な状態を脱し、一日でも早く洋上に出たかったのだ。当時の米海軍の警戒心は尋常ではなかった。」(海幕幹部)

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 チャップリン司令官は、防衛大学校の卒業式や海上自衛隊が主催するパーティーを覗いたことのある人なら一度は目にしたことのある、いわば在日米海軍の「顔」だ。元々ヘリコプターのパイロットで、上陸作戦を行う強襲揚陸艦の艦長として、アフリカのソマリアやカリブ海のハイチでの作戦に参加していたらしいと聞いていた。(中略)

 のちに海上自衛隊のある幹部は、アメリカがヒステリーともいえる状態に陥っていたのだと、当時の事情を打ち明けてくれた。

 2001年9月11日、突如、大型旅客機による自爆テロという予想外の自体に直面したアメリカは、本土の防空に異常なまでに神経質になっていた。本土が直接被害にあったのは、二百年以上前の独立戦争以来初めてのことだった。民間機の飛行は再開させたが上空の監視の目を緩めることはなかった。当時アメリカが考えたのは、アメリカの東海岸と西海岸の両岸にイージス艦を張り付けて、本土の防空を担当させようという前代未聞のアイデアだった。ただ、アメリカ本土の海岸線は単純に計算しても東西それぞれ二千キロ近い。いくらイージス艦のレーダー性能がいいといっても、最低四隻ずつ、計八隻が必要となる。交代のために待機するイージス艦も用意した場合、その倍は必要になる。こうした事情から、アフガニスタンから遠く離れたディエゴ・ガルシア島にイージス艦を一石でも派遣することは、さしものアメリカにとっても大きな負担だったのである。

 この幹部は、米海軍側が「イージス艦を出してくれ」と具体的に要求してきたことはないが、日頃の会話の中で、「米海軍はこういう艦艇をこういう場所に展開させて、こういうことをやっているよ」といった情報の提供を受けていると話した。

 海上自衛隊と米海軍が調節しながら支援の構想を決めているのではなく、米海軍からキャッチした情報をもとに海上自衛隊側がどのようなプランが可能か、みずから組み立てていくというのがこの世界の流儀のようだ。当時、海上自衛隊の幹部の頭の中には、米迂回軍の苦しい台所事情を軽減してあげたい、しかもそれがアメリカの利益にもなり、日本の国益にもつながるはずだという思いがあったのである。これが最初のイージス艦派遣論gの真相だった。

 チャップリン司令官は、日本のイージス艦のディエゴ・ガルシア島への派遣構想については最後まで語らなかったが、司令官は思わせぶりな一言を述べていた。

「日本の周辺海域で日米が共同演習できるのですから、いつの日にか、海上自衛隊の艦艇が米海軍の艦艇と同じ作業を行う能力があると理解しています。私たちが何を頼んでも、海上自衛隊にはまったく問題なくこなせる能力があるでしょう。しかも素晴らしい働きをするでしょうし、私たちはとても頼りになります」

 海上自衛隊はアメリカの秘匿された苦境さえも共有する立場にあり、それゆえアメリカの働きに敏感に反応したということだったのか。なぜ海上自衛隊が焦りを感じていたのか、謎が一つ解けたような気がした。

 取材班は皆、「日米同盟は海洋同盟である」というある幹部の話を思い浮かべていた。

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 防衛庁の電波傍受施設は、昭和58(1983)年の「大韓航空機撃墜事件」の際、旧ソビエト軍機の交信内容を傍受。政府の判断でその内容を「撃墜の動かぬ証拠」として国連に提出するだが、当時の空気を知る四十歳代半ば異常の幹部自衛官は口を揃えて、「あれで十年遅れた」と振り返る。

 要するに傍受内容の公表で、日本がどういった電波情報をどの程度まで聞いているかという手のうちを明かしてしまったことになった。ソビエトはその後、当然のことながら交信方式を変更した。その解読に再び追いつくのに十年を要してしまったというのである。電波傍受能力に関する情報は、極めて秘匿レベルの高いものなのだ。

 さらに、防衛庁・自衛隊にとって、もっと隠さなければならない存在がある。米軍情報である。

 防衛庁の電波傍受施設が動き始める前に、アメリカの軍事衛星から工作情報はもたらされる。アメリカの軍事衛星は、北朝鮮の工作船情報はもたらされる。アメリカの軍事衛星は、北朝鮮の工作船拠点とされるナムポ(南浦)、ウォンサン(元山)、チョンジン(清津)などをはるかな上空から監視、工作船の出入港状況を常時とらえている。出港後も複数の衛星で代わる代わる追跡する。情報は米国防総省情報部局と防衛庁情報本部、横須賀を事実上の母港とする米海軍第七艦隊と海上自衛隊自衛艦隊司令部の、主に二つのルートで入ってくるとされる。こうした情報と並行して防衛庁電波傍受施設での工作船の位置特定作業が進められ、最後に哨戒機P3Cの乗員が目視で相手を確認する、というカラクリだ。

「日米安全保障」の一端と言えばそれまでだが、一般国民には縁遠い両者の関係性がそこにある。

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「日米同盟はその実、海洋同盟である」(海幕防衛課幹部)

すなわち、日米関係の根幹は、戦後一貫して「アメリカ海軍と海上自衛隊にあった」、というのである。

「同盟」とは、軍事的意味を多分にはらむ言葉だ。

 海上自衛隊は、ハワイ・オワフ島にある米海軍太平洋艦隊司令部に、常時三佐クラスの幹部自衛官を連絡官として派遣している。ある太平洋艦隊司令官は、海上自衛隊の連絡官にこう話したという。

「日米関係は、政治にも経済にも存在するが、両国のパートナーシップのために汗を流し、時に犠牲を払ってきたのは、われわれ(米海軍と海上自衛隊)だけなのだよ」

 日米同盟は海洋同盟だという思考は、米海軍側にもあるようだ。

 海上自衛隊のトップである海上幕僚長は、例年、年頭の訓示でまず第一に「米海軍との協調」を挙げるという。海上自衛隊の形は、対米関係を極めて重視する日本の縮図ではないのだろうか。

 ある元海将は、日米同盟について、自分たちがアメリカに全面的に与しているわけではない、と前置きしたうえで、次のように語った。日米同盟を単に”友好”や”連携”という言葉で語らないところが印象的だった。

「弱肉強食の国際政治の現実の中で、日本が生きのびるためには、スーパーパワーであるアメリカにつくしかない。国家として長い将来を考えると、長いものには巻かれなければならぬ時代もあるということだ。アメリカは恐ろしい国だ。日本のDNAを残すためには、今は取り入るしかないんだ・・・・・・。百年か二百年かたって、相手(アメリカ)が仮に弱ってくれば、その時には別の選択肢を考えればよい」

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 『よみがえる日本海軍』でY委員会の資料を含め、様々な資料や証言を駆使しながら、米海軍からみた「海上自衛隊の創設・現状・問題点」を検証した米海軍の少佐、アワー。アワーはこの論文を上梓した後、同研究に伴って培った海上自衛隊人脈を買われて、昭和48(1973)年まで横須賀の在日米海軍司令官の政治顧問を務めた。アワーはその後中佐に昇任。昭和53(1978)年には横須賀を事実上の母港とする米海軍第七艦隊のフリゲート艦の艦長となり、翌54(1979)年には米国防総省の日本担当課長となった。さらに2年後の56(1981)年、ロナルド・レーガン大統領が就任すると、上司の東アジア太平洋地域担当の国防次官補代理に海軍出身のリチャード・アーミテージが就いた。現在、米国務副長官を務めるアーミテージである。アワーとアーミテージはともに日本をはじめ極東の安全保障政策に深く関わった。アワーは昭和63(1988)年、日本担当部長として米国防総省を去るまで公人として日本に関わり続けた。そして今もたびたび来日し、日米同盟の重要性を訴える講演などをして各地を回っている。

 海上自衛隊の幹部はよく、「アメリカの知日派と呼ばれる人たちは皆、海軍出身なんですよ」とうれしそうに語る。日米同盟の基底は「海軍(海上自衛隊)」にあると言いたいのだろう。

 9・11米同時多発テロ事件の後、インド洋に海上自衛隊を派遣するかどうかの議論が続いていた時、ある海幕首脳は米政府内の知日派について次のように語ったことがある。

「米政府内に知日派と呼ばれる人たちはいるが、決して多数派ではない。その人たちの立場を危うくしないためにも、日本が早期に対テロに協力する姿勢を示す必要があると私は思う。日本がいつまでも決心できないと、知日派の面々は『お前たちの育ててきたという日米安保とはこんなものか』と窮地に立たされかねない」

 アワーは現在、米政府担当者ではなく大学教授の肩書を持つが、この海幕首脳の言う「知日派」とは、アワーと現在も気脈を通じているとされるアーミテージなどを指していたと思われる。もちろん海幕首脳の脳裏にはアワーの姿も浮かんでいたのかもしれない。

 アワーは、日米同盟は戦闘条約ではなく「保険政策」だと言った。同盟の目的は戦争に勝利することではなく、紛争が起こることを抑止するためだと笠間に説明した。

「日米同盟関係は、冷戦期よりも強まったと思う。冷戦後すべての違いを超えて日米には共通する国益がある。日米の人口は世界人口の7パーセントにすぎないが、この7パーセントで世界の富の40パーセントを押さえている。言葉も文化も違うが、二つの豊かな大国が繁栄を享受している。日米はともにこの繁栄を享受したいのだ。ソビエトが敵だった時も、ソビエトの人間が憎いからではなく、彼等がわれわれの富を脅かすから戦ったのだ。日米安保は、不安定に対する保険なのだ」

 アワーはさらに冷戦期を振り返ってこう言った。

「率直に言って、冷戦期のソビエトは『日本はアメリカの奴隷だ』と見誤った。アメリカが戦えと言えば、日本は戦うと思っていた。でもそれが抑止力となった。ソビエトはアメリカの艦隊と戦うだけでなく、P3C、護衛艦などを持っている日本艦隊とも戦わなければならないと恐れていたのだ。その抑止力は大きかった。今、中国、北朝鮮が『日本に闘う意思あり』と思っていたら同じ(効果を生む)だろう。しかし『日本が後方支援しかしない』と思ったらリスクはより大きくなる。アメリカと組むことで抑止力は高まるのだ」

 しかし、日本には憲法解釈上、集団的自衛権の行使に歯止めがかけられている。テロ対策特別法に基く対米支援が進められているが、アメリカは日本にどこまでの協力を求めているのか笠間はアワーに聞いた。

「内閣法制局が『日本には集団的自衛権があるが、それを行使できない』と言ったから、制限された。日本には、(一)何もしない、(二)後方支援、の二つの選択肢しかなくなった。しかし、もし日本が将来決断したら、(一)何もしない、(二)後方支援、(三)小規模の戦闘、(四)中規模の戦闘、(五)空軍も導入しての大規模戦闘、という五つの選択肢に増える。しかし、今は政策によって選択肢は二つしかない。今はいいが、将来、後方支援だけでは不十分になったらどうなる?日本の貢献はアメリカ人だけでなく、日本人から見ても不十分なものになるだろう」

 そしてインド洋、アラビア海で進められている海上自衛隊による対米後方支援について「とてもよい評価をしている」としたうえで、その意味をこう解説した。

「今回(の海上自衛隊による支援)は、とても自然な継続の結果だと思うんだ。帝国海軍は1945年で解体され、1952年に(GHQ=連合国総司令部による)占領が終わり、日本にも小さな陸海軍=自衛隊ができた。その初期においてすら、米海軍と海上自衛隊は緊密な関係を持っていた。陸や空の日米関係よりも緊密だった。海運国である日米の国益は、太平洋においてとても近い。陸・空でも現在は日米でより緊密な関係ができているが、海上自衛隊と米海軍の関係は早い時期から築かれ、とても洗練されたものとなっている。1980年代、海上自衛隊と米海軍はとても近かった。1990年代、湾岸(湾岸戦争における日本の軍事的非協力)によってそれは遠ざかった。しかし、それは海上自衛隊のせいではなく政治の問題だ。今、小泉首相が決断し、海上自衛隊は行動できた。政治的決断さえあれば、海上自衛隊は行動できる。日本、そしてアメリカ、さらにイギリスの三カ国はいずれも海運国であり、国益において協力できる」

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 式典では、正面の壁いっぱいに飾られた巨大な「日の丸」と「自衛艦旗」を背にして、石川亮海幕長(当時)が壇上に登った。その場に居合わせた藤木も右田も小貫も笠間も、現役最高幹部が創設50周年のこの日をどのように総括するのか、かたずをのんで見守っっていた。石川海幕長は、終戦直後のある「伝説」から始まった。

「昭和20年(1945)年11月30日、帝国海軍は77年の歴史を閉じました。巻く引きを務めましたのは最後の海軍大臣である米内光政大将であります。帝国海軍が終焉を迎える日、海軍省の中庭において、米内海軍大臣はじめ海軍省職員が見守る中、海軍軍楽隊による演奏会が行われました。その時、最後を飾った曲は、栄光の海軍を象徴する『行進曲海軍』でありました。聴く者も、演奏する者も涙を禁じえず、万感胸に迫るものがあったと伝えられています。この演奏会に参加した人々の胸に去来したものは、海軍への惜別の念と、いつの日にか新たな海軍を再建したいという熱い思いでありました」

 帝国海軍は、明治元(1868)年に海軍局が設置されたのをその起源としている。

 そして敗戦の年(昭和20年)、9月13日に陸海軍の統帥権のすべてを掌握していた大本営が廃止、10月15日に海軍の全作戦を司る軍令部が廃止、陸海軍は完全に武装解除され、11月30日、海軍省も廃止されて77年の歴史に幕を閉じることとなった。

 石川海幕長が式辞の中で披瀝した「伝説」とは、旧海軍最後の日に起きた出来事である。

 海上自衛隊や旧海軍関係者の間で言い伝えられているのだが、この日、今の東京・霞が関の厚生労働省と農林水産省の敷地にあった旧海軍省の中庭に生き残りの海軍省職員が集まり、海軍軍楽隊による演奏が行われた。そして曲目の終わりに「行進曲 軍艦」、いわゆる軍艦マーチが奏でられたのだという。当時、軍艦マーチは軍国主義の復活につながるとして、演奏は自粛されていた。海軍がなくなるにあたり、米内海軍大臣は「海軍の再建」を部下の海軍省幹部に委嘱したというのが「伝説」の中身だ。

 その時、実は軍楽隊の演奏はなかったというのがのちに判明した史実のようだが、石川海幕長の式辞がいきなり海軍解体の話から始まったことに取材班は戸惑いを感じた。各国の駐在武官が列席し、NHKだけでなく民放各社のテレビカメラも回る公の場で、現役最高幹部が「海軍を再建したいという熱い思い」を明言したからだ。

 もちろん内輪では、「伝統墨守、唯我独尊」の海上自衛隊といわれるだけあって、「海上自衛隊は帝国海軍の伝統を受け継いでいる」という話をたびたび耳にした。ただし、現役最高幹部の口から公式の場でこうした発言が出ようとは予想だにしていなかった・・・・・・、というより、いわゆる五五年体制の時代なら、海幕長の進退問題に発展しかねない発言だった。しかし、何事もなかったように、石川海幕長の式辞は次にY委員会の歴史に移っていく。

「日本国民の軍に対する抵抗感が極めて強い時代における旧海軍軍人を中心としたこの一大プロジェクトは、おそらくわれわれの想像を超える大変なご苦労を伴ったものと推察されます。これら諸先輩の心を支え、苦難を乗り越えさせたものは、米内大将以下が海軍最後の日に誓った『新しい海軍』を再建し、再び『行進曲 軍艦』をよみがえらせるという一念であったと思います」

「われわれは、今後とも海軍のよき伝統を日本の財産として、堂々と継承してまいります。そして、そのうえに『真心を尽くす』ということを精神基盤とした海上自衛隊のよき伝統を築き上げていく決意であります。

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 海上自衛隊の幹部(三尉以上)と呼ばれる人たちに「アーレイ・バーク大将を知っていますか」と問えば。99パーセントの人は「はい」と答えるだろう。今の若手士官でも知らない人はいない。そして、皆バークを「海上自衛隊の生みの親」の一人として認識している点で一致している。

 1901(明治34)年に生まれたアーレイ・バークは、メリーランド州アナポリスにある米海軍兵学校を卒業、太平洋戦争で日本海軍との熾烈な戦闘を戦い抜いた。戦後、1950年(昭和25)年9月に来日。当時、東京にあった米極東海軍司令部の参謀副長(少将)として、朝鮮戦争が激しさを増す中、翌5月に転属になるまで勤務を続けた。

 この日本滞在の間、バークは旧日本海軍幹部らによる「海軍再建」計画に助言を与え、彼等の意向を米海軍作戦本部に伝える役割を担った。アメリカによる占領下、バークの存在が海上自衛隊の前身、海上警備隊の発足に果たした役割は極めて大きかった。

 その後、バークは1955(昭和30)年に米海軍トップの作戦部長(CNO)に就任。歴代作戦部長の中でも異例と言える三期六年の任期を勤め上げ、退役した。この間バークは、米海軍と同じ護衛艦や対潜哨戒機を海上自衛隊に対して提供することに尽力した。この頃つくり上げられた海上自衛隊の部隊編成は、現在のそれの基礎とも言える。

 バークの存在は、海軍兵学校出身の草創期の幹部たちから防衛大学校世代の幹部へと語り継がれてきた。さらに1970年代、バーク自身が米東海岸のノーフォーク海軍基地に寄港する海上自衛隊の遠洋航海部隊の初任幹部に対し、決まって「海軍士官のあり方」といったテーマで講和を行っていた。この頃の初任幹部は、今海上自衛隊の最高幹部クラスに位置している。こうした背景があって、海上自衛隊では今の若手士官に至るまで、バークを「(みずからの組織の)生みの親」と認識しているのである。

 また、海自の公的な記録の中でもバークは圧倒的な存在感を示している、1977(昭和52)年、創設から25年を迎えて海上自衛隊が編纂した『海上自衛隊二十五年史』には次のような記載がある。

「バーク少将は米極東海軍司令部参謀副長の職を離れた後も、わが国の防衛力建設に関するよき理解者であった。海上自衛隊が設立された後、米海軍作戦部長バーク大将の尽力により『あきづき』『てるづき』二隻の護衛艦が域外調達され、海上自衛隊に提供された他、当時の最新鋭対潜機P2V−7・16機、及びS2F−1・60機が無償提供され、P2V−7の国産が実現するなど、同大将は創設期の海上自衛隊の育成に多大の尽力を与えた」

こうした関係だから、海上自衛隊は、海上自衛隊はアーレイ・バークを非常に大事にした。ある意味で「ご先祖様」のような感覚で敬っていたところがある。防衛庁担当記者の小貫は、現在の海幕副長・道家一成海将からバークの思い出を聞く機会があった。

道家海将は、平成2(1990)年6月から同5(1993)年までの三年間、ワシントンの日本大使館で防衛駐在官を務めた。当時の階級は一佐だった。

大使館着任後間もなく米海軍のトップ、海軍作戦部長の交代式がアナポリスの米海軍兵学校で行われた。この式典に海幕長経験者四人が出席した。四人の米滞在中の日程に「バーク大将訪問」もあり、道家海将が案内することになった。

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増田教授

「アメリカという占領する側の考えが変わると、直ちに占領される側の日本は影響を受ける。占領された側としてはやむをえないことだが、日本はアメリカの方針転換に翻弄され続けた。軍人などの公職追放解除をめぐる動きも、その最も顕著な例だったのだと思います」

占領開始直後、アメリカは日本の非軍事化・民主化を中心とした政策を行っていたが、冷戦の開始に伴い、1948年1月、ロイヤル陸軍長官の「日本の反共防波堤化」演説をきっかけとして変化していった。さらに同年10月にまとまられた対日占領政策「NSC13/2」によってアメリカは、日本の経済自立化を促す方向へと大きく政策転換した。それが海上自衛隊の創設に関するアメリカの転機だったと増田教授は指摘する。

 ただし・・・・・・、と増田教授は付け加えた。

「日本は、アメリカの変心に翻弄されるだけでなく、したたかにそれを自分のものにしていった。その姿に今の日本を見るうえでの連続性を感じます」

 占領期と戦後日本の「連続性」。この言葉は番組にとって重要なキーワードとなっていく。

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1948年(昭和23)年3月 マッカーサーとジョージ・ケナンの会話記録

 朝鮮戦争前、国務省をはじめとするアメリカ政府は、すでに日本の再軍備の可能性を検討し始めていた。しかし、マッカーサーは再軍備は不可能であると考えていた。

 当時は国務長官高官であったケナンとの会話の中で、「日本人の戦争体験からくる再軍備への拒否感」と、日本国憲法の存在がそう考える理由だと明確に語っている。

1948年10月21日 国務長官から米統合参謀本部へのメモ

 アメリカ政府は、「共産主義の防波堤として」日本の再軍備を必要と考えていた。しかし、具体的な方法としては、軍隊再建ではなく、警察機関の創設によって補おうという計画であったことが記されている。

 一とあわせて、朝鮮戦争の時のアメリカ政府は、海軍再建について積極的な考えをもっていなかったことが明確である。

1950(昭和25)年、1月と4月 国務省幹部による会話記録

元海軍大将・野村吉三郎が、GHQ外交局の幹部を少なくとも二回にわたって訪問したことが記録されている。

 その時、野村氏は「日本はスイス=中立国にはなりえない。アメリカの長期にわたる保護がぜひとも必要である」と進言したと記されている。

 第二復員局がアメリカへの働きかけを始める頃と前後して、公職追放されていた旧海軍の大物が、密かにアメリカとのつながりを強めていたことを物語っている。

1950年8月19日 ダレス宛ハリー・カーンからの書簡

 この文書を読んだ時、キャサリンと右田は一瞬顔を見合わせた。「EMPEROR’S MESSAGE=天皇のメッセージ」という言葉が記されていた。日本再軍備の関連文書に、なぜ昭和天皇に関する文書が含まれているのか。

 これは、バケナムという米国人ジャーナリストが昭和天皇の側近と会話した内容を、ハリー・カーンというニューズウィーク社極東部長が、国務省のダレスに報告する手紙だった。

 昭和天皇の側近が、「天皇は、公職追放緩和を求めている」と伝える内容だった。

 キャサリンは一読し、これは「バックチャンネル=裏の外交ルート」だと表現した。戦後、政治に関わらないと憲法で定められた天皇。その権威が政策に何らかの形で影響を及ぼしていた可能性を示していた。

1951(昭和26)年3月19日 海軍作戦部長から統合参謀本部への覚書

 日本人を要員とした艦艇の武装化を早急に進める必要性があることを進言する内容である。すなわち、米海軍が日本海軍の再建を積極的に支持していることを示している。

1951年8月28日 マーシャル国防長官からトルーマン大統領への書簡

 日本人を要員とした艦艇を武装化し、その日本海軍を防衛と国内治安の安定のために使用したいと大統領の承認を求める書簡。

「旧帝国海軍軍人たちの働きかけによってアメリカは、日本に海軍を再建することが必要だという方向へ考え方を変えていったのではないか」





▼2004年8月12日 西日本新聞 非戦の回廊 自衛隊―加速する変容

 二〇〇三年一月、米国務副長官リチャード・アーミテージは日本人記者団を前に上嫌だった。「日本は素晴らしい旗を見せた」。前年十二月、海上自衛隊のイージス艦が、アラビア海でアフガニスタン作戦支援の洋上給油を続ける補給艦警護のため横須賀を出た。米軍とリアルタイムでデー夕を共有し共同作戦が可能な最新鋭艦。憲法が禁じる集団的自衛権行使につながるとの論議を積み残したまま、政府は派遣に踏み切った。

  ○一年「9・11米中枢同時テロ」後、米軍は警戒監視の一角を任せたいと派遣を打診。反対派を抑え一九八八年の日本への売却を後押ししたアーミテージも派遣に期待を表明していた。
 海軍出身のアーミテージは海上幕僚監部の幹部を前に「米海軍はここ」と手をかざし、その手をわずかに下にずらし「次がJMSDF(海自)」と言ったことがある。

 「冷戦を共に闘い抜いた。米は海自の実力を分かっている」と幹部。
 海自は自衛隊の中でも特に米軍との結び付きが深い。米海軍から艦艇を譲り受けて発足。冷戦期の八〇年代、環太平洋合同演習(リムパック)などで共同訓練を重ね、旧ソ連の潜水艦封じ込めの共同作戦を展開した。

  海自出身の元統合幕僚会議議長夏川和也は「最初は大人と子供。装備もノウハウもすべて見習った」と言う。米海軍にとって信頼できるパートナーであることが日米同盟を支え、国益につながるとの意識が強い。





▼阿川尚之 著『海の友情 米国海軍と海上自衛隊』

アワーだけでなく、戦後横須賀や佐世保に駐在した経験のある米海軍関係者は、その多くが現在にいたるまで日本と日本人に好意的である。私がアメリカに住んでいたときも、むかし日本に駐屯していたという現役退役の海軍士官や下士官に出会うと、決まってなつかしそうに思い出を語ってくれた。もしかすると、日本で勤務した米国軍人、特に海軍軍人は、層の厚さからも数のうえからも、もっとも有力な隠れ親日派かもしれない。

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 留学から帰った内田は、その後昭和四十四年(一九六元年)、海上自衛隊の最高指揮官である海上幕僚長に昇進した。この職を三年弱務めたあと、昭和四十七年に退役する。海上自衛隊での最後の十年間、内田は与えられた任務を黙々と果たした。しかしアメリカでの厚遇と比して、日本で海上自衛隊幹部が尊敬を受けることは少なかった。国防に関する海上自衛隊制服組の考え方は、なかなか理解されない。日本政府は国の防衛について真剣に考えていない。ソ連の脅威について認識が足りない。シビリアンコントロールがなていない。我々の話が本当に通じるのは、海の上でともに訓練に励むアメリカ海軍だけだ。航空自衛隊や陸上自衛隊よりも、むしろ話が通じる。

  「ネイヴィーは不思議なものです。そこにはもっとも洗練された国際的に通じる文化がある。飾らずとも交わっていける共通の教養をもっている。マナーからすべて、おまえネイヴィーか、ああそうかとなる。互いにわかりあえる。遠慮がいらない。海が影響しているのはまちがいないと思います。海というのは、嘘を言ってもはじまらないのだから。嵐がくると、同じ方法で危難を避けねばならない。大自然を相手にし共通の流儀をもった集団同士、仲間としての意識がある。ネイヴィー同士、時には同胞よりも話がしやすい。

  情が移るというのですかねえ、わが先輩がぶつかっていって負けた国の海軍、それと仲良くすることによって、わが先輩の意志に沿うているんじゃないか。最大の敵と最大の仲良しになるのを、先輩に見せてやろうじゃないか。そういう気持ちがありましたねえ」

  話が通じやすいネイヴィー同士がさらに親しくなり、いざというときともに働くためには、もっともっと人的交流を活発にせねばならない。留学から帰ってから今に至るまで、内田はそう信じてきた。海上自衛隊が世界で名誉ある地位を占めるためには、同じ海軍同士の友情を築くのが早道だとの計算もあったろう。海草長時代、各国の海軍と人の交流にっとめた。東南アジア各国の海軍ともつきあいができたし、同盟国アメリカの海軍とのつながりは特に大切にした。

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戦時中渾身の力をふりしぼってアメリカ海軍と戦った中村は、戦後海上自衛隊に入って米海軍から学び、艦艇や航空機を譲り受け、共同で訓練に励む立場に置かれた。アメリカ人の教官は概して親切でオープソで、悪い印象は持たなかった。海の戦いは陸の戦いと違い、顔をつきあわせて殺し合うわけではないから、個人に対する憎しみや恨みはお互いに抱かなかった。それに米海軍も日本海軍も英国海軍の末裔であり、訓練や作戦のやり方に違和感はなかったという。

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 兵学校時代は目立たなかったバークが、任官するとめきめき頭角を現した。最初に乗り組んだのは戦艦「アリゾナ」である。持ち前の体力とやる気で艦内のつらい仕事を完璧にやりとげるこの若い士官ぱ、上官の注目を引いた。バークはこの艦で五年間勤務する。異例の長さであった。彼のすさまじい働きぶりを見て、同僚士官たちは「パークは五十になるまでに死ぬだろう。もし死ななければ海軍作戦部長になるだろう」と噂しあったという。
(中略)

  このころからパークは日本に興味を抱いていたらしい。一九二九年、一通りの艦隊勤務を終えたパークはアナポリスヘ戻り、幹部教育を受ける。そのあと、ミシガソ大学で一年間化学を学んだ。ある目、パークの書斎に太平洋とアジアの地図が貼ってあるのを見た級友が、不思議に思ってそのわけを尋ねると、パークは「君、我が国はいつか日本と戦うことになる。そのときにはお国のために太平洋でひと働きするつもりだ。そのためにもこの地域のことをできる限り詳細に頭へ叩き込んでおく必要がある」と答えたそうだ。パークがミシガン大学から修士号を得て無事卒業した、その十年後、彼の予想したとおり両国間で戦争が始まる。
  バークの名が内外に知られるようになったのは、戦争中ソロモン海域で縦横の活躍をしてからである。開戦時ワシントンで勤務についていたバークは、艦隊勤務を再三懇願して、四三年の二月、第四三駆逐隊司令としてようやく南太平洋に出る。海軍大佐に昇任したあと、十月第二三駆逐隊群司令に任ぜられた。エスピリトゥ・サント島で旗艦「チャールズ・S・オースバーン」に着任したパークは、集合した傘下の駆逐艦長たちに、かねて用意した戦術書を渡す。その表紙に
は、こうあった。

  ジャップを殺すに役立つなら、重要なり
  ジャップを殺すに役立たぬなら、重要でなし
  常に貴艦の練成度を高め、戦闘に備えよ
  常に補給を怠らず、戦闘に備えよ
  常に戦闘準備状況を、上官に報告せよ

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 日本滞在中のパークにもっとも大きな影響を与えたのは、開戦前夜駐米大使を務めた野村吉三郎元海軍大将である。ホテルでのでぎごとをきっかけに、バークはこの国のことをもう少し知りたいと思った。日本人の哲学と論理は何なのか。何が彼らを万歳突撃に駆り立てたのか。どうして日本人は自分たちどうし、あるいは外国人に対して、こんなに礼儀正しいのか。あれほど荒々しい戦い方をする人々が、他人の気持ちになぜこれほど気を使うのか。中国人や朝鮮人とはどこがどう違うのか。誰か自分にこれらのことをわかりやすく説明してくれる人はいないだろうか。
ピアス大佐に相談すると、野村を推薦された。

  バーク自身の文章によれば、野村は、バークを最初自宅に招き、着物を着せ、畳の上に座らせた。野村は机の上に大きな朝鮮の地図を広げ、日本の朝鮮統治の歴史と、なぜそれがうまく行かなかったかを説明する。そして地図を十五分間集中して見つめ、できうるかぎり多くを記憶するようにと言った。そのあと今度は地図をどけて、覚えたことを現在の戦争と関連づけて考えるようにと命じる。沈黙のなかでさらに十五分ほど経ったとき、バークは少し足を動かした。すると野村が言う。「どうしたのかね」。

  「足がしびれたので動かしましたと私が答えると、野村は言った。それが君の最初の教訓だ。朝鮮半島の地図を思って集中していたら、しびれなど感じなかったはずだ」

  こうして戦争に負けた国の引退した老海軍大将と、戦争に勝った国の前途ある海軍少将のあいだで、交流が始まった。日本に滞在した約九ヵ月のあいだ、バークは忙しい合間を縫ってほぼ一週間に一度野村に会う。野村はパークに、地理や天候そして国民性といった、いつの時代にも変わらぬ要素がいかに重要かを教えた。「国連軍が鴨緑江に近づいたら中国は参戦するだろうか」とある日パークが尋ねると、野村は「必ず参戦する、奇襲攻撃をかけるために密かに参戦するだろう」と、確信をもって答えた。周恩来がインドでのスピーチで警告しているではないか。国家は狼のごとくだ。隅に追い詰められたら必ず激しく抵抗する。バークはその内容を国連軍の情報担当者に知らせたが、誰も耳を貸そうとしなかった。そして野村の予言は100パーセント正しかったと、バークは記す。

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 バークは日本滞在中、海上自衛隊の前身である海上警備隊の誕生にあたって大きな役割を果たす。敗戦とともに海軍は解体されたが、戦前の英米協調はを中心とする海軍指導者は、将来の海軍再建を期していた。海軍省を引き継いだ第二復員省内部では、密かに再建計画の作成が行われる。しかし戦後しばらくは、海軍の再建など夢にしか過ぎない。一九四八年五月に海上保安庁が発足し、最小限の武装を許された巡視船が海上の治安維持にあたるようになったときでさえ、日本海軍の復活につながるとして、占領行政を監督する対日理事会や極東委員会の席上でソ連が反対し、イギリス、中国、オーストラリアの代表も警戒感を表明した。占領事総司令部内でも、民生局が当初反対の立場をとった。

  戦後日本へ進駐した米海軍は、しばしば米内光政、山梨勝之進、野村吉三郎など海軍の良識派といわれた指導者を宴席に招き、鄭重に遇した。日米海軍間には戦前活発な交流があった。たとえば海軍作戦部長をつとめたウィリアム・V・プラット大将は、一九二九年練習艦隊司令官として野村が米国艦隊旗艦「テキサス」を訪れたとき、同艦隊長官であったし、連合軍紀司令部最初の海軍代表ベアリー少将は、そのとき長官の副官を務めていた人物である。一九三一年から三二年にかけて第一次上海事変が起こったとき、作戦部長になっていたプラットは、ワシソトソ駐在の海軍武官下村正典大佐と夕食を共にする。そして日本海軍はなぜ野村を上海に派遣しないのかと尋ねた。下村は早速本省に電報を打ち、米海軍の意向を伝える。東京の海軍首脳はこの意向を尊重し、野村を上海に派遣した。その結果、事変が日米関係に悪影響を与えることはなかった。日米海軍間には、このように緊密な意思疎通があった。

 こうした戦前のつながりがあればこそ、野村はベアリー少将はじめ米海軍の友人だちと会うたびに、日本海軍再建の構想を語った。彼らは共感を示しはしたが、具体的な動きにはつながらない。海軍軍人同士の友情はあっても、アメリカ偏はまだ、日本の再軍備を真剣に考えていなかった。

  米側の態度が徴妙に変化しはじめるのぱ、朝鮮戦争が勃発する前後である。アワーの研究によれば、すでに一九四八年の終わりごろ、米国国家安全保障会議が日本における軍事能力拡張を秘密裏に推進するとの決定を下し、翌年日系の米民間人を極東米海軍司令部に送り込んだ。そしてこの人物が一週間に二回、海上自衛隊発足後第二代の海上幕座長となる長沢浩元海軍大佐と会い日本語で情報関係事項や再軍備について旧日本海軍士官たちの考えを聞いた。

  一九五〇年六月朝鮮戦争が勃発すると、マッカーサーは警察予備隊の発足ならびに海上保安庁の8000人増強を、日本政府に対して書簡で指示する。続けてその秋、吉田茂総理が米偏要人を招いた席で、極東米海軍司令官ターナー・ジョイ中将が、野村に向かって語りかけた。「ソ連から米国に返還されたフリゲート艦(PF)が18隻ある。これを日本に貸与してもよい」。同じころ、日本へ着任したばかりのバークが大久保海上保安庁長官に、「ソ連に貸していたフリゲ
ート艦をとりもどすので、海上保安庁の任務に提供してもよい。その使用の方途を研究するように」と話を持ちかけている。

  バークは、大久保にワシソトンを訪問して海上保安庁強化を陳情するように勧め、翌年一月大久保はそれを実行に移す。大久保はペンタゴンで、巡視船の速力(一五ノット)ならびに船型(一五〇〇トン)制限の撤廃、大砲の搭載、アメリカのフリゲート艦提供、浮遊機雷監視用航空機保有などを要請した。これらの要求はパークからの根回しもあって、ことごとく承認されたという。

  一方、一九五〇年六月にはジョン・フォスター・ダレス米国務省顧問が来日し、吉田首相と講和ならびに再軍備について話し合った。バークが大久保の海上保安庁強化案を支持していたことなどからみて、この時点ではアメリカ側に、日本海上兵力別途創設の意図はない。再軍備構想も、陸上兵力増強が中心のようだった。

  この事態に危機感をつのらせたのが、海軍再建をめざす日本海軍の元指導者たちである。野村と近い立場にあり米内光政海軍大臣のもとで最後の軍務局長をつとめた保科善四郎元海軍中将は、そのあたりの事情について「我が新海軍再建の経緯」という手記を残している。これによると、朝鮮戦争勃発に伴い再軍備の動きが出てきたが、「米国の意向として伝へらるる所に依れば海、空軍は米国側にて引受け陸軍丈け再建する方針の如く、斯くてぱ陸軍独走の苦い明治、昭和の歴史を繰り返す虞あり、陸、海、空同時再建の必要を米国側に理解せしむる必要ありとし、其運動の開始に努力することとなった」とある。

  一九五一年一月十七日、保科は野村を自宅に訪ね、自らの危惧を伝える。これに対して野村は近く再来日するダレスと面会すべく努力していることを明かした。それを受けて保科は、ダレスに申し入れるべき内容を盛り込んだ海軍再建に関する意見書を、野村のために用意すると約束した。

  野村はまず根回しのため、一月二十二目ジョイ極東米海軍司令官を訪れ、新海軍再建案を示す。この案は、第二復員省の仕事を引き継いだ厚生省復員局残務処理部内で前年十月旧海軍関係者が作成した、再軍備に関する研究資料をたたき台としたものである。同研究資料によれば、軍は陸軍と海軍の二本だてとし、海上兵力は巡洋艦二隻、駆逐艦一三隻をふくむ総隻敬二七五隻、二一万トン、兵力約三万四〇〇〇人となっている。ジョイは提示された再建案の規模に驚きを示した。そして自分は総司令部から日本海軍再建について任されているけれども、米海軍は西太平洋の制海権を確保する力針であり、この海面を去る意思がない、再建日本海軍については横須賀に繋留中のフリゲート艦を基幹とするコーストガードくらいの規模を考えていると述べた。野村がさらに詳細を計画の策定者から説明させたいと申し入れると、ジョイはバークを指名し紹介する。

  野村に指名されてバークヘの説明に当たることになった保科は、まず旧友エディー・ピアス海軍大佐に再建案を示し、パーク少将の人となりを尋ねた。ピアスは、「彼はファイティング・オフィサーでありシンシャーでエーブルで級友の評判の良い方である」と説明し、次いで電話にて保科を紹介し、「保科とは二十年来の知友であり信頼し得る人物で海軍はもちろん部外の評判も良い、胸襟を開いて話されたい」とパークに伝えた。ピアスという人は海上警備隊誕生史の節目節目で、重要な役割を果たしている。

  保科が初めて正式にパークと面会したのは、一月二十三日である。、、ハークは保科を「頗る慇懃に接待」した。保科は再建案をバークに示す。このときの内容は復員局作成の研究資料よりさらに増大している。護衛空母四隻、潜水艦八隻、巡洋艦四隻、総隻敬三四一隻、総トン数二九万二〇〇〇トン、海空軍機(海軍航空隊航空機のことだろう)七五〇機。戦前の海軍に比べればどうということはないが、ネイヴィー相応の規模を考えたことがわかる。

  これに対しパークからいくつかコメントがあった。海空軍を必要とする理由を明記せよ。海軍整備の実際計画を記述せよ。米海軍としては横須賀に繋留中のフリゲートなどをなるべく早く渡すよう、海軍省に申し入れる。海軍の任務をもっと具体的に記述すること。海上にはよく訓練された士官を要する理由を明記せよ。これは文官にはわかりにくいから、はっきり書け。一々もっともな指摘であり、反応はおおむね好意的であった。二十九日、保科はバークのもとに修正案と兵力配置図を持参する。バークは一覧のあと“Excellent and Perfect”と賞賛した。保科がこの反応を野村に報告すると、大変喜んだという。

  一月末再来日したダレス特使に当初会見なかったので、野村は私信をしたため海軍再建計画の修正案と一緒にダレスの秘書フィアレーを通じて届けた。ダレスの随員に海軍の代表がおらず、特使は陸軍の再建だけ考えているとの情報がもたらされ、野村は少し気弱になる。しかし二月三日シーボルト大使邸で催されたカクテルパーティーの席で特使と初めて会ったとき、修正案の礼を述べられ、気をよくした。修正案は二月九日、吉田首相にも届けられる。

  その後保科はパークに会って、ダレス特使は陸上兵力しか考えていないのでぱと懸念を表明する。パークは、ダレスは再軍備の細目にまで手が届いていない、自分はダレスの随員であるジョンソンに日本のような島国は英国と同様海軍と海軍航空隊が国防上絶対必要だと話したが、反論はなかった。野村修正案はジョイ司令官名でシャーマン作戦部長あてに送り、すでに同意を得ている。正式のルートで回答があるだろうと伝えた。そして日本海軍の再建は、「米国の利益ともなり又日本の為にもなると思ふと云う根本的の考の下に相互信頼の上に立てる良い日本海軍の再建を力説した意見を作戦部長に対し提出した」と付言した。

  アワーの研究によれば、、ハークは三月にコ斐ワシソトンヘ戻り、ラッドフォード大西洋艦隊司令長官と会って、ソ連から返還されたフリゲート艦を日本に使用させる件について話し合った。ラッドフォード司令長官には日本海軍の必要性を強調し、新日本海軍が掃海艇と哨戒艇で出発すべきという自分の考えを述べたと、バークは同地から東京のジョイ極東米海軍司令官あてに送った書簡のなかで述べている。ワシントン滞在中、おそらくシャーマン海軍作戦部長ともこの件について語っただろう。

  東京へ戻ったバークは、三月三十一日、日本政府が野村修正案に同意ならば米海軍は野村バーク案にて進めるとのシャーマソ作戦部長の意向を、保科たちに伝えた。ところが大蔵当局が同案発足後の維持費に問題ありとして、同意しない。国の財政を預かる立場としては、まだとても海軍を維持でぎないと考えたのであろう。このため米海軍の好意的提案を無にすることとなった。保科は「我国の将来を考え遺憾極まりなし」と述べている。

  この事態にもかかわらず、パークは野村たちの活動の支援を熱心に続けた。四月三日保科邸で野村とピアスを交え懇談したときに、パークは、「日本海軍の建設に適当な海軍士官を一〇人ぐらい出してもらうよう一案を海軍省に提出してある。同意を得ればジョイ司令官からマッカーサーに相談し、日本海軍士官を入れて共同で計画と訓練を行なうための部局を作り、将来の海軍省の基幹としたい。自分はもうすぐ巡洋艦戦隊の司令官として日本を離れ、その後秋にはワシソトンヘ戻るが、そうしたら海軍省で実現に努力する」と述べた。

  これより少し前に、バークは「船舶の護衛、哨戒、掃海および漁船の保護などの業務を計画しかつ実施するための機構制度に関する研究」を提出するよう、日本側に申し入れていた。これに応える形で四月十八日、野村からジョイヘ、保科からバークヘ、復員局で完成させたばかりの第二次研究資料が届けられる。本資料は艦艇、航空機、武器および弾薬をアメリカから一時貸与してもらい、要員、給料、弾薬以外の補給物資を日本が負担して、将来の海空軍の母体とすることを提唱していた。そして本計画実現の方法には、独立した戦力機関、海上保安庁の外局、極東米海軍司令部の編成指揮下に置く機関という三つの方法があるが、第一案が理想的で、第三案は望ましくない、第二案がもっとも実現性があると記した。日本側はもし独立組織を創設するならば、憲法に抵触しないこと、外国、少なくとも西側諸国の正式な同意を取りつけること、議会の承認を得ること、自主独立のものたるべきこと、旧海軍から人を得ること、米軍に連絡参謀を派遣し日米合同研究委員会を設け、米海軍と緊密なる連携を維持することなどを強調した。

  パークはこの計画に大いに感銘を受け、四月二十二目、七ページに及ぶ書簡に日本側の新しい案を添付して、海軍作戦部長の部下である国際部長のジェームズ・サッチ少将に送った。そして少将に作戦部長への説明を要請する。書簡のなかでパークは「この問題はいつかは我々が直面しなければならないものである。早く取り組めば取り組むほど、アメリカにとってより有利な結果となろう」と述べた。日本側の三案については、「新日本海軍は必ずしも海軍と呼ばれる必要はない。沿岸警備隊あるいは海上警察、またぱその他の名称であってかまわない」。四、五人のアメリカ海軍士官と約一〇人の日本海軍将校で日米合同研究グループをつくり、小規模な日本海軍の創設について研究、計画、指導をさせよう。「これらの旧日本海軍将校グループは、新しい日本海軍省の中核となるであろう。合同グループはまず第一歩として小規模の海上部隊―おそらく六隻を越えない哨戒艇と小規模の将校下士官兵訓練学校を設立するであろう」と付け加えた。

  ここまで尽力したあと、五月はじめ、第五巡洋艦戦隊司令官に任命されたパークは東京を去る。九月には対日講和条約と日米安全保障条約がサンフランシスコで調印された。その一カ月後の十月十九日、総司令部を訪れた吉田首相は、最高司令官リッジウェイ陸軍大将に対し、横須賀に繋
留されているフリゲート艦受け入れの意思があることを正式に表明する。すでに一年前、野村と大久保に打診のあった、ソ逓から返還された艦である。翌日、岡崎勝男内閣官房長官は、山本善雄元海軍少将と柳澤米吉第二代海上保安庁長官を官邸に招く。そして貸与舟艇の受け入れと運用態勢確立のため、旧海軍から八名、海上保安庁から二名、計一〇名からなる委員会をもうけ、政府の諮問に応じて欲しい旨を伝えた。

  こうして発足したのがいわゆるY委員会である。この委員会では、新しい組織を海上保安庁から独立したものとするかどうかについて、何回もやりとりがあった。そして翌一九五二年四月、海上警備隊がとりあえず海上保安庁の付属機関として発足した。同年八月、海上警備隊は海上保安庁から独立し、警察予備隊とともに保安庁警備隊となる。海上保安庁の航路啓開部門、つまり朝鮮水域で活躍した掃海部隊は、警備隊に吸収された。さらに講和条約発効後の一九五四年七月、海上自衛隊として再発足する。野村たちが夢見た海軍再建は、こうしてようやくその第一歩を踏み出した。

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 海上警備隊発足に一役かったことは、バークにとってもよい思い出になった。このころのことを、バーク自身はのちにこう記す。

  「(海軍関係者との議論のなかで)私は日本が本土と重要な海上交通路を防衛するために、十分な規模の海軍を保有すべきだという、自己の見解を披瀝した。そう主張したのは、何も日本のためではなく、合衆国のためである。日本が自らの防衛力を有することは、自由世界と合衆国の利益にかなう。なぜなら合衆国が日本を守れないときが必ずくるからである。私は合衆国と日本が友好国であり同盟国であるべきだと信じた。(中略)世界のために貢献するには、他国に影響を及ぼし得るよう、経済、軍事、政治の各分野において強力でなくてはならない。三つすべてが必要である。どんな国も他国に完全に頼りきるべきではない。もしそうすれば強国の属国になるしかなく、何ら進歩に貢献できないであろう」

 また『海上自衛隊二十五年史』に寄せた序文のなかで、バークは「私の生涯でもっとも楽しかった経験の一つは、多大なる尊敬を寄せるようになった人々と一緒に、日本に適した海上防衛戦力の概要につき議論したことである。そのなかには、野村吉三郎大将、保科美四郎中将、長沢浩海将、中山定義海将、そして大久保武雄氏がいる」と述べている。

  さらにアワーの著書、『日本海上兵力の戦後再軍備』に寄せた序文には、こうある。

  「どんな軍隊にとっても一番重要な要素は幹部の品格と能力である。私は日本が、まず最初に、きっかり十人の最も優秀な帝国海軍士官を選び、新しい海軍を創設すべきだと助言した。日本はそれを実行に移し、それゆえに今日、日本海軍は精強である」

  バークが海上自衛隊生みの親の親といわれるのは、このような事情によるものである。

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 一九八九年には、バークを隣に立たせたバーク夫人ボビーがシャンペンを割って、イージス駆逐艦「アーレイ・バーク」を進水させた。生前に自分の名前が艦名となったのはバークが三人目、その進水式に本人が立ち会ったのは初めてだという。

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 パーク少将(ジュリアン・バーク。アーレイ・バークとは別人)家の居間には、十九世紀初頭とおぼしいアレキサンドリアの港を描いた絵がかかっている。食後談笑しながらこの絵を見ていると、少将がいろいろ説明してくれた。アレキサンドリアは連邦政府の首都がコロンビア特別区に置かれるよりずっと前から、煙草の積み出し港として栄えた。煙草を積んだ帆船はここからポトマック川を下ってチェサピーク湾に出て、大西洋を渡りヨーロッパヘ向かった。バーク家は代々この街で銀行業を営んでいた。南部の伝統に従って、軍人も多く出した。南北戦争ではもちろん南東に属して戦った。南軍の総司令官ロバート・E・リー将軍は親戚にあたる。

  「南北戦争は、奴隷制度にしがみつく頑迷な南部が反乱を起こしたかのように受けとめられがちだが、南部人はそう考えない。北部の人間に乗っ取られた連邦政府の横暴に耐えかね、州固有の権利を守るために立ち上がった戦いであったと、今でも多くの人が信じている。やむにやまれぬ戦いだったんだ」

  バーク一族は代々、初代大統領ジョージ・ワシソトン将軍が通った教会で、日曜日ごとの礼拝を欠かさない。少将は今でも同じ教会で役員を務める。教会を中心に古い家族が絆を保ち、伝統を維持する。今はすっかりワシントンのベッドタウンになってしまったアレキサソドリアにも、そうした南部の貴族的な文化がかすかに残っている。パーク少将には少年時代、カソリックの友人が一人しかいなかったという。もちろん黒人はまったく別世界に住んでいた。つきあってよい家柄とそうでない家柄が、厳然と分かれていた。南部というのは、そういう場所であった。

  「第二次世界大戦の結果起こったことが、アメリカには一つある」

  パーク少将は、絵を見ながら言った。

  「それは南北戦争の傷跡がついに癒えたということだ」

  軍の動員計画が実施されて、大規模な人口の移動が起こった。北部の人間が南部へ移り、南部の人間が北部や西部の軍事基地やその周辺に移動した。そして戦後そのまま住みついた。

  「北部と南部の人間が肩を並べて働き、軒を接して暮らすようになって、敵対心やわだかまりがようやく消えたのだよ。共通の敵ドイツや日本と戦って、アメリカは一つという意識が初めて生まれた」

  アメリカ国内で一つの大きないくさが戦われ、その傷跡が癒されるまで、同じ国民でありながらおよそ八十年かかった。日米戦争の傷跡がすっかり消えるまでには、もう三十年ぐらい、一緒に汗を流して働く必要があるのかもしれない。

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 ハロウェイ大将は、一九一二年(大正十一年)にサウスカロライナ州チャールストンで生まれた。父親が海軍提督、母方の祖父が陸軍の将軍という、軍人一家である。兄弟の一人がウェストポイントの陸軍士官学校を出たし、いとこで海軍に進んだ者がいた。夫人の父親も海軍提督である。民主主義の国アメリカでありながら、代々軍人という家は珍しくない。とりわけ海軍には、ある時期まで一種貴族的な雰囲気があった。そうした環境にあって、日本こそアメリカの仮想敵国だと父から教わって育った少年が海軍を目指すのは、ごく自然な成り行きである。

  希望どおり、一九三九年にアナポリスの海軍兵学校へ入学する。一九四一年十二月七日には、将来の妻と外出していた。兵学校の門まで帰ってきて、真珠湾攻撃を知る。そのとき、実は真珠湾がどこにあるか知らなかった。ニュースに接して最初は、「やった、これで日本を完全にやっつけた」と考えたそうだ。当時大方のアメリカ人は、日本が安物の粗悪品しか作れない国だと思っていた。ジャップが旧式の複葉機でハワイの太平洋艦隊を攻撃しても、次々に撃墜されてしまうはずだ。そう考えたという。ところが詳細が明らかになるにつれ、事態の深刻さが判明する。ワシントンの海軍省艦艇局にいた許婚の父親が、「こっぴどくやられた」と教えてくれた。真相を知って、ハロウェイと周囲の侯補生たちは、日本海軍の腕は確かだ、我々が兵学校で教わった通りの方法で見事に奇襲攻撃を成功させた、これは手ごわい敵だと思ったそうだ。

  ローズヴェルト大統領は真珠湾をだまし討ちだとして徹底的に非難したし、国民の多くもそう考えた。しかし、あれは戦意高揚のためのプロパガンダだったと、ハロウェイ大将は言う。海軍内部にいるものは、日本海軍の技倆の高さに、一種の尊敬さえ覚えたと言うのである。

 一九四二年六月に兵学校を卒業した。大戦の勃発で一年繰り上げての卒業である。戦局は芳しくなかった。南太平洋で撃沈された巡洋艦の乗組員がワシソトソに帰ってきた。一様にショック状態にあった。厳しい報道管制が敷かれ、米海軍艦艇が沈んだニュースは一般国民に知らされなかった。アメリカ海軍はずいぶん長い間なかなか日本海軍に勝てず、目立った戦果を上げたのは、ソロモン水域で駆逐艦部隊を率いるアーレイ・パーク大佐、ムースバーガー大佐など、ごく一部だけであった。

 ハロウェイ大将は、アメリカ海軍が戦争に勝ったのは結局物量の差によるもので、もしその差がなければ日本が勝っただろうと語る。「ちびのジャップ」などというのは非戦闘員向けの宣伝文句であり、海軍軍人の多くは敵である日本海軍の能力を高く評価していた。

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 戦場での体験にもかかわらず、ハロウェイ大将は敵である日本人に対して憎悪感を抱いたことがないという。むしろ日本海軍は敵ながらあっぱれとの感じが強かった。パールハーバーでは友人が死んだし、兵学校のルームメートも戦死した。しかし戦争で戦死者が出るのは当たり前と考えた。いとこの一人はコレヒドールで日本車の捕虜となり、パターンの行進を経験したが、戦後まったく憎しみを抱かず、むしろ周囲が驚いた。「我々は戦いに負けたんだ。日本車は厳格だったけれど、自国民にも同じように厳格だった」と語った。ずっとのちにヴェトナムで捕虜になった友人も、同じように憎悪の感情を長く引きずらなかった。それが軍人というものだとハロウェイは言う。死ぬまで日本人を嫌った提督を一人知っているが、そういう人は稀だった。

 ハロウェイは一九五一年(昭和二十六年)の秋、はじめて日本を訪れる。空母「ヴァレー・フォージ」乗り組みの艦載ジェット攻撃機パイロットとして、横須賀に入港した。着艦したジェット戦闘機を止める強力なネットを飛行甲板に取りつけるのが、寄港の目的である。寒くて暗い日であった。ドックで作業する日本人を見て、これが敵であった人々かと思うと、妙な気がする。しかし横須賀艦船修理部の仕事は文句のつけようがないほど素晴らしかった。現場の労働者はよく働き、仕事が丁寧であった。ハロウェイは日本人に対して尊敬の念をいだく。
 (中略)

 こうした経歴を経たあと、ハロウェイ大将は一九七四年七月、第二十代の海軍作戦部長に就任する。大将は前任のズムワルト大将に引き続いて、海上自衛隊との関係を大事にした。当時の海上幕僚長は中村悌次海将である。中村はハロウェイを目本に招き、またハロウェイが中村を逆にアメリカヘ招いて、両者は意見を交換する。ハロウェイは中村にこう語った。米国軍事予算には引き続き削減の圧力がかかるだろう。アメリカ海軍だけで極東の安全を確保することはできない。であれば将来米海軍と海上自衛隊は戦略的な役割を分担すべきである。第七艦隊はソヴィエトのバックファイア戦略爆撃機から日本を守る。海上自衛隊は宗谷、津軽、対馬の三海峡を監視して、ソヴィエト海軍の通行を抑えてほしい。また中東からの石油輸入に全面的に依存している日本は、シーレーンを一〇〇〇マイル程度自分で守るべきである。「マヤゲス」号乗っ取り事件に見られるように、シーレーンを妨害すれば小国でも日本の通商活動を効果的に破壊できる。

  これに対して中村は、全く同感だが、モのためには海上自衛隊は、まずもってシーレーンを防衛できるだけの作戦能力を備えねばならないと述べたという。残念ながら、当時の海上自衛隊にはまだそこまでの力がなかった。

  こうしたやりとりは、もちろん公式なものではない。しかし彼らが語り合った海上自衛隊と米海軍の任務役割分担は、やがてレーガン政権時代ほぼその通りに実現する。それより五年前、ハロウェイと中村はすでに日米海上兵力の進むべき道について議論していた。

  この二人は何も隠し立てせずに話し合えたし、お互い話した内容を他には決して漏らさなかった。中村はまた、ハロウェイが答えにくいような微妙なことを無理に尋ねようとしなかった。ハロウェイは中村を一〇〇パーセント信頼していたという。

  なぜそのような信頼関係が築けたのか。アナポリスの町の海岸に近いとあるレストランで一緒に食事をしながら私が尋ねると、ハロウェイはしばらく考えてからこう答えた。

  「やはり中村提督がすぐれた指導者だったからだと思う。非常に頭のよい人であったし、こちらとまったく同じように考えたから、多くを話る必要がなかった。他の国、他の指導者ではそうはいかなかった」

  「海上自衛隊と米海軍は、英国海軍から伝わった伝統を共有している。海上自衛隊は法的に海軍でないけれど、その練度の高さ、職業意識の高さ、ユーモアのセンス、品格、手際のよさ、すべての面で一流のネイヴィーである。同じ事態に接して同じように考え対処する訓練ができている。あまりごちゃごちゃ言わなくても、すぐに一緒に仕事ができる。そういう意味で、実にやりやすい相手だった」

/////

  アワーがワシソトンヘ戻りペンタゴンで働きはじめたのは、カーター政権時代である。国防長官ハロルド・ブラウンの下に国防次官補を筆頭とする国際安全保障局があって、国防長官のミニ国務省と呼ばれていた。政治と軍事の接点として、予算上も権限上もきわめて強力である。リンドン・ジョンソン大統領の時代には、米ソ軍縮交渉で有名なポール・ニッツェがこの部局を任され、ラスク国務長官より強力だといわれた。アワーはここで、最初アマコスト国防次官補代理の
部下として働いた。

  約二年後の一九八一年一月、ロナルド・レーガンが大統領に就任し、この部局はいっそう強力となった。ペンタゴンとの関係がぎくしやくしたカーター政権と異なり、レーガソ政権は国防を重視した。多少の紆余曲折があったものの、八三年までに国防長官がキャスパー・ワインバーガー、アジア太平洋地域担当の国防次官補がリチャード・アーミテージ、日本課長がジェームズ・アワーという体制が確立した。ちなみにこのころワインバーガー国防長官の補佐官を務めたのが、アーミテージと近い関係にある、のちの統合参謀本部議長で新ブッシュ政権の国務長官となったコーリン・パウエルである。さらにパウエル大将の息子マイケルは、現役の陸軍士官時代、一時アワーのもとで働いていた。

 アーミテージは海軍の出身である。一九八七年に海軍兵学校を卒業した。アメリカはヴェトナムでの戦争に深く介入し苦戦していた。アーミテージは自ら志願し、この戦争で危険な作戦に従事する。一九七三年一月にパリでヴェトナム和平協定が締結されると、戦いを途中でやめることに抗議して海軍を辞めてしまう。ただしサイゴンにある米軍駐在武官本部の民間人顧問としてヴェトナムに留まり、特殊任務についた。シルヴェスター・スタローソが演じた映画の主人公ランボーは彼がモデルだという、まことしやかな説がある。

  いったんワシソトンヘ戻ったが、一九七五年四月に北ヴェトナム軍がサイゴンに迫ると、国防省から特定南ヴェトナム人の救出作戦実行を頼まれる。六年間の長きにわたってヴェトナムで戦って、その最期を見届けずにはいられない。パンアメリカン航空の最後の定期便で戦乱の国へ戻り、陥落寸前の市内に入る。北の軍隊に包囲されたサイゴン郊外のビエンホア空軍基地にヘリコプターで乗り込み、機密保持のために基地内の機器を破壊してまわった。そして取り残されていた南ヴェトナム空軍の将兵三〇人と一緒に、間断なく撃ちこまれる砲火のなかを命からがら脱出した。そのあと南ヴェトナム海軍艦艇と将兵およびその家族数千人を率い、八日かかって無傷でフィリピンまで連れてきた。アワーと同様、アーミテージは典型的なヴェトナム戦中派に属する。

  その後ワシントンヘ戻り、ロバート・ドール上院議員の事務所で補佐官として働いた。レーガン大統領候補の選挙戦に加わり、功績が認められ、政権に入る。大統領の特使としてフィリピンの独裁者フェルディナンド・マルコスやパナマの独裁者マヌエル・ノリエガと直談判をして民主化を勧めたり、アフガニスタンのゲリラ、ムジャヒディンの代表と交渉したあと、ナイフを振りかざす彼らと一緒にテーブルを囲んで羊の肉を食べたりと、世界中を飛び回って危機や紛争の解決にあたった。実に勇ましい国防外交問題のエキスパートである。しかしがっちりした体躯とは裏腹に心優しい人で、自宅では黒人の子供を何人も里子として引き受け育てている。

  アーミテージが国防次官補であったころ、ペンタゴンに日本の国会議員団がやってきて面会したことがある。少し遅れて姿を現したアーミテージは、昨晩寝ていないために皆さんの質問に的確な回答がでぎないかもしれないと、会談の冒頭ことわりを言った。

  「里子の一人が熱を出して苦しがり、一晩中腕に抱いてあやしていたため、眠れませんでした。そして子供を抱きながら考えました。君は肌の色が黒いが、アメリカに生まれてよかった。この国でならたとえ差別があっても、努力さえすればどんな職業にでもつける。はやく熱をさましてがんばれってね」

  アーミテージの述懐を聞いて、ある社会党の議員が、「今日あなたに会って、レーガン政権の好戦的な安保政策についてたくさん文句を言おうと思っていたけれども、今の話を聞いて何にも言えなくなった」と述べたそうだ。

  若干年下ではあるものの同じ海軍出身であるアーミテージを上司に得て、アワーの仕事は格段にやりやすくなった。アーミテージはヴェトナムで戦った勇ましい武人であるだけでなく、抜群の知力を有し、判断が常に的確であった。アワーはアーミテージのことを、クロゼット・インテレクチュアル、つまり隠れインテリと呼んでいる。カーター政権から居残ったアワーを最初警戒するふうがあったが、しばらく一緒に仕事をするうちに全面的な信頼を寄せるようになった。対日政策について、アワーがアーミテージに提言する。彼はそれをよく聞いて、同意すれば直接ワインバーガー国防長官に伝え、実行に移した。

  このラインがよほどよく機能したからであろう。八三年にアワーが規定により中佐で海軍を退役するとき、ワインバーガーは彼を自室に招き、レーガン大統領と自分はアワーが退役すると聞いて遺憾に思っている、制服を脱いだあともできれば国防省に留まってほしいと要請した。明らかにアーミテージの進言を得ての言葉であったが、アーミテージは長官の発意だと言い張った。

  政治的任命であるこの人事は、ホヮイトハウスの承認を必要とする。必要な書類を提出してからしばらくして、ホワイトハウスはこの人事案を却下した。共和党内の対日強硬派が、アワーは日本に近すぎる、アーミテージを日本びいきにしようと画策していると主張して、ストップをかけたのである。しかしワインバーガーとアーミテージが強硬に抗議して、この決定はくつがえされる。二人に対するアワーの信頼がさらに高まったのは、いうまでもない。

 こうしてアワーは文官の日本担当部長として、同じ仕事を八八年八月まで続けた。ヴァンダーヴィルド大学に移った今も、アワーとアーミテージのつながりは強い。

/////

 アワーは国防総省で、もちろんアメリカの国益のために働いた。ただ、それまでの経歴からも与えられたポストの性格上も、日本との安全保障関係先実に力を注いだ。特に海上自衛隊との協力体制強化に心を砕く。まず提言したのは、海上自衛隊がシーレーン、つまり海上交通路を自ら防衛するという案である。

  海上自衛隊が自らのシーレーン防衛を引き受けてくれることは、アメリカ側に大きなメリットがあった。海車力を西太平洋へ投入せずにすめば、他の分野へ展開できるからである。いねば日本の海域分担である。海上自衛隊は日本列島から南へ伸びるシーレーンを中心とする海域で、また宗谷、津軽、対馬の三強海峡で、ソヴィエト潜水艦の動きを昼夜監視する。米海軍は日本が防衛しきれない南東太平洋やインド洋のシーレーンを守ると同時に、いざというとき空母機動部隊でソ連を叩く。

  ただし米政権内部にも、日本がその軍事プレゼンスを増大させることについて、国務省を中心に否定的な見解があった。戦後の目本には軍事アレルギーがあるから、こうした役割を求めるべきでないというのである。日本の軍事大国化を警戒する向きもあったろう。これに対しアワーは、ソ連の軍事力抑止のため日本を信頼しその協力を求めるべきだ。アメリカは日本の助力を必要とする。また日本にはシーレーン防衛に必要な装備を備えるだけの財政的能力がある。信頼して協力が求められないのなら、同盟の意味はない。こう主張した。

 シーレーン防衛は、そもそも海上自衛隊の長年の夢であった。それどころか、海上自衛隊発足の根本理由だといってもよいだろう。なぜなら、敵の攻撃から日本の国土を守ることのみが自衛隊の役割であれば、海に関しては沿岸贅備にあたる海上保安庁だけで用が足りるからである。

  アワーは日本で海上自衛隊創設の事情を調べたときに、京都大学の高坂正亮教授がもらした言葉をよく覚えている。自分は海上自衛隊の任務がよく理解できない。専守防衛に徹するならば、海上自衛隊は必要ないではないか。一体海上自衛隊は何をめざしているのか。アワーは、高坂教授のこの疑問こそ、海上自衛隊の存在意義に関する根源的な問いかけだと思った。

 海上自衛隊がめざしたのはもちろん、日本の領海を一歩も出ない専守防衛ではない。広い太平洋に出て、海洋国家日本の海上交通路を守ることである。海上自衛隊の指導者たちは、これをブルーウォーター・ネイヴィーヘのあこがれと呼んだ。碧い海原を行く海軍を想う言葉である。しかし予算もない艦もない初期の海上自衛隊にとって、その実現は不可能に近かった。防衛庁内部にも、たとえばのちに国防会議事務局長を務めた海原治のように、海上自衛隊が領海の外に出て活躍することに否定的な立場をとる者があった。それでも海上自衛隊の制服組は、いつの日かブルーウォーター・ネイヴィーたらんと夢見て、日夜訓練を続けたのである。

  アワーは幹部学校留学中、壁に貼ってある大きな地図に太い練が引かれているのを見た。大阪湾から南西諸島ぞいに台湾とフィリピンのあいだのバシー海峡まで続く線と、東京湾から硫黄島を経由してグァム島の北まで延びる線を、教官や学生は中村ラインと呼んでいた。中村悌次海幕長の引いた、海上自衛隊が本来守るべき日本の海上交通路という意味である。二つの線はそれぞれほぼ一〇〇〇海里の長さがあり、一〇〇〇マイル・シーレーソ防衛構想の最初の出所となった。それ以遠、たとえばバシー海峡からペルシャ湾まで、あるいはグアムから北米大陸までについては米海軍の制海権に領るというのが、暗黙の前提である。中村は自分の名前がついたそのような線ぱなかったと言うが、アワーは中村から直接、こうした海上自衛隊の防衛構想をたびたび聞かされたのを覚えている。

  アワーの提言には、このように海上自衛隊が抱いた長年の夢が投影されていると考えて間違いない。海上自衛隊発足の研究を行ない、海上自衛隊の学校で勉強したアワーが、その成果を自国の国益に照らして再構築し、アメリカ側の要望として日本へぶつけたのである。早くも一九七九年の日米安保事務レベル協議の席で、アマコスト国防次官補代理が日本に対して北太平洋の防衛を要請したのは、アワーの助言によるものであった。

  一九八一年二月には、国防次官補代理に就任したばかりのアーミテージがアワーを伴い、対日安全保障政策のあるべき方向を探るため非公式に来日する。レーガン政権発足後、はじめて日本を訪れた高宮であった。カーター政権とは一味違う新しい政策を打ち出したい。こう考えたアーミテージは、外務省の丹波実安保課長や防衛庁の岡崎久彦国際問題担当参事官、自民党の椎名素夫政調副会長、アワーの友人である木村英雄などと積極的に会い、意見を交換した。このときはじめて出た考え方が、日米海上兵力の任務役割分担(ロールズ・アンド・ミッションズ・シェアリング)である。海上自衛隊と米海軍が役割を分担し、二つで一つの海軍となる。海上自衛隊は対潜水艦作戦や機雷掃海などを行ない、一方アメリカ海軍は空母機動部隊を中心とした攻撃能力を提供することにより、共同でソヴィエトの脅威に対処するべきだ。

 アーミテージにこの考えを最初に説明したのは自分だと言う木村英雄は、これを内田ドクトリンと呼んでいる。戦後日本が置かれた国際環境を勘案したうえで、内田海幕長以来、海上自衛隊の首脳が考えつづけたブルーウォーター・ネイヴィーの役割を煎じ詰めると、論理的にここへ行きつくというのである。木村によれば、これに対し中村悌次海草長は、理屈はわかるが、日米海上兵力を一つにし、ここまで育ててきた海上自衛隊を将来にわたって一人前のネイヴィーにできないのは、情において忍びないと、あるとき述べたという。できればすべて自前でやりたい、しかしそれぱでぎないし賢明でもないというのが、かつての帝国海軍を知る海上自衛隊指導者たちの率直な心情であった。

  まったくの余談だが、このときアーミテージをもてなすのに、増岡一郎と木村英雄の口ききで代議士の山下元利が金を出し、ある料亭に席を設けた。外務省の高官や木村たちがアーミテージと一緒に杯を交わすなか、仲居さんたちが彼の厚い胸板を見て驚き、触らせろとうるさい。英語で注文の趣旨を聞いたアーミテージは、相好を崩して答える。「こういう要請を受けたのは初めてだ。日米関係は何事もレシプロカル、つまり双務的でなければならない。本要請も、双方向ありなら受けましょう」同席した木村から聞いた話である。

  アワーによれば、ロールズ・アンド・ミッションズという言葉を初めて使ったのは、レーガン政権の初代国務長官に就任が決まったアレキサンダー・ヘイグ陸軍大将である。イランからの石油購入や防衛予算について公然と日本を非難したカーター政権を念頭に置きながら、レーガン政権下では同盟国を表立って批判することは避け、非公開の席で安全保障に関するそれぞれのロールズ・アンド・ミッションズについて率直に意見を交わしたい。こう述べた。

  これを知ったアーミテージとアワーは、日米間の任務役割分担についてメモを作成し、ワインバーガー国防長官に提出する。日米が各々防衛すべき海空域を分け、それぞれが分担する任務を定め、軍事技術は最大限相互に提供しあうとの内容であった。ちょうど同じころ、レーガン政権下で留任が決まったマイク・マンスフィールド駐日大使からレーガン大統領に電報が送られ、安全保障問題と通商問題について新大統領がなるべく早く対日政策を表明するようにとの意見具申がなされた。大統領はこの前言に従って関係各省に政策提言を行なうよう要請し、安全保障についてはアワー・アーミテージ作成メモの内容がレーガン政権の政策として正式に採用される。





▼ 西日本新聞 非戦の回廊 揺らぐ三原則 2004年11月11日掲載 
 その玉川に転機をもたらしたのは、海軍大将アーレイ・バーク。九十二人抜きで55年に海軍作戦部長に上り詰めた伝説の人物だ。装備供与などで海上警備隊誕生を支援し「海自生みの親」といわれた。
(中略)

85年ごろと記憶している。バークに「今度、おれの名前が付いたイージス艦ができる。興味あるか」と聞かれた。当時、米国ではイージス艦の開発が本格化。「いつかは日本に」と思っていた玉川はうなずいた。

バークはすぐに受話器を手にした。

「タマガワというやつがいる。日本がイージス艦を買いたいと言ったら、彼を使ったらいい」

相手はRCA社、現在のロッキード・マーチン社だった。


 

その一つは「菊クラブ」と呼称され、一般にも〈日本寄り〉と見做され良好な日米関係を維持することに努力を重ねてきたグループである。
(中略)
その「菊クラブ」の代表が自他ともに「知日派」をもって鳴る日本最大の理解者といっていいリチャード・アーミテージ氏だった。
 (三根生久大 著 『日本の敗北』アメリカ対日戦略 100年の深謀』)





・米国における最大の知日派は米国海軍出身者である。
・ 米国海軍出身者の対日観を決定的に変えたのは海上自衛隊である。
・日本を防衛する究極的な存在は在日米軍、特に米国海軍第七艦隊である。
・ 米国海軍第七艦隊の最良のパートナーは海上自衛隊である。
・ 海上自衛隊を創設したのは帝国海軍出身者と米国海軍である。
・ 海上自衛隊は帝国海軍の末裔であり、米国海軍とともに英国海軍の流れを汲む。






▼「三十年河東 十年河西」

富坂 聰  翻訳・志水 武三 「文藝春秋」十月号掲載

孤高の首相 小泉純一郎

 この人物を論評する前に、彼の将来について中国の権威ある日本問題研究所が分析した二つの予測結果について記しておこう。

 一、小泉純一郎氏は悲劇的な運命を持つ人物である。彼の行う「改革」には名前があっても、ほとんどの国民にはその中身も実体も分かっていない。そのため、時間が経てばたつほど中途半端なものとなり、具体的な利益と成果が見えなければ、どんどん注目度が低下し支持層が減っていくだろう。まさに、「善始あって善終なし」の状況に陥るだろう。

 二、小泉総理は、日本の政界においてはここ数十年でも稀にみる傑出した政治家となるであろう。小泉政権もまた、戦後有数の長期政権となり、小泉首相の名は近代日本の政治史にも残るほどの影響力を発揮するだろう。中国の関係機関も、小泉対策を十分かつ真剣に検討する必要がある。

 孤高という言葉こそ、いまの小泉首相を表現するに最もふさわしいだろう。「孤独で高傲」とは、まさに小泉首相の立場そのままである。彼がいま向き合っている戦後の自民党政治は、長い歳月を経て、表面は清らかな湖面のように澄みながらも、湖底には分厚い汚泥が深く堆積されているといった状況にある。その汚泥を清掃するためには相当の勇気と手腕が必要なのは言うまでもなく、そうでなければ逆に泥に足をとられて身動きもままならず溺れ死んでいくしかない。

 小泉首相は自民党改革を掲げて当選し、直後の支持率は85%という前代未聞の数字を記録した。この圧倒的支持の背後には、汚泥を一掃してくれるのではないかという国民の熱い期待があったのである。

 だが、「改革」という二文字は、いまの日本政治にはふさわしくない表現だ。

 二十世紀末の中国。70年代末期から?小平氏が実行した改革・開放のように、「改革」とは実際には「革命」でなければならない。?小平革命によって、古い独裁的計画経済が潰され、いまのような資本主義の優れた要素を取り入れた社会主義市場経済が確立されたのだ。

 すわわち、小泉改革は新しい「革命」でなければならない。毛沢東氏は、文化大革命の中で「不破則不立」(破らざれば立たず)という名言を残している。日本の政治はまさにこの状態にある。旧弊を打ち破らなければ新しい政治体制は立てられない。政治革命がなければ、日本は永遠に政治小国に甘んじ続けるしかないのである。

 改革の成功のためには、二つの必須条件を満たさなければならない。

 一つは、国民・有権者とマスコミの強力な支持。そしてもう一つが、絶対的権力の支持である。

 一つ目の条件に関しては、すでに小泉政権発足時に満たされていたはずだ。日本の国民は、中途半端な政治改良ではなく、真の政治革命を心から期待していたはずである。85%という驚異的支持率こそ、何よりの証であろう。

 だが、現実は三年以上が過ぎたいまも改革の成果はあまり見えてこない。中国の諺で言えば、「雷声大、雨点小」(雷の音ばかりが激しくて、雨は落ちてこない)状態だ。有権者もマスコミも現実的で功利的であるから、いくら掛け声の雷鳴が大きくても、成果という雨の恵みがなければ離れてしまうだろう。そして、小泉首相はまさに、この絶好の改革の条件から見放されようとしている。

 八五%などという異常な政権支持率は、もはや北朝鮮以外にはほとんど見られないものだろう。その意味では絶好の機会を逃すことになるのだ。

 かつて小泉首相を含めた「YKK」は、実力も知名度もキャリアもそなえた日本政界の希望の星だった。しかし、いまは過日の輝きは失せ、「惨めな」という言葉で表現されるありさまだ。

(中略)

 仮説だが、もし加藤紘一氏と山崎拓氏が昔の勢いのままであったなら、小泉政権の立場もいまとは大きく違っていただろう。党内での妥協や駆け引きといった負担が減り、小泉首相の発言も行動ももっと大胆であっただろうと想像される。

 いまでは、孤独な小泉首相は自民党内の抵抗勢力と真っ向から勝負する力を失ってしまった。彼にはまだ、自民党を解体するまでの「革命」を行うだけの度胸もなければ指導力もないということだ。

 だが、もし日本で革命が成功した場合は、日本は長い混乱の時期を経てまったく新しい政治の局面を迎えることだろう。それは、歴史的な新紀元と呼べるものだ。従来の官僚主導型の国家体制も変えられるかもしれない。

 中国の?小平氏は、1978年から中国の歴史を変える改革・開放の大革命を成功させた。当時、中国にあった抵抗勢力や民衆の戸惑いは、いま小泉首相が対峙している抵抗に比べたら、恐らく十倍、いや二十倍も激しいパワーだったに違いない。そして、残念ながら日本には、?小平氏のような英雄的政治家が生まれる土壌はない。

(中略)

 では、なぜ日本の政治土壌には世界に名を馳せる英雄が出ないのか。

 一つの根本的原因は、日本の政治家が国家の利益と名誉より、自分自身の利益と名誉を重んじるからだろう。

 小泉改革を成功させようとしても、数十年の伝統を継承してきた権力と利益の既得権者たちは、おとなしく「はい、分かりました」と政治陣地を放棄するとはとても考えられない。

 改革の三年間、小泉政権への支持率は、85%から45%前後まで下がってしまった。そして、小泉首相はますます孤独になっていくのだ。

 一人の人間として見た場合、小泉氏は非常にプライドの高い人だと思われる。世襲議員で、若いころにはイギリス留学もし、系統的な西洋教育を受け、欧米式の民主政治に心酔している。趣味は、クラシック、オペラ、ハリウッド映画。骨の髄から「酒池肉林」タイプの泥臭い政治家を軽蔑している。派閥政治も嫌っている。

 根本的な改革はかなわなかったが、ギリギリの妥協をしながら、改良を試みている。特に人事では、「傲慢」と形容される予想外の党役員・内閣人事を行い、若手の起用などでも驚きの声と喝采を浴びていた。

 中国の唐家セン前外相が思わず、

「小泉政権はいつもの短命政権と思ったが、ここまで続くとは予想しなかった。日本の政治過渡期にはこういう人物が必要だろう」

 とオフレコで評価したほどだった。

 小泉氏の基本的政治理念は、「親米・反共」である。彼は、中日国交正常化後の三十数年間で中日関係を最も悪化させた政治家の一人だ。

 首相就任以来続く毎年恒例の靖国神社参拝は、中国人の反日感情を最高潮に高めさせた。最近になってやっと中国の高官も、「小泉首相は、本当に骨と肝がある」と驚嘆したほどである。

 中曽根内閣以降の歴代政権は、ほとんど中国政府の顔色を見ながら対中政策を調整してきた。たまに、国内世論の圧力で対中強硬論に傾いても、いつのまにか修正されてしまうのだ。そしていまでは、中国の国家指導者と親交を持ち、中国政府内に広い人脈を持つことが、大政治家たる証の一つとなっている。

 その点、小泉氏は歴代首相たちより賢かった。「土下座外交」との批判が民間に渦巻くなか、靖国神社への公式参拝を公約に掲げて実行し、対中ODAの削減を行った。こうした一連の行動は、日本国内で喝采を浴びると同時に中国政府には難題を投げつけた。

 小泉氏は、中国側の裏事情を見抜いていたのではないか。

 いままで中国は戦争の被害者として、歴史清算問題を切り札に日本の歴代内閣に圧力をかけ、常に両国間の政治的駆け引きのなかで主導権を握り、日本からODA資金と円借款を獲得してきた。

 ただ、こうした古い切り札を使いすぎたためにいまではあまり通用しなくなってしまった。特に、若返りが進む日本の政界では、効果を失いつつあるのだ。

 小泉首相が毎年靖国神社に参拝しても、中国政府には非難声明を出すほかには、何の実効ある対策も取ることはできない。正直なところ、中国側には昔のような切り札はもうないのである。

 また、別の意味で中日関係をこれ以上悪化させても国益にはなんらプラスはないことも明らかなのだ。

 いま、中国政府がむしろ恐れていることは、民衆が反日感情を高ぶらせたことを切っ掛けに、国に対するあらゆる不満を爆発させ、政権安定の基盤を揺るがすことだ。特に、四年後の北京オリンピックや六年後の上海万博を控えるこの時期には、昔のような狭小な民族主義情緒をバックに、日本に圧力をかけるといったことはさすがにできなくなっているのだ。(以下略)





新世紀の維新というヴィジョンは、再構築されねばならない。



第157回国会における小泉内閣総理大臣所信表明演説 平成15年9月26日
 (はじめに)
  私は、就任以来、「構造改革なくして日本の再生と発展はない」との信念の下、改革を進めてまいりました。
  この間、国民には、今の痛みに耐え明日を良くし、変化を恐れず新しい時代に挑戦しようと呼びかけてまいりました。改革の痛みに直面しながらも、多くの国民の努力によって、日本再生に向けた改革にようやく芽が出てまいりました。
  「民間にできることは民間に」「地方にできることは地方に」との方針で構造改革を進め、活力ある社会を作り上げていかなければなりません。
  この度、小泉内閣の責務である改革を更に推進していくため、内閣改造を行いました。新しい体制の下、構造改革路線を堅持し、改革の芽を大きな木に育ててまいります。



「聖域なき構造改革」という名を冠せられた改革の実体は、国民には分からないように「隠されている」。

改革の果実は果たしてどこにあるのか。



その果実は、小泉純一郎という人が創った聖域にある。



ここから先は新世紀の聖域になる。



さて、聖域の果実に手をかけようか――






文献

1.袖井林二郎 著 『マッカーサーの二千日』 中公文庫
2.三根生久大 著 『日本の敗北 アメリカ対日戦略100年の深謀』 徳間書店
3.阿川尚之 著『海の友情 米国海軍と海上自衛隊』 中公新書
4.リチャード・オルドリッチ 著 『日・米・英「諜報機関」の太平洋戦争』 会田弘継 訳 光文社
5.NHK報道局「自衛隊」取材班 『海上自衛隊はこうして生まれた 「Y文書」が明かす創設の秘密』 NHK出版
6.岡崎久彦 著 『日本外交の情報戦略』 PHP新書
7.藤井厳喜 著 『ジョージ・ブッシュと日米新時代』 早稲田出版




――そして、回帰して、かの別な小路を走り、彼方へ、ぼくらの前へ、この長い凄絶な小路を辿って、――ぼくらは永劫に回帰せねばならぬのではあるまいか

フリードリッヒ・ニーチェ 『ツァラトゥストラかく語りき』 幻影の謎 / 原田義人・訳
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人は己の喪失を確実なものとするような諸手段によって己を救わなければならない。

――カタ・ウパニシャッド




現代人は二つの人生を同時に生きている。一つは現実の世界、もう一つはデジタルの世界である。



知ろうとする欲望の強弱と、検索に掛ける言葉を取捨選択する能力、記憶装置に蓄積される情報群。
博学を衒うことも、何者かを演じることもできる。
開放された電子の空間は、それぞれの時間を喰らいながら果てしなく増殖を続ける。
ネットに繋がっていると、強い情動を感じる。

ネットの特性として幾つか挙げてみると、
 ・匿名性
 ・不確実性
 ・速度

これらは諸刃の剣ではある。


○匿名性

 兵を形わすの極は、無形に至る。無形なれば、則ち深間も窺うこと能わず、智者も謀ること能わず。形に因りて勝を錯くも、衆は知ること能わず。人みな我が勝の形を知るも、吾が勝を制する所以の形を知ることなし。故に其の戦い勝つや復さずして、形に無窮に応ず。

――『孫子』 第六 虚実編

▼中島悟史 著 『曹操注解 孫子の兵法』

真の戦略家は無名であれ

 『老子・乙本』第二十二章に、「常に客観性を要する参謀役は当事者である組織指導者になってはならない。たやすく自己満足するような者は出世しない。やたら目立とうとする者は中味がなく、先の見通しは暗い。自慢ばかりしている者は他から功績を認められない。地位に満足して、いばりくさっている者は、やがては地位をうしなう(企者不立、自是者不彰、自見者不明、自伐者无功、自矜者不長)」とあるように(真の戦略家は無名であれ》と孫武は説いた。
  曹操が引用した太公望の言葉は、『六絹・軍勢篇』の「敏に勝つ者は形無きに勝つ。上戦はともに戦うなし。故に勝ちを白刃の前に争う者は、良将に非ざるなり(勝敏者勝於無形、上戰無與戰、故爭勝於白刃之前者、非良將也)」である。

 『黄帝四經・經法・道法篇』は「したがって《道》の原理によって天下の情報を議論する者は何ものにもとらわれず、国家や国境にもとらわれず、自分の立場にもとらわれず、自分の利害も捨てた人物である。……利害を離れて判断できるのが本当の智者ということである。最も智恵のある者は、天下の情勢を総覧して、権力のバランスを調整し、天地自然の必然性の法則を応用する人物である(故執道者之観天下也、無執也、無處也、無爲也、無私也……無私者智、至智者爲天下稽、稱以權衡、參以天當)」とある。





▼ジェイムズ・バムフォード 著 『すべては傍受されている 米国国家安全保障局の正体』

 たとえ食堂で隣のオフィスの人と食事をしているときでさえ、仕事の話をしている様子がない、ということだ。就業規則は「話すな、訊くな」である。新任者に渡される『NSAハンドブック』のまず最初に書いてあることは「匿名性の実践」だ。「おそらく新入局員が知るべき最初の保安要領のひとつが、匿名性の実践である……」とある。「匿名性とは、NSA職員は自分自身や自分のNSAとの関係に他人の注意を惹いてはならないということである。またNSA職員は、NSA関係者以外からNSAの活動に関する特定の質問を受けた場合、肯定も否定もしてはならないと注意されている」さらにこのハンドブックは「匿名性の実践は、きわめて多岐にわたる」と警告する。





▼松岡心平 著 『宴の身体――バサラから世阿弥へ――』

「花の下連歌」

  中世の初め、京都近郊で、春、桜が爛漫と咲いている下で行われた行事に「花の下連歌」がある。
  中世後期、室町時代に全国規模でしかも各階層にわたって盛んに行われた連歌会の原型であった。
  ただし、花の下連歌の孕む問題は、単に連歌という、和歌に替わる中世固有の一文芸ジャンルにとどまるものではない。
  花の下連歌を、この連歌会特有の共同性の面から追求していくと、そこに姿をあらわすのは、中世の新しい共同の世界、人と人との新たな結びつきを示す「一揆」なのである。
  花の下連歌の共同性を考える際重要なのは、まずこの連歌会が、花の下、つまり桜の下で張行されるということである。
  桜に関しては、古来、日本人特有の信仰がある。
  桜の花びらが散っていくのを、憤死した人間の怨霊すなわち御霊の吹き荒れと感じるというもので、桜の樹の下に眠っている御霊を鎮魂する祭が行われた。 (中略)

  枝垂桜のもとに張行される花の下連歌は、「よろづのもの」に開放されていたが、「よろづのもの」は「忍びて」、つまり身分・姓名を隠して連歌会に参加しなければならなかった。連歌の一座を構成する宗匠や連衆は、善阿法師や花下の十念房など主に念仏聖であり、彼らは遁世者、アウトローであって、建前上あらゆる社会的関係を断ち切っている者たちであった。そういう無縁の聖たちが主宰する連歌会に参加するためには、世俗にあって有縁の人々である「よろづのもの」は一時的にせよ身分・姓名を隠すことで自己を無縁化させる必要があったのだ。
  花の下連歌の無縁の場は、同時に無礼講の空間でもあった。
  (中略)

 花の下連歌は、無縁の場であるがゆえ無礼講空間となり、
(中略)
  貴賤の自由な交流が可能となったのである。

    

「連歌と一揆」     

 わけても興味深いのは、一揆と連歌会が実際にストレートに結びつく例が、すでに南北朝期から見られることである。
  (中略)

  このとき、文芸としての連歌は、一揆集団の形成・維持の上で、二つの重要な機能を果たしたと思われる。
  第一は、連歌の融和的側面である。連歌では、他者をよく理解し、前の句を充分に咀嚼しないと、いい句は付けられない。そして、完全に目立たないような句を作っても面白くないし、また突出してしまうと全体の雰囲気が壊れてしまう。つまり、連歌会においては、全体の「座」の空気を常に感じ取り、その流れに寄り添って主句していかなくてはならないという、気くばりが常に要求されるのであり、これはまさに、一揆集団をまとめていく時の配慮と結びつくのである。
  第二は、連歌のもつ興奮性である。
  連歌の付合には、他人が付けるということにより見当もつかない偶然性が一句ごとに介入してくるのであり、偶然性によってひきおこされる意外さの感興の集積が、連衆全体を興奮へと導いていくのである。
  こうして、「一巻の終りに至りては某々の句のよかりし、すぐれたりしなどの意識は何もなくなり、たヾ面白し、愉快なりと感ずるのみにして恍惚として我を忘れたる境に」(山田孝雄『連歌概説』)達するのが、上級の連歌というものであり、これは一揆集団における身心の昂揚という側面にぴったりと結びつくのである。
  いったんそこに入れば社会的関係をわすれて一味同心できる共同世界が遊宴の文芸として身近にあったことの意味は地方武士にとって大きかったにちがいない。社会的流動、不安定という時代状況にあって地方武士たちは連歌の場に積極的に新たな共同の場を求め楽しんだともいいえようが、いずれにせよ、無縁平等の共同性の支配する連歌の場を生きた「宴の身体」はレベルこそちがえ、一揆の身体へと容易に引用されていったのだ。



「連歌会所」           

 一方、「会所」という言葉は、鎌倉期に入って、『無名抄』『沙石集』などに漢詩や和歌の場として見え始めている。
  (中略)

 会所は、無縁の人間によって管理される場であり、また世俗の身分秩序を離れた空間であった。
  (中略)

 能舞台は、なにもない空間ではあるが、コスミックな意味の方向性を濃密に持つ空間である。これに対し、会所はなにもなくフラットな空間であるゆえ、羅列的な装飾空間になりうる。五十もの花瓶と花々が立ちささめく貞成親王の会所は、無方向なエネルギーの充満するバサラ空間であるといっていいだろう。

 会所は、花や茶や連歌といった文芸の母胎ではあったが、いざその花や茶などが花道・茶道といった形で洗練されてくると、非シンメトリーの空間へと昇華されてしまう。茶室の空間などその典型であろう。

 中世にあっては、権力者の屋敷の中にまで、無縁空間としての会所が作られたが、これは江戸期に入ると姿を消す。しかし、江戸期に入っても、無縁で融通無碍の空間としての会所は、地下水脈となって日本社会の底に流れ続けたと思われる。山口昌男氏は、「幕末になってくると、会所的なものは表面的には殺されるけれど、例えば草莽がそこから出てくる空間であったり、それから例の隠れキリシタンばかりではなくて、隠れ浄土も九州に集まって、そこでは武士も商人も百姓も一緒になった仏飯講空間をつくる、というふうにいろいろ形を変えて生き残ったのではないか、という気もするわけです。本来、中世であれば無縁とかアジールといったものが、近世では画一された政治空間が出来たために隠れてしまった。しかしいろんな名目をとって姿を現わす」(トータルメディアとしての能」『国文学』昭和六一年九月号)と言う。

 これは実に近代までも持ちこされたのではなかろうか。森山軍治氏は、『民衆蜂起と祭り』(筑摩書房)で、秩父事件での困民党の組織のされ方や動員範囲は、俳諧の交流網とほぼ重なると述べている。中世に発する連歌・一揆・会所の問題の射程は、おそらく近代、そして今日までも届くものと思われる。





▼金春國雄 著 『能への誘い 序破急と間のサイエンス』

能はそれぞれの演者がアノニマス(匿名)な存在として全演者の共通意図の下に機能することによって、初めて成立する





よろずもの、無礼講、無縁、連歌、座、空気、偶然性――

同じ地方に生まれた人々は、時代が変わろうとも、同じような気質をもちつづけるものである。

機械と電子の媒体に替わったが、連歌のような言葉の饗宴は、日本人には馴染み深い。
2chのような匿名掲示板には卓抜した書き手が幾人もいるし、それらの人の中には無名で通す人もあれば、書き込みを特定する記号を付ける人もある。

個人的なことになるが、私の主張いうのはそれほどバリエーションに富んだものではない。
このwebsiteで私の書いていることというのは、日米同盟とそれを推進している小泉総理を支持しているという単純なものだ。
自分の持つ型に従って、事象に反応している。






もし運命というものが世にあるならば、それは運命そのものが舞台をぐるぐる廻っていた

――川瀬一馬


 ▼観世寿夫 著『観世寿夫 世阿弥を読む』  

 沈黙

・創造は沈黙に対決して人間の存在を実証することからはじまる。

・沈黙は恐怖を持つ。

・何もない「無」から、訓練を積み重ねた「有」へ移行する。

・透徹した自己否定、自己の放擲、言語による理解を超え、「死」という逃れ得ない現実的な「無」へと回帰する。

・絶望的な真空の中にある虚、非情な美と緊張、虚構の裏にある真実性を引きずり出し、舞台という虚構の世界を実存へと引き上げる。

・演技者を固有の個性から無人称的なところへ持っていく。

 

 夢幻能

・夢幻能は、ワキ方の役である僧や旅人の前に、所の里人が来合わせて、その土地や風物にゆかりのある物語りをするという設定でたいていははじまる。その物語りが進行するにしたがって舞台はしだいに物語りの世界にひき込まれ、語り終わった時点においては里人―大方はシテの役―は物語りの主人公と一体化してしまい、私はその霊であると主人公の名をほのめかして消え失せる。そこまでが前段で、なおも旅人が物語りの主を想って待っていると、ふたたびシテが、今度は物語りの主人公の在りし日の姿で現われ、昔の有様を仕方ばなしにして見せたり舞を舞ったりして、いつのまにかまた、闇の世界へと消えてゆく。これが典型的な夢幻能の形である。つまり夢幻能とは、ワキの役をつうじて、舞台全体を幻想の世界へとひき込んでしまう。この手法は、語り物の持つ呪術性―語るは騙るにつうずると言われているが―を巧みに利用することで、現実的な時間や空間を超越させ、曲の本意を的確に観る人びとの脳裡に印象づけることを可能にする。

・本質的に劇的なものは人間と運命との対決が根底にすえたものである。

・語るは騙るにつうずる。

 

 立つ

・からだの中の自分のありどころを捉えるという基本を自得する。

・前後左右から無限に引っ張られているその均衡の中に立つ。

・無限に空間を見、しかも掌握する。

・能舞台という、吹き抜けの宇宙的空間の中に、ひとつの存在として立つ。

・自分の中の内的な力によりて、劇空間の中の不確定なものを、極限にまで切りつめる。

・吹き抜けの無限の空間、無限であるべき空間の把握。

・そこに立つ自分は、とぎれることなくしずかに、永遠の無限の向こうに気持が通わせる、そうあるように目をひらく。



 力

・基本的なカマエは崩さず、それ以外の無駄な力は抜いてからだを柔軟に扱う。

・力は自分の内へ向けて満たす。

・力一杯になる稽古は、究極的には、外側への力をいつでも抜くことができるようになるためである。

・自分の内部で充実し、集中しているたしかな力は、外に向けては余分な誇示などせずにすむ。



 身体

・からだは縦横に使いこなさなければならない。

・近くで聞けば決して大声でなく、しかも遠くまで明晰に聞こえる声を持つ。

・演ずることへのべたついた欲望を排除し得ている声とからだ。

・詞章についた感情移入や情調的演技を濾過し、余分なものはすべて技術に還元する。

 見る

「無心の位にて、我心を我にも隠す安心」

・演じている自分の心、自分の意識を自分自身にも隠してしまわなければいけない

・自意識を離れる

・何かに化けようということは、その役らしく見せるという表象的物まねの域でしかない。そうかといってなまの役者そのままが出てしまっては、観客の反発を買ってしまう

・舞台上の演技者は、意識を超越した次元へ追い込まれていなければならない

「離見の見」

・「我見」から脱け出した離れた視点を持つ

・舞台にのめり込んでしまわない、覚めた眼がなければならない

・このように読んだから、観客にはこういうふうに見せられる、と思ったり、いかにも解説しているかのような解釈の見える能ではまずい。

・舞台という虚構をいかに実存に変えるには、まず演者が、見せる意識を自分の中から取り除かねばならない。同時に観客の見るほうの意識も変える。

・演者側の、見せよう、与えようという意識が見えてしまったら、観客は多くの場合反発するだろう。そっぽを向くか批評家的になるかである。

・博識を標榜したり、観客におもねって見せることとちがう。

・はじめに自分なりの解釈があって、それを自分の中で消化していくうちに、解釈を超えたものを立ち現わせる

・演技者というものは、まず観客の立場を理解し、その同じ時点に立つことができなければならない。

・その演技者は、多くのさまざまな表現を可能にする技術や感覚にすぐれていなければならず、そのための修練を重ねたうえで、自分の能を通じての生き方をはっきりと打ち樹てることが必要である。つまり観客を知り、能を知らねばならない。

・そのうえで、そうした演者の強い意思を他人に見られぬ仕掛けを考える。

・「我心を我にも隠す安心」、つまり自分の意志を自分でさえ意識する必要がなくなるほどの強い深い境地が最高である。そこに至ってはじめて「見所同心の見」が成り立ち、観客の主体性と演者側の主体性とが相反することなく一体となってその舞台を経験し、演者は観客を意識することも、無視することも、おもねることもなく自分の能を創り上げることができる。

・役者というものは、若さと美貌に執着したり、技術の達者さに溺れたがったりする。

・からだが利いたり、技術に自信があったりすると、ともすれば必要以上にオーバーな動きになりやすい。

・若ければ、動けるだけ動いての熱演も魅力のうちだが、ある年齢以上の熱演は、逆に観客をシラケさせかねない。

・「自分」と「役」と「観客」の三つのものの相応を見きわめ、体得する、それが「能を知る」ことに外ならない。

「まことの花を極めぬ為手と知るべし」

・自分の技術に頼って、あくどい芸や達者にまかせた芸に陥り、いつか非幽玄な役者に成り下がってしまう者になってはならない。

「関心遠目」
「心閑かにして、目を遠く見よ」
「命には終わりあり、能には果てあるべからず」

 年齢

二十代

・役者としての正しい基礎を築く。

・この時期の稽古はその役者の一生の芸の行方を定めさえする。

・師について学ぶということは、この時期までのことである。

三十代

・三十四、五歳は盛りのきわめ、その年齢までに、あらゆる役との対決をし終え、自分の能が鑑賞の対象になる。

 

 仮面

・観客に対するときの表玄関でもあるおもて、その能面の裏の暗闇の中に能役者は姿を隠している。

・隠れているからこそ逆に、役者自身の訴えたいことを思いのままに舞台上に描き出すことができるということもあるし、面というワンクッションをおくことが、演者と観客という対立者でも、協力者でも、批判者でもある複雑な関係を素直にときほぐしてくれもする。

・能の役者というのは、常に冥暗の世界と現世との中間にただよう霊魂のようなものだから、何らかの思いなり訴えなりを安心して託し、託すことによって、ある呪術力を持たせてもらえると信ずることのできる相手がなくてはならない。

・ある意味では自分の顔になりながら、それを通して内側の演技者が定着していたい。

・演者としては、仮面そのものが、自分と同等またはそれ以上の力量をもって立ち向かっていてほしいし、そうした仮面と演者の枯抗のうえにこそ、夢幻能の持つ緊張感を支えるものが生まれる。

・変身のための呪術性、魔術性、憑依性。

・そこでは演者も、役柄も、特定の誰かであることも否定している。

・本質的な意義は、顔面表情その他の瑣末的演技を一度全部切り捨てることによって、身体全体の内から湧き上がる演技を要求される

・能面は、単に他の人間に化けるためのものではなく、そうかといって、役と役者とを同一化してしまうためのものでもない。

坂邦恵氏『仮面の解釈学』
  仮面を意味するペルソナとは、人称なしの、つまり、自分でも相手でも特定の他人でもない、あるいは自分でも相手かもあるかもしれぬ「原人称」とでも名付けられるべきもの

・感情をあからさまに表出しようとはしない。「我」の表現はない。

・能の演技を成り立たせる基本であるカマエやハコビ、そしてすべての演技表現は、まず安易な表現欲を切り捨てさせられるところから出発する。しかも面によって、演者は顔まで失わせられてしまう。

・面をかけるとき、演者は自分の姿を鏡にうつして見ている。自分を客体として眺めている。

・いかなる芸能でも、舞台に出れば観客に見られることが役者の宿命で、したがって役者はいつも見られているという意識から離れられないものだが、その、見られるという意識、さらにそこに必然的に出てくる見せるという意識、それをなくす。

・面をかける、ということは能の役者にとって、これから一番の能を演ずる自分の、心の状態と位置とをきめる鍵となる。

・面をかけると演者は自分の内側に自分を入り込ませることが可能になる。

・自分を、日常的な世界から飛躍した場所に持っていく手立てとなる。

・今日演ずる能の、自分の思いを面の裏側に思いきりぶつけても、面が、それを支えてくれなければならない。

・面の力を信じて、永劫の亡魂とも自分を思える。

・面は、安心して己れの全部を委ねられるものであってほしいのと同時に、思いきって闘い合える相手でもなければならない。

・役者の内面と役者が感じる面の力とが闘争するだけでなく、役者の肉体と無機的な木彫品である面との反発のし合い、闘い合いが、そこに象徴される。


劇、それは何事かの到来である。能、それは何者かの到来である。

――ポール・クローデル



○沈黙と神性



微なるかな微なるかな、無形に至る。神なるかな神なるかな、無声に至る。故に能く敵の司命と為る。

――『孫子』 第六 虚実編

▼中島悟史 著 『曹操注解 孫子の兵法』

柔軟性なきものは滅ぶ

 『黄帝四經・道原』には、「故に聖人こそ、無形なるものに真理を洞察することができ、民衆たちの声なき声をも聴きわけることができ、何でもないところに真実を発見することができるのである(故隹聖人能察無形、能聽無聲、知虚之實)」とある。

 『同・經法・道法篇』には「ゆえに最も純白に、最も透明に仕上げれば、織り布も精神もすみずみにまで広がり、形がなくなってしまうような柔らかさになる(故能至素至精、浩彌無形)」



▼鈴木晶 著『ニジンスキー 神の道化』

ニジンスキーは、わずかな写真と、その踊りを見た人びとの証言の中にしか存在しないダンサーである。私は、動くニジンスキーが見たいという願いと同時に、彼にはいつまでも「イメージの中にしか存在しないダンサー」でいてほしいという願いも抱いているのだ。だから、観にいった映画が劇映画だったことに、失望すると同時に安堵したのである。

 ここまでに、すでに何度も「ニジンスキー・ファン」という言葉を使ったが、実際に世の中にはニジンスキー・ファンとかニジンスキー崇拝者と呼びうるような人びとが大勢いる。私のまわりにもたくさんいる。ニジンスキー・ファンとは、ニジンスキーこそ史上最高のダンサーだと信じている人たちのことである。

 これは、考えようによってはじつに奇妙な現象である。ニジンスキー・ファンの誰ひとりとして、ニジンスキーの踊りをじかに見たことはないのだから(ニジンスキーが最後に人前で踊ったのは一九一九年のことだから、世界中を探せば、ニジンスキーの踊りをこの目で見たという人は何人かまだ生存しているかもしれないが、それはこの際問題ではない)。ダンサーにとっての作品、つまり小説家にとっての小説、画家にとっての絵に相当するものは、いうまでもなく「踊り」である。したがって極端な言い方をすれば、ニジンスキーを崇拝するということは、その人の小説を読んだことがないのに特定の小説家を崇拝するようなものだ。

 そうした矛盾にもかかわらず、現実にはニジンスキー・ファンが大勢いる。それどころか、ニジンスキーの名声がこれほどまで高まったのは彼の死後のことである。たしかに彼はバレエ・リュス時代に一世を風靡したが(といっても欧米だけであるが)、彼を崇拝する者の数は彼の死後かなり経ってからのほうが生前よりもはるかに多いはずである。少なくとも日本の場合、一九七〇年代以前には、ニジンスキーの名は一般にはほとんど知られていなかった。

 それなのにどうしてニジンスキーはこれほど崇拝されているのか。

 まず、「幻は乗り越えられない」ということがある。誰でもいいが、たとえばファルーフ・ルジマートフのことを考えてみよう。ルジマートフ・ファンにとって、彼は世界最高のダンサーである。ファンたちから見れば、他のダンサーたちはどんなに優れていようともルジマートフには及ばない。だが、彼らファンですら、ルジマートフのことを史上最高のダンサーだとは考えていないだろう。彼らがルジマートフのことを「世界最高」と言うとき、それは「今現在、世界最高」、つまり「現在、彼の右に出る者はいない」という意味であって、ファンの多くは心の底で「昔は昔で素晴らしいダンサーがいたのだろうし、時代が変わればまた優れたダンサーが出てくるだろう」と考えているにちがいない。つまり、ルジマートフはやがては乗り越えられる存在なのだ。だが、幻は乗り越えられることはない。言い換えれば、他と比べられることを拒否する。

 ニジンスキーは生前、「ヴェストリスの再来」と騒がれた。ヴェストリスはロマンティック・バレエ時代の名ダンサーである。だが、私たちはヴェストリスという名を間いても少しも胸はときめかない。彼は私たちにとってあまりに遠い存在なのだ。史上最高のバレリーナがタリオーニではなく、アンナ・パヴロヴァであるのと同じことだ。ニジンスキーの時代には、ヴェストリスはすでに神格化されていた。そして今度はそのニジンスキーが、観客の前から唐突に姿を消すことによって、幻としてのみ存在するダンサーとなった。そして「神」の仲間入りをしたのである。

 ニジンスキーが神格化されたのは、彼の生涯があまりに劇的だったからだ。俗っぽい言い方だが、彼は彗星のごとく現れ、彗星のごとく姿を消した。彼が観客の前で踊ったのは、その六十一年の生涯のうちのたった数年間である。そういうダンサーが理想化されやすいことは、恋愛のことを考えてみればよくわかる。恋愛にはかならず「終わり」がある。恋入たちはかならずや別れる。それは恋が初めるからだ。それまでは「あばたもえくぼ」だったのが、「えくぼもあばた」に変わる。あんなにも素晴らしく見えた相手が、しだいに色初せて見えるようになる。だが、一つだけ例外がある。恋愛の絶頂期に相手が死んでしまえば、恋する者の心の中では恋愛は終わることがない。恋人の崇高なイメージは崇高なまま存在しつづける。残された恋人が詩人だったならば、失った恋人を賛美しつづけることが、彼に残された人生の仕事となる。

ニジンスキーは若くして狂気の闇へと消えていったために「伝説」になりえたのである。しかも彼は、右に挙げた恋人の例とは違って、突然死んだわけではない。夭折していたとしたら、現在これほどまで崇拝されてはいないだろう。彼は狂気に陥ったことによって、死んだ場合よりももっと高い地位に昇った。なぜなら、少なくともニジンスキー崇拝者にとっては、彼の狂気と彼の踊りとはどこか深いところで繋がっているのであり、彼の狂気は「聖なる狂気」なのである。ニジンスキー・ファンの間には、「彼は踊りを奪われたために狂気に陥った」という説がかなり広く浸透している。この説が果たして妥当なものなのかどうかについては、いずれ詳しく検討することになろうが、どちらにしても、ニジンスキーの狂気は、舞踊の中に潜む狂気、すなわち「神になる」とか「神に憑かれる」といった一種のトランス状態に光をあてることになったのである。

 ただし、ニジンスキーの狂気といっても、私たちは彼が主に精神病院で過ごした日々について詳しく知っているわけではない。せいぜい精神病院のカルテにしるされた彼の姿と、妻ロモラの眼を通してみた彼の姿しか知らない。それはあくまで「外」から見たニジンスキーにすぎない。後世に影響を与えることになったのは、ニジンスキーの狂気というより、一九一九年頃、すなわち彼の精神が狂気の闇の中へと沈んでいきつつあった頃に書かれた『手記』である。この『手記』はニジンスキーが世を去る十年以上前の一九三七年に出版された。出版当時もそれなりの話題を呼んだらしいが、この書物を世界的に有名にしたのは、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』(一九五六)である。この世界的ベストセラーによって、ニジンスキーは、ヴァン・ゴッホやT・E・ロレンス(アラビアのロレンス)と並んで、「アウトサイダー」(言ってみれば「確信犯的はみだし者」)としての地位を確保したのである。

 かくしてニジンスキーは「幻の中でのみ存在するダンサー」となったのだが、私たちの手元には、数が限られているとはいえ、写真が残されていることをも忘れてはならない。それらの写真は、たんなる存在証明ではなく、どれ一つをとってみても、恐ろしいほどのインパクトをもって私たちに追ってくる。写真を見てニジンスキーに一目惚れ」したという人は多い。

 たとえばここに「コボルト(小鬼、地の精)」を踊るニジンスキーの写真がある。この写真を見た者は誰しも、一体どんな踊りなのだろう、そもそもこれは一体何なのだろう、と胸をときめかせたにちがいない。『シェエラザード』を見ても『薔薇の精』を見ても『牧神の午後』を見ても、ニジンスキーは他のダンサーにはけっして見られないオーラを放っている。バレエに詳しくない人が見ても、「これは只者ではない」と感じるはずだ。これらの写真は「幻の踊り」を再現するための魔法の鍵である。つまり、私たちの脳裏にしっかりと焼き付けられたこれらの写真たちは、やがて頭の中の劇場で動き出す。動く映像が残されていないがゆえに、ニジンスキーは私たちの頭の中で、他のダンサーにはけっして真似のできない「最高」の踊りを見せてくれるのである。

 アウトサイダーという言葉は、別にコリン・ウィルソンの造語ではなく、昔からある語だが、ウィルソンによって新しい意味を盛り込まれ、世界的流行語となった。一言でいえば「はみ出し者」「疎外者」「仲間はずれ」である。社会に適応することができず、周囲の人びととなじめない。だが、彼が社会に溶け込めないのは、彼の眼には社会の病が見えてしまうからで、一般の人びとはそれに気づいていないからこそ平気で日常生活を続けることができるのだ。その意味で、アウトサイダーは真理の探求者であり、「見者」でもある。しかしながら、アウトサイダーは社会の指導者になれるわけではない。彼らは往々にして自分自身を知らず、その洞察はしばしば狂気という形をとる。いわば、自分だけが眼が見え、他はみんな盲人という、H・G・ウエルズの描く『盲人の国』に住んでいるようなもので、アウトサイダーたちはたえず寂寥感・孤独感・無益感に苛まれている。

/////

「アウトサイダーの制御への試み」から一般的な結論をひきだそうとするどんな企ても、肉体の修練を第一の仕事とした「アウトサイダー」の経歴をそれに付記しないかぎり、完全に満足のゆくものとはなりえない。ヴァン・ゴッホとロレンスについてこれ以上一般論を述べる前に、誰か、かような人物を考察してみる必要がある。例として適当な聖者や隠者にこと欠かぬが、どちらにしても、われわれがこれまで守ってきた条件に合致しそうにない。その条件とは、「アウトサイダー」たるものは、その宗教に関するかぎり、「出発点から始めねばならぬ」ということである。彼は宗教から出発してはならぬのであり、誰にも理解でき容認できる立場、すなわち世のなかと人生とから出発せねばならない。とすれば、選択の範囲はかなり狭められるが、幸運にも、手近な実例が一つある。
(コリン・ウィルソン著『アウトサイダー』 中村保男訳)



文献

1.観世寿夫 著『観世寿夫 世阿弥を読む』 平凡社ライブラリー 
2.ジェイムズ・バムフォード 著 『すべては傍受されている 米国国家安全保障局の正体』 瀧澤一郎 訳 角川書店
3.中島悟史 著 『曹操注解 孫子の兵法』 朝日文庫
4.金春國雄 著 『能への誘い 序破急と間のサイエンス』 淡交社
5.金関猛 著 『能と精神分析』 平凡社
6.観世銕之亟 『ようこそ能の世界へ 観世銕之亟 能がたり』 暮らしの手帖社
7.松岡心平 著 『宴の身体―バサラから世阿弥へ―』 岩波書店
8.観世清和 『一期初心 能役者森羅万象』 淡交社


語りえぬものについては沈黙しなければならない

――ウィトゲンシュタイン



今日ではむしろ情報量に富む生データを情報に携わる人々すべてが、それぞれの立場から観察・判断することが大切になっている。

情報分析とは直感力を頼りに多元方程式をいっぺんに解こうとするようなアート(芸ないし芸術)の要素がある(弁証法的思考)。
この多元方程式は全ての変数が与えられているのではないので不確実な問題から不確実な回答を引き出す決断を伴うのが宿命である。
不確実の中の確実性を高めるツールとして経験あるいは失敗の集積、雑多な知識(ナレッジ)が役立つ。
その繰り返しからエキスパティーズ(専門技能)が育ってくる。
情報を読むためには第一歩として「パターン認識」が大切だ。
パターン認識を向上させるためにはバックグランドとして専門分野(アカウント)を単一にしぼるべきだ。
情報で店を構えたいのなら材料の仕入れ段階から骨身を惜しまずに走り回り、意地でも「分かりませんとは言わない」という看板を張り通すことだ。
やせ我慢がなければ苦難に耐えられない。



これから先は沈黙を書く。
沈黙とは書くものではなく、一切が虚偽にしかならない。
ただ、 私は書く。

私は小泉純一郎という人が何を見ているのかを知りたいと思った。

2004年5月22日のあの日から――



自我を隠す暗闇から、それだけを見つめる。



Sometimes I've seen what people think they've seen.

posted by     at 16:05| Comment(0) | sanctuary lost | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする