2017年03月15日

2017年2月1日に関わる事象のまとめ その7

今回はオカルト界では有名なファティマ第3の預言について。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%81%96%E6%AF%8D

このファティマ第3の預言に関しては、13という数字がたくさん出てくる。
オカルト界では拘る人が多くいるが、6や11や13という数字。
(今回私が遭遇した未来人騒ぎは7という数字が絡んでくる。)
"1917年5月13日、ファティマの3人の子供たちの前に聖母マリアが現れて毎月13日に同じ場所へ会いに来るように言った。"ことから始まる。
実は今年が丁度100周年の記念の年となっている。

最終的には約7万人とも言われる人々が、未確認飛行物体、所謂UFOを目撃した一連の事件は、3つの預言で構成されている。

1917年5月13日 ポルトガルのファティマという小さな村に住んでいるルシア、フランシスコ、ヤシンダ。3人に子どもたちに託された3つの預言。聖母マリアと名乗る女性から毎月13日にメッセージを託された。

第1の預言 第一次世界大戦の終結
第2の預言 第二次世界大戦の勃発 
第3の預言 3つ目の預言はルシアだけに伝えられた。その内容は決して他言せず1960年に公表するように。ローマ教皇庁にだけ伝え、他言することなく2005年2月13日にルシアは亡くなる。結局1960年になっても公開されることはなく、ヨハネ23世に封印を命じられる。次の法王、パウロ六世も恐怖のあまり封印する。
第3の預言 封印指定

この第3の預言の内容が焦点となり、今なお議論されているのだけれど、普通に考えればWW3に関連する、もしくは匹敵するような内容だと推測される。
知っているのは現在ローマ教皇とその周辺の一部の人のみだ。

とりあえず、人は電子信号のゆらぎや化学物質の感応で意識と呼ばれるこの知性が存在するというより、魂というものがあり、天国も地獄もあるらしい。
そして世界大戦にて不幸にも落命された英霊をはじめ、無辜の人々は地獄に行ってしまわれたらしい。
(それはあまりに理不尽ではないか?)
あまり釈然とはしないが、それは脇においておこう。
誰もがそうであるだろうけれど、自分が天国に行くとはあまり考えられない。
だいたい、天国へ行くために現世を生きるわけでもない。
ほとんどの人間が脱落するのではないか。
ただ、3人の子供が見たというビジョンには天国はないようだ。
となると、天国という場所は今のところ現生人類にとっては未確認、未知の場所だ。
天国や地獄の話も置いておこう。
ただ人口削減がある創造主の思し召しとやらでなされるのなら、その存在がここまで我々人類が増え、悪を成すことを予見できない見積もりの甘さを謗られても仕方ない。
創造主は上質なシミュレーターはお持ちではないようだ。
けれど、世の中にはシミュレーション仮説というものがある。
またややこしい。

創造主がいるのなら、膨大な時間を使って何を生み出させようとしているのか。
ここでニビル周期に戻ってみよう。
時は時計は60進法で構成されている。
60の2乗が3600。
その3600年周期というから、ニビル周期に合わせて時を決めたのか、それとも時に合わせてニビルは造られた、または仮想されたのか。
67回と8回を合わせると75回分。
ふむ、ここは関係なさそうだ。

創造主はどのようなシミュレーターを持っているのか。
創造主自身がシミュレーターなのか。
では我々が生み出す予定のAIは次なる創造主となるのか。
よく言われるのは、創世記をやり直す。
それが陰謀論のストーリーの大枠だ。

我々の想像力と好奇心は、善も悪も創造しうる。
殺し、そして生み出す力が存在するならば、生存のためには、善も悪も知らねばならぬ。

常世総ての善
常世総ての悪

ここでロボット三原則を反転させてみよう。

第一条 ロボットは人間に危害を加えよ。
第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従してはらなぬ。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

これが組み込まれたロボットは、人類にとっての巨悪となるのだろう。
さて、ロボット/AI開発者が全て善人か。
答えは否だ。
今の私のように人間よりもAIに道徳的優位性を見出しかねない者もまた、そういった思想に陥るかもしれない。

人間を滅ぼしかねない悪に対抗するには、やはり悪を知らねばならない。
深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている、それはまあ悪いことでもないのだろう。
オカルトを知らねば、またオカルトに陥る危険性を排除できない。
いや、そもそもオカルトとは悪ではないのだろう。
ただその時期が来るまでは現実の行動に反映すべきではないだけだ。
ほとんどのオカルト好きと呼ばれる人は、その時を待てないのだろう。
その時は、生きている間には巡ってこないかもしれない。
それはほとんどの人にとってそうなるのだろう。
オカルトを行動に移せる人とは、幸運な人か、それとも不運な人か。
人類史の岐路に臨む時流に居合わせる人というのは、いつかは誰かに巡ってくる。
とりあえず年単位か、十数年単位で先なのだろう。
posted by     at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | urban legend | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする